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映画感想『マイブロークンマリコ』

ネタバレ気にせず


死んだ友人の遺骨を持って旅に出る。
その文面が強過ぎて、その部分に着目して見ていたら、当然なんですけど、旅に出るのは結構序盤で、ピークがあっという間に終わってしまった感じです。友人の父親に刃物を向ける場面が1番涙腺緩みましたし。

ですが、見所やセールスポイントはそこだとしても、旅をしてからの喪失との向き合いというものが、鑑賞後の感想としては1番残っています。

はっとさせられたのは、シノイが、「このままだと良い思い出しか思い出せなくなる」(うろ覚え)と言っていたことです。確かになんというか、死んだ人に思いを向けるときは、美談ばかりに目を向ける社会の風潮と個人的な感覚があるような気がします。死んでからも悪い部分を言うのは野暮、というような感じ。ですが、どんなに親しい友人にも嫌な部分があり、それだって大切な思い出です。

シノイは、マリコを面倒くさいと思っている時もありました。目の前で、一緒にいれないなら死ぬ、と言ってリストカットする友人ですからね。重いと感じても無理ないでしょう。

でもシノイは、自分の本音も理解した上で、マリコとの思い出を全て大事にしています。そして友人を死なせてしまった自分を責めている節もあります。時々は勝手に死んだマリコに怒ります。

自分が生きている限り、身近な人の死は訪れます。その時に、どういう向き合い方をするのか。今作は、僕の中で固定化されつつあった死への向き合い方に、一石を投じてくれました。

マキオの言葉も沁みます。「もういない人に会うには、自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか」
いない人と会うために自らも命を断つこともまた一つの答えではあると思います(自殺推進ではなく、考え方の一つとして)、ですがそこれそ会えなくなるかもしれません。死の先に何があるのか、僕たちは誰も知りませんから。いいことも嫌なことも、怒りも悲しみも全て思い出として抱きとめて、生き続けることもまた、いない人と会う方法なのかもしれません。なるほど。

死体ではなく、遺骨という、友人の面影が一切なくなった物質と共に旅は進み、過去も回想されるので、より一層、喪失と無念との向き合いが強調されていたように思います。
向き合った結果、最後に、シノイの元に死んだマリコからのメッセージが届きましたね。
こっちには見せてくれないのかい!とわずかな瞬間に思いましたが、あれは、親友であり、過去と現在、全てと向き合ったシノイが見るものです。
僕たちは僕たちそれぞれで、いつか訪れる、あるいはもう訪れている喪失と、向き合っていくべきでしょう。

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