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第十章「古着」 小説『サークルアンドエコー』

 決勝戦までは二週間あった。一日だけ貰えたオフに、私は雨ちゃんを買い物に誘った。普通に買い物がしたくて友達の雨ちゃんを誘った、というありきたりな構図だ。だが、誘った私も承諾した雨ちゃんも、前回の試合が脳裏に刻み込まれていたことは確かだった。
何の策略もなかったが、二人で並んで歩くだけで知らず知らずのうちにこの不気味なぎこちなさは解決されるんじゃないかな、と私は能天気に思っていた。そもそも先日の試合で起こった二人の不具合も、ただの気まぐれのような一時的なもので、私と雨ちゃんに問題があるとは考えていなかった。少なくとも私は。
「何買いにいくの?」
「服」
「服?」
 雨ちゃんはぎょっとして訝しい目つきでこっちを見てきた。
「別に珍しくないでしょ!」
「珍しいよ! 服なんてなんでもいいっていつも言ってたじゃん」
「それは昔の話」
「皆でお祭りにいった時だって、自分だけ部活のジャージで――」
「昔の話」
「プールにいった時も水着でそのままいけばいいとかなんとか――」
「昔の話だって!」
「ついこの間の話でしょ」
「私も色気づいたのよ!」
 雨ちゃんは噴き出した。私もつられて噴き出した。二人は笑い合った。わだかまりなどない。
 今の時代、服専門の店でなくても服くらいいくらでも買える。普段は私も近場のスーパーの安い服で済ませるか、ネットで気になったブランド品をポチっと買うかで着るものを調達していた。不自由はない。ちなみに現代で主流なのは、環境に配慮され、大量生産ができ、誰でも着られる安くて無地の服。皆それを着ている。高校生の私は制服を着なければならないけれど、大学生は私服が基本だ。気になる大学のオープンキャンパスにいったことを思い出してみると、クローン人間しかいないのではないかと疑いたくなるほどに皆が皆流行の無地の服を着ている印象があった。
 私たちは電車とバスを乗り継ぎ、沿岸部へと向かった。沿岸部は、レンガ色の土と紺色の海との対比がくっきりとした灼熱の土地だ。乾いた生ぬるい海風。寂しげにじっと立つ石ころとサボテン。見捨てられた雰囲気が二時間に一本のバスを降りた瞬間に感じられ、さながら気分はタイムスリップ。寂れた地球のさらに寂れた場所。少なくても、高校生が遊びにくる場所としては、普通候補にすら入らない。
 ここには前に進むことに抵抗を示した人たちが暮らしている。ガソリンを使う車に乗ったり、鉛筆と紙を使って文字を書いたりする人たちのことだ。言い方を変えれば、流れに逆らった人や、流されないようにその場から動こうとしなかった人、とも表現できるだろう。
エリーはきっとこう言う。
「無意味ね。立ち止まることはできない。自分では断固として動かない意思を持っているつもりでも、無意識のうちに前後に足が一歩出ている。一歩でも動いたならば、円は始まる。後ろに走ろうとするのは言うまでもないよね」
 結論無駄、というわけだが、私はとりあえず後ろに進みたかった。これまで前に進みすぎた。一旦後ろに下がれば、結論は同じでも時間稼ぎにはなるかもしれない。
 小さな村があった。
 村のメインストリート。土と同じレンガ色の建物が左右に敷き詰められていて、それらは全て古着屋だった。店ごとに異なる音楽と匂い。それらが道の真ん中で混ざり合ってヴィンテージを創り上げている。店頭からは箱に入ったセールの古着や、店自慢の高価なジャケットなどが道に溢れかえっていた。
 雨ちゃんが口を大きく開けて立ち尽くしている中、私は興味を引かれた店に早速入っていった。
 匂いはもちろん、手触りから空気の味まで全てが逆に新鮮なエネルギーとして体に染み込んでいく。二〇二〇年代、二〇一〇年代、二〇〇〇年代、九〇年代、八〇年代、凄い店では七〇年代、六〇年代の品々が、かつて同じ人間が着ていたアイテムたちが、狭い空間に所狭しと並んでいるのだ。まさしく円の残骸とでも言うべき、円の墓場と言ってしまってもいい空間だが、美しい。何一つとして同じ服がない、それぞれの個性が集約されたものを、円だからと言って侮辱することはとてもじゃないが私にはできなかった。
 そこに集う人も色とりどりで面白かった。フレアパンツに赤白横縞模様のタイトな服を着た店員や、太古の王国の王女様しか着ないような腰回りがリンゴの如く膨らんだワンピースを着ているお客さん。こんなに死ぬほど暑いのにトレンチコートを着ているおじさんに、手の全ての指にターコイズが施された指輪をぶら下げ、左右の手首には十個のバングル、左右の耳には無数のイヤリングとイヤカフがついたシルバー大好き少女。軍パンにタンクトップ、グラサンのいかつい人ももちろんいたし、茶色のセットアップに革靴でキメる綺麗なファッションをしている人も多くいた。さらには……キリがない。やめよう。
ちなみに、服だけでなく古い雑貨もたくさんあった。凹んで汚れた空き缶、ヨレヨレのタオル。奇抜な缶バッチ。くたびれた持ち運び式扇風機。大破した携帯。隣にいるのが雨ちゃんではなく冬音だったら、「ゴミじゃん」とバッサリ切り捨てるだろう。そしたら私は速攻反抗する。確かに実用的ではない。空き缶には液体が入っていない、扇風機の羽は回らない。それでも、部屋の机に置いてみたらどうだろう。部屋の雰囲気は一瞬でガラリと変わる。真っ白な世界に虹がかかる。
現在の象徴である若者の私が、こうして古い歴史の虜になる。新しい発見ができた幸せと共に、私は改めてエリーの言う円の仕組みを実感した。
クレジットカードは悲鳴を上げているだろう(現金にしますか、と聞かれて戸惑った。現金って何?)。たくさん買ってしまった。ナインティーズのGジャン、シルバーでできたペンダント、コンバースのオールスター、チェコ軍の迷彩パンツ(チェコってどこ? 地球の地名なのかな)、オーバーサイズのカレッジTシャツ……。
「雨ちゃんは何も買わないの?」
 紙袋で両手が一杯になった私は雨ちゃんを覗き見た。
「うん、私はいい」
 私はこんなに楽しんでいるのに、雨ちゃんの表情はぎこちなかった。
「環菜ちゃん……」
「なぁに?」
「……」
 雨ちゃんは首を振った。
「何でもない」
 私は少しムッとしながら古着屋の外に出た。生暖かい強風が私たちの髪をぶっきらぼうに叩きつける。
 バス停までゆっくりと歩いた。
「決勝戦、私たち勝てると思う?」
 後ろを歩く雨ちゃんが聞いてきた。
「うーん、わからない」
 ちょっと買いすぎた。紙袋からベルトが落ちかけて慌てた。
「私たち、いいチームだよね」
「そうだね」
 あぁ、ハットを買い忘れた。後で買おうと思ったのに。今から買いに戻る? いや、それは面倒くさいな。
「ねぇ、聞いて」
「聞いてる」
「ちゃんと聞いてよ。私、滅茶苦茶頑張って投げるから! 絶対に試合に勝とうね」
 雨ちゃんがあまりにも真剣にそう言うから、私は噴き出した。振り返ると、雨ちゃんが懇願するような真面目な顔で両拳を握りしめていた。
 私は笑うのをやめた。
「……当たり前でしょ、私も全力でやる。私たちは勝てるよ」
 雨ちゃんはようやく笑った。無理して笑顔を作っていた?

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