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SF小説『___ over end』⑩

 都会は情報に惑わされて混沌と化していた。
 月からの刺客に襲われる! と口々に叫びながら人々が大荷物を背負って侵略者の手から逃げようと右往左往しているのだ。しかし月から敵がくるとして、どこに逃げるのが正解なのかが誰にもわからない。車と車が道路で激突し、どこそこに逃げるべきだという主張の戦いが銃撃戦のように繰り広げられており、船も飛行機もどこに向かって動き出せばいいのかを忘れてしまったようだ。
 パニックの最中、惑うことのないはっきりとした意志を持って道を突き進んでいるのは、ルーワァが運転する車だけだ。宇宙行きエレベーターの前で車を止めると(驚いたことに、月から敵がくるかもしれないというのに、宇宙へ逃げようとしている住民も少なくはなかった)、否定的な言葉を吐き続けるアルジーを引っ張って、エレベーター乗り場に突入した。当然一般人は搭乗など許されないが、ルーワァたちはついこの前まで宇宙で活動していたのだ。訓練生用のパスをかざせば乗れる。
 乗れるはずだった。やかましい音が鳴り、搭乗ゲートは二人のパスポートを拒絶した。音を聞きつけて嬉々としてやってきた係員によって、二人はあっという間に施設の外に追い出された。
「嘘、どうして!」
「当り前だよ。だって僕たちは隊員じゃないし、もう訓練生でもないんだから!」
 アルジーはやや嬉しそうに叫んだ。
「もう帰ろう!」
 諦めきれないルーワァは辺りを見渡し、シャトル乗り場を発見した。数十台のスイカ型シャトルが整然と並んでいる。エレベーターはいかんせん本数が少ないので、人だけを宇宙に移動させるのなら小型シャトルの方が速い。最初からシャトルで行くことを思いつかなかった自分は愚か者だ。ルーワァは再び目に活気を宿らせてシャトル乗り場に突っ込んだ。ただ、シャトルで宇宙に行くことには一つ問題が……。
「アルジー、私知ってるわよ。あなた筆記テストも実技テストも最下位だけど、宇宙船の操縦だけは満点越え、クリスにすら勝っているって」
「嫌だよ!」
 切り分けられたスイカみたいな形の小型船に無断で乗り込む二人。本当に本当にアルジーが抵抗し、操縦席に乗ることを断固拒否した。
ルーワァが声を荒げる。
「つべこべ言わずに早く乗って運転しなさいよ!」
「一人で行けばいいさ、僕なんかいらないだろ!」
「そんなことしたら私死んじゃう」
「僕を連れてったって同じさ。今月面に行こうものならもれなくどこかで殺される。これは戦争なんだよ!」
「でもじっとしてられない! 月面基地が破壊されでもしたら太陽系外の開拓は後回しになる。そんなことになったら四年後宇宙で働けても意味がない!」
「だからって――」
「アルジー、月面基地には月面望遠鏡があるのよ。あなたのおばあちゃんが一生をかけて設立した」
 アルジーはうなだれた。
「私たちが守ろうよ。私には剣があって、あなたには操縦がある。このまま落ちこぼれで終わっていく人生、変えるなら今だよ!」
「わかってる。同じ気持ちさルーワァ」
「よし――」
「でも僕は怖いんだ! ……僕の両親はグリンガンとの戦争で戦死したんだ」
 早口でまくし立てていたルーワァの口が止まった。
「おばあちゃんは僕に宇宙の美しさと神秘さを教えてくれた。けれど、お父さんとお母さんが宇宙戦争の残酷さを残して死んでしまった。だから怖くて戦えないよ、ルーワァ」
 ルーワァは数秒の間、同情や申し訳なさなどといった優しく悲しげな表情を顔に宿したが、それでも彼女が乗り込んだのは後部座席だった。
「戦争を肯定するわけじゃない。でも今、夢への道の途中に戦争がある。それならば私は行くわ。その覚悟を持って宇宙を選んだ。何より、宇宙が好きなのよ。お母さんを探すという理由は確かにあるけれど……それ以前に、宇宙へ行ったお母さんの格好良さとか、お母さんはまだ誰も見たことがない世界を見ているんだな、とかいう羨ましさとか、そういうものが私を動かしているの」
 ルーワァも震えていた。
「死ぬのが怖いのは当たり前。ここで逃げても何の恥にもならない。普通の人よ。でもアルジー、私は普通の人になることの方が、死ぬことよりも怖い時があるの。普通の人が見れないような宇宙の光景を見たくない? 普通の人が行けないような宇宙の最果ての神秘さを体験してみたくない? だから今、私は戦う」
 アルジーは葛藤の大渦に飲み込まれているかのように苦しんでいたが、決断するまでにそう時間はかからなかった。彼にもまた、夢や志がはっきりとあるのだ。自分のほっぺを叩き、これまでの受動的な自分を追い払った。
「ルーワァ。僕も宇宙を選ぶよ!」
 アルジーは早速操縦席によじ登り、恐ろしいほどの手際の良さで離陸準備を行った。が、よしいくぞ、と思い立った瞬間、電子画面に赤い文字がいやらしく登場してきた。
「非認証。運転不可」
 二人は発狂した。係員が無断でシャトルを飛ばそうとした不束者を逮捕しようと走ってきた。二人は大慌てで逃げ出すが、ルーワァの目はまだ諦めていない。
「あのオンボロでいいわ!」
 指をさした先には、スイカ型シャトルにとってかわられた、旧型のパックマンみたいなシャトルが無造作に置かれていた。
「あんなオンボロで月までいけるん?」
「いくしかないわ。きっとあれなら認証とかいらないはず」
 一応旧型シャトルとはいえ、悪用されないように管理を担当している老人がいた。けれども老人の管理は杜撰で、手にはいつも酒瓶が握られているやる気のなさだ。
 走りながらルーワァはアルジーに尋ねた。
「現金持ってる?」
「余るほど!」
「よし!」
 アルジーの財布から抜き取った大金を、ルーワァは老人の手に押し込んだ。
「シャトル借りますね!」
 お金を手に入れたほろ酔いの老人ほど聞き分けのいい人間はいない。老人はニヤリと微笑み、親指を立てながら言った。
「盛大に暴れな、若者よ」
 不格好な旧型シャトルが、離陸時には不安定に揺れ、何か部品らしきものが何個か落ちた気もするが、豪快にブーストを駆けながら月面目指して飛び立った。

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