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#7 シャンパンか、ビールか

ずいぶん前になるけれど、ブラジルのある飲料メーカーから広告の仕事を依頼され、打ち合わせでリオに行ったことがある。現地は、ちょうどカーニバルの真っ最中。開催される2月は、地球の裏側では真夏に当たる。会議が終わってホテルに帰る支度をしていると、クライアントが「今夜、カーニバルを観にきませんか?」と誘ってくれた。その会社は、8万人以上入るメイン会場の観覧席に、招待客専用のVIPルームを確保していた。

夜8時。担当者に招かれてVIPルームの中に入っていくと、エアコンの効いた室内は、すでに数十人のゲストで賑わっていた。ブッフェスタイルのテーブルには料理とグラスが並べられ、有名銘柄のシャンパンと、地元産のビールが用意されていた。僕はシャンパンを手にして「こういう雰囲気にはシャンパンがよく似合うな」なんて、ちょっとした優越感に浸りながら、その場の気分に酔っていた。

しばらくすると、遠くからサンバの音が響いてきた。室内のゲストたちは、パレードが通過するメインストリートに面した大きなガラス窓に近寄った。窓の向こう側はルーフテラスになっていて、横の扉から出入りすることができる。僕は、ためらうことなく屋外に出た。たちまち熱気が全身を包んだ。サンバのリズムを刻む打楽器の音が熱い風に乗って近づいてくると、それに合わせて歓声も大きくなる。トップチームたちが順番に登場し優勝を競い合う、最高の見せ場だ。1チームを構成する3千から4千人が通過する間、観客たちは魅了され続け、明け方まで我を忘れて酔いしれる。

目の前をゆくダンサーたちの踊りに合わせて、大観衆も踊り出す。すると会場全体の空気が揺れ始める。それが何十分も続くと気分は完全なトランス状態に入っていく。僕は渇きを覚え、手にしたシャンパンをあおる。

「?!」するとどうしたんだろう…… ついさっきまであんなに気に入っていたシャンパンが、まったくおいしいと感じないのだ。僕は、急いで室内に戻り、冷えたビールを持ってきて、天に向かって一気に飲み干した。炭酸がノドを走り、胃袋に到達し、乾いた大地を潤すスコールのように全身に浸みわたる。「うまい!サイコーにうまい!」。

僕は思った。お酒のおいしさは、味や香りや、先入観だけでは決まらない。脳ではなくカラダの全てで感じるものだ。そのときどき、変わっていく状況のなかで、カラダがいちばん欲しがっているものを飲めばいいんだと。


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