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第十一章「理屈」 小説『サークルアンドエコー』

 そういえば、季節でさえも必ず夏からは秋になる。秋からは冬にしかならない。この時代でも日本には辛うじて四季があった。
「それでも美しいよね」
 私がそう言うと、エリーは肩をすくめた。
「それでも悲しいわ」
 三年生が卒業したら一年生が入ってくる。一年生が二年生になったら、二年生は三年生になる。
「当たり前よね」
「当たり前でしょ」
 エリーは非難がましく言った。
 戦争、戦争、戦争、戦争。歴史の教科書を開けば人間はいつも争ってばかりだ。殺し殺されてばかりだ。
「でも今はどこの国も戦争はしていない!」
 私は胸を張って言った。エリーは私ほどに楽観主義者ではなかった。
「前の時代の戦争を反省しているからね。でも、今の時代で偽物の平和に辟易している人は、きっと次の時代の理想に戦争を掲げるわ」
 生物は進化をしてきた。突然変異で自然に適応できた個体が生き残り、そうでない個体は死んでいく。
「一匹の魚、一羽の鳥、一人の人間、という狭い視点で見るのなら、結局は死ぬという小さな円が繋がっているに過ぎない。……環ちゃんもわかるでしょ?」
 私は頷きながら身震いした。震える私の肩をエリーがさすると、私は現在に戻ってくることができた。安堵のため息をつく。
「地球の生物という観点でみるのなら……わからない。多分私たちは巨大な円のどこかにいるのだろうけれど、結末を知らないからどの地点にいるのかわからない」
「もしかしたら、次の人類の進化形は微生物かもしれないってこと?」
 エリーは噴き出した。
「飛躍しすぎ……でも、理屈的にはそうね。あるいは、地球上の生物が段階的に絶滅していき、無の状態に戻るとか」
「こわ」
 私たちは朝早く学校にきて、誰もいない教室で言葉を交わした。授業後にも、誰もいなくなった教室を探して入り込み、喧騒のないゆららかな時間を堪能した。隣の席に座って話すこともあれば、敢えて離れて座ることもあったし、机の上に座ってみたり、同じ椅子に座って落としあったり。
 ある日、エリーは自分のことを話してくれた。
「私はとりつかれているのかもしれないわ」
「どうしたの急に」
「最近そう思うようになってきた。円を受け入れて、普通に暮らすことも昔はできていた気がするの。でもいつからか、できなくなった。……最初はただ、皆と同じが嫌だっただけだと思う。同じ服、同じ話題、同じ笑顔。皆が目指す平凡よりは皆から嫌われる悪者になる方がマシだとも思った」
「異端児になりたかった?」
「異端児というよりも、太陽とか、神様とか、お母さんになりたかった」
「なにそれ」
 私たちは笑い合った。
「環ちゃんと出会ってわかったことが一つある。それは、私だけじゃなく、全ての人がとりつかれているのだということ」
「何にとりつかれているのよ」
「そのことに気がついているか否かの違い」
「ねぇ、何にとりつかれているの?」
「ダメ、ダメ。それを私の知っている言葉で表現したら、いつもの感じになっちゃう」
「え?」
「始まりに言葉を与えなければ、終着場所がわからずに通り過ぎてしまうかもしれない」
「え?」
 エリーはもうその話をする気はないようだった。私が何度「え?」と言っても、黙って何も書かれていない黒板を見て、その下に群がるチョークの粉に嘲笑を向けた。  
私は少しムッとして、エリーにくすぐりをしかけた。思いの他エリーはくすぐりに弱くて、高い声を上げて笑い転げた。
「ちょ、ちょっとやめて!」
 やめない。椅子からずり落ち、涙を流して笑い続けるエリー。本当に可愛らしくて、永遠に続けようかと迷った。美しさとはまた別の彼女の魅力が出ていた。むしろ、本来の魅力というべきかもしれない。初めて聞いた笑い声と初めて見た盛大な笑顔は、私たちのそれより絶対に似合っていた。
「お願い、もうやめて」
「もっと可愛く」
「なによ、可愛くって」
 くすぐりを加速させた。
「わかった、わかった……環ちゃんお願い、やめて」
「いいでしょう」
 私はようやくエリーを解放した。エリーは肩で息をして涙を拭いていた。
「何をしているんだか」
「環ちゃんが始めたんでしょ!」
 エリーはぼさぼさになった髪を直しながら怒った。頬が火照っている。
 私には少しずつだけれど、解決策のような心のありどころがわかり始めていた。

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