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恋と禁忌の述語論理

私は比較的、読書をよくする方ですし、まーまー幅広いジャンルに手を伸ばします。趣味の一環でもあるので基本的にビジネス本などではなく、小説を中心に読む本をチョイスします。ですが、ミステリー小説はほとんど読みません。理由は特にはないのですが、子供の頃はアガサ・クリスティーやシャーロック・ホームズ、松本清張にどっぷりハマりましたし、特に横溝正史の作品にはのめり込むようにおどろおどろしい物語を読み続けた覚えもあります。元々は決してミステリー嫌いではありませんが、読書は人生の間接体験としての位置付けなので、年齢と共に不可解な事件にドキドキしたり、謎解きを終えてスッキリしてもしょうがないと思うようになったのかも知れません。

オススメ本に素直に応える

そんな私が久しぶりにミステリー本に手を伸ばし、現在熱心に読み進めています。理由は単純に面白いから、と子供っぽい理由からですが、きっかけは知り合いがSNSに投稿していた最近読了した書籍の写真を見て、哲学の入門書の中にオタクっぽい?香りがするタイトルのミステリー本が混じっているのを発見し、興味を持ったから。
最近の私は日本の気鋭の哲学者による肩肘はらない哲学のついての著書を読むことが多くなっています、時代の大きな変わり目には時代の荒波に翻弄されない軸を固める必要を感じているのと、古典ばかりではなく、新しい時代にあった知見に触れたいとの思いです。例えばアナーキストを自認する哲学学者のこんな本。これも面白い本でした。

そんな流れで、SNSで流れてくる哲学系の書籍の投稿には敏感に反応するようになっているのですが、その中に異色のジャンルの本が混じっているのを見て、興味をそそられた次第です。何より、基本的に、尊敬する人や話が合う人が紹介する本は全て読むのが私の基本姿勢ですし。

ミステリー小説の新しいカタチ

今回手に取った「恋と禁忌の述語論理」は私のこれまでのミステリー小説に対する見方を一新するというか、こんなフレームでミステリー小説って書かれるようになったのか!と大きく衝撃を受けました。そもそも、学のない私にとって、「論理式」とか「数理論理学」なんて単語はまるで縁のなかったあっち側の世界の言葉で、冒頭にヒロイン?のセリフにあった「論理学は全ての人間の思索活動の頂点に立つもの」との言葉を読んで衝撃を受けました。そんな定義というか概念があることを知らなかったし、知らぬまま歳を重ねてきたことに対して不安を抱きました。
小説の内容としては、大学生の主人公が親戚で才色兼備の数理学者に自身が巻き込まれた事件の真相解明のための相談をして、その彼女が数理論理学の定理に当て嵌めてその事件を検証する、犯人の動機や心情などは加味せず、単に事実から導かれる公理を積み重ねて、解を示す一連の流れがLessonとして繰り返されます。このようにまとめると面白くもなんとも無さそうですが、登場人物のキャラ設定が非常に丁寧にされており、その部分だけでも強く引き込まれる構成になっています。とにかくこれが非常に面白く、すっかりハマりました。続編を期待してしまうくらいです。

人間の思考を支配する法則

ミステリー小説でありながら、数理論理学とは何か?との説明から丁寧にしてくれるあたりは、ミステリー小説の体裁を整えながら書かれた論理学の入門書の側面さえ感じられます。論理思考というと、ロジックツリーで思考やタスクを整理するビジネス研修で行われるロジカルシンキングを思い浮かべますが、この本では「論理学の目標は人間の思考を支配する法則を明らかにすること」と定義が示され、その例題として、殺人事件の解明が繰り返されます。人間の思考を整理するのに使う論理記号の基本を「かつ」「または」「ならば」「否定」の4つに集約し、一見複雑に見える事象を記号を使ってシンプルに整理し、解を導く様は私にとって目から鱗でした。そして、それは実は当たり前の思考の繰り返しであり、当たり前のことが当たり前に行われないこの世の中は(私のように)論理思考を体得していない人が殆どだからではないか?との仮説が思い浮かびました。

人類が持つべきリテラシー

あまり細かな内容を書くつもりはありませんが、論理学の基本として『古典論理』から排中律(Aであるか、Aでないかのどちらか)を公理から消す、『直観主義論理』(事実を真っ直ぐに観る)、さらに普遍的な真理(必然的命題)と、時間の経緯や状況が変われば変化を起こすある条件下でのみ成り立つ真理(可能的命題)をしっかり区別して考える『様相真理』と論理学の進歩発展の流れを分かりやすく解説されていたのと、それが殺人事件のトリックの解明という分かりやすい事例にまとめられていたのには舌を巻きました。
世の中に向き合う姿勢、在り方や見方として、論理的思考が全てではないと思います。そもそも、人間は感情の生き物で、論理的に理解できたとしてもその通りに行動することは決して多くなく、どちらかというと、気が向いたからと行動します。しかし、人類の現在の隆盛は長い歴史を積み重ねてきた文明の進化と蓄積であり、その土台の上に成り立っています。その土台の大きな部分を占めるのが三段論法を代表選手とする論理思考であることは間違いありませんし、法治の理念さえも理論構造無くしてあり得ません。

その前提条件は真であるのか?

この数理論理学を紐解く小説を読んで、感じたのは、構造のまず初めに設定する公理が真であることの重要性です。この部分を見誤ると全てのロジックは成り立たず、間違った解を出してしまいます。しかし、私たちが日常を過ごす生活の中に、真なる公理がどれだけ定義されているかを鑑みると、非常に頼りなく思えてなりません。それは、人によるあらゆる行動が一応、選択されて行われると考えた時、その根本の公理は定まっているのか?との問いに置き換わります。例えば、企業は社会の公器であり、社会に存在する課題を解決しなければならない。との命題は解としての事業計画、もしくは実務に反映されているのか、他にも、世界平和は人類が目指すべき理想である。誰もが取り残されない社会を作らなければならない。人命は何よりも重く、最優先にしなければならない。このままの環境破壊が続けば地球に住めなくなる。職人育成に取り組まなければ、建築業界は破綻する。等々、これらは私にとっては公理であり、当然、そこから論理的に思考を積み重ねて、解決策を計画に落とし込んで事業を進めています。しかし、一般的には公理として設定されていない企業が圧倒的に多いのが現実です。

当たり前のことを当たり前に行いたいあなたに

要するに、今の日本には論理思考が行き渡っておらず、最初に設定すべき大前提を有耶無耶にしたまま正確な判断をせずに、周りがやっているから、今までの流れがそうだったから、慣習で、と良し悪しの判断をすることなく、行動に移ってしまっていることがあまりにも多い気がします。国の政策も、地域の行政も、団体の事業計画も企業の経営も大前提となる公理が真ならば、そしてその真を実現する論理的整合性が担保されているならば、もっとこの世界はもっと良くなるのではないかと思うのです。「公理から推論規則を使って結論を導く。」そんな当たり前のことが全くと言って良いほど実際の世界では行われていないと感じます。
この世界では、当たり前のことが当たり前に行われていない。そんな想いを抱く人全てに、楽しみながら「人間の思考を支配する法則を明らかにする」論理学の世界を覗くことができるこの作品をご一読されることを強くお勧めします。

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ロジカルシンキングとその大前提の公理となる志を立てる研修を行っています。

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