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(また散歩)映画を観に行っただけなのに③

あらすじ
デブとサイコパスという友人と一緒に映画鑑賞に赴き、その後紆余曲折ありながらも念願のすき家を食べることに成功した我々だったが、サイコパスが家まで歩いて帰ろうと言い出した。すき家から家までの距離は、五キロ。

僕たちはもう若くありません。二十二歳で何を言っているのかと思う人もいるかもしれませんが、明らかに、高校の頃の自分と比べると、弱体化しているのです。その場での忍耐力もそうですし、次の日に訪れるダメージの量も増えています。加えて、次の日は爆睡して過ごせる、という能天気な日々も終了しています。

しかし、サイコパスは違います。確かに体力は我々の中でも最弱ですが、彼はまだ学生です。次の日に予定なんてないですし、あったとしても、すっぽかしてもいい予定ばかりです。学生の予定なんてものは、責任が生じない出汁を取りつくした鳥ガラみたいなものばかりですし。
よって、時刻は既に十一時を回り、疲労も適度に溜まり、お腹もいっぱいで眠いのにも関わらず、自らの欲望に従って五キロ散歩をしようと言い出したというわけです。最もサイコパスの場合、何故か明日を憂いているので、それが原因かもしれませんがね。

僕は当然反対しました。同じく反対してくれると思って隣のデブに助けを求めると、おかしい、何故かデブも散歩をしたそうにしているではありませんか。

このデブというのは、何度も繰り返すように、常にその場の一秒一秒を生きている男です。

例えば、「今これを食べたら、二分後に必ずお腹を壊して嘔吐しますよ」と言われても、彼は「うるせぇ、今食べたいから食べるんだよ!」といって食らいつき、二分後にしっかりと嘔吐するのです。嘔吐している時にはきっとこう言うのでしょう。「もう二度と食べてやらないからな」 しかし、数日後、全く同じ状況が訪れ、再び、「今これを食べたら、二分後に必ずお腹を壊して嘔吐しますよ」と言われても、「うるせぇ! 今食べたいから食べるんだよ!」と言って食らいつき、しっかり嘔吐する、そんな男なのです。

つまり、明日のことは明日考えればいいと、彼は本気でそう思っているのです。なんか五キロ歩くの楽しそうだな、と彼が思った瞬間に、僕は二対一の構図を既に作られていたのです。

散歩が始まりました。

いつもこうです。最終的には歩いているんですよ、いつも。

足が痛く、眠気も襲いかかってきましたが、歩き続けました。当然僕だけでなく、二人も疲労は溜まっていますから、会話はただでさえない整合性を失い、石と魚の会話くらいに意味不明なものになっていきました。

例えばこんな感じです。

デブ    「スティーブン・スピルパーク」
僕     「スピルバーグな。公園の名前じゃねぇよ」
デブ    「ジュラシックパークを作った、スピルパーク」
サイコパス 「HAHAHAHAHAHAHAHAHA!」

終わっています。

おまけに、サイコパスの人生の楽しみは、一番に「公園」、二番に「散歩」とのことですから、散歩の途中に公園を見つけると大喜びをするのです。そこらの小学生も顔負けの興奮っぷりで、それはそれはもう、気色が悪いです。この遊具がなんだの、森と一体化している公園がいいだの、公園を見つける度に喋り倒すので、彼はそろそろ公園に住む生活を始めると思います。そして、僕たち二人に、公園に住むの楽しいから、まずは一週間住んでみろ、とでも言うのでしょう。恐ろしい。

そんなこんながありながらも、五キロ歩いてしまうのが我々です。終電が隣を走り去っていき、脳がおかしくなってしまったのでしょうか。五キロという距離を確認した後は、一切残りの距離を確認することなく、ダラダラと喋りながら、見慣れた景色が立ち並ぶ地元へと凱旋したわけです。

三人が揃うと、全く成長しない会話と雰囲気になるのがいいですね。社会人になったり、絶望の大学院に進学したりと、それぞれが成長してそれぞれの道を進んでいるのは間違いないですが、散歩をしていると、その成長を感じなくて済むのがとてもいいですね。

長い距離をあるくのはうんざりで、次の日の仕事は体が痛くて痛くて仕方がありませんでしたが、まぁ悪くはなかったなと思ってしまい、散歩の輪廻にはまっていくと、そういう話です。

なによりも、友人の悪口を書く時が、一番文章を書いていて楽しい瞬間ですから、また散歩をして、またブログを書くとしましょう。

終わり。



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