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#8 キミの目には、どんな世界が映ってるの?

ある週末。大学時代からの友だちで、現在は台湾で会社を営んでいるSくんが出張で日本に来ることになったので、久しぶりに地元の居酒屋で会った。

彼とは高校も大学も違ったのだけれど、たまたま地元、平塚の学生たちの集まりで知り合い、一緒に飲んだり遊んだりした仲である。卒業した彼は、ある商社に就職して数年ほど国内で仕事をした後、イラクのバグダッド支社に転勤になった。旅立つ前の壮行会で、「生きていたら、また会おう」などと笑えない冗談で見送った日のことを30年以上経ったいまも覚えている。

それからの彼の人生は、少し変わったものになっていった。イラクでは、同じ会社に勤めていた日本人女性と結婚し、子どももできて駐在員として充実した生活を送っていた。が、事態は1990年の夏に急変する。バカンスでフランスにいた彼とその家族は、湾岸戦争のきっかけになったイラクのクエート侵攻のニュースをパリで聞く。自宅に戻ることができなくなった彼らは、家財道具をイラクに残したまま、日本に帰国することになった。そうして彼は、しばらく日本に留まっていたのだが、この国の組織にはどうしても馴染めないらしく、再び海外赴任を志願。それから約20年間を香港で過ごした。イギリスから中国に返還された後の、劇的に変わっていく香港での暮らしは、とてもエキサイティングだったという。その後、仕事で関わった台湾企業のオーナーから経営を任されて、いまは台湾に住んでいる。

そのような訳で、彼は中国をはじめアジアに多くの人脈を持っている。日本の、平塚と横浜の間を毎日行ったり来たりしている僕とは視野や視点がまったく違っているので、彼から聞く話しは新鮮で面白い。

たとえば、「北朝鮮は本気でミサイルを撃ってくるかな?」という僕の質問に対し、彼は「湾岸戦争のときもそうだったけど、戦争ってのは、本当にいつ起こるかわからないよ。フセインのときよりいまのほうが、もっと危ない感じがする」。そして、「日本にいると楽観的というか、アメリカがついてるから大丈夫、という意識が強いけど、チカラで押さえようとすればするほど、どこかで暴発する可能性が高くなる……中国人の友だちの多くは『周りが圧力をかけ過ぎると、韓国よりも先に日本がやられる』と言ってるよ」と続ける。

「じゃ、北の核開発を認めちゃうの?」と聞くと、彼は、「その答えがわかるくらいなら、オレが大統領になってるよ」と笑う。

そして、「日本は平和でいいね」と言って、飲みかけのグラスで乾杯の仕草をしてみせた。

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