時がきた
昨年7月に、合同会社syuz'genという会社に入社した。
それまで私は、ものすごく省略すると、超モラトリアムに学生の延長で小劇場で演劇をやって、いろんな人と出会ったり別れたりして、地元にUターンして、なんとか人のご縁で公共劇場の職員をしていた。
自分の好きだと思える演劇で仕事をできればなんでもよかった。おそらく恋愛でいう依存のように舞台の世界に「自分」を置くことで「何かの生きる意味」みたいなものを実感しようとしていた。
と、思っていたけれど、この会社では
「Meプレゼン」…自分の今までの人生を15分でプレゼンする
とか
「1 on 1面談」…月に一回、代表とOKRの進捗状況や自分の課題を自分の言葉で話して壁打ちをする日
があって
「自分はなんのためにこの世界にいるのか?」ということを常に問われる。
その度に手が止まる。
今の今まで、自分が実現したいことなんて言葉にしたことがなかった。というか、言葉にすることが怖かった。
圧倒的に「自分」を表現することが得意な人が多い交友関係のなかで自分をちっぽけに感じていたから?
そうじゃない。
多分、譲れないものを否定されることが怖かったから、だと思う。
別にそんなことしなくたって生きてはいけるし、逃げてもいい。それなりの経験でそれなりにやって行けるし、それでも幸せだし、どちらもいい悪いでは測れない。
でも多分、それを選択する人はこの会社は選ばない。面接のために書いた「これから30年先のビジョンを教えてください。」という課題の時点でやめていると思う。
でも、なぜか私は、そのビジョンを書いて、1年たった今もここにいる。
「アウトプットが詰まっているから、インプットできないんだと思います。でも、あなたにはすでに『ゆずれない世界』がある。けれど、それに無意識だから苦しい。アウトプットの『時がきた』んだと思います。」
代表のマティッコ先輩から1on1で言われた。
今まで自分がやってきたことの中に「自分のゆずれない世界」なんてないと思っていた。しかし、無意識にその価値観を体現する行動をしていた。
富山にUターンしたとき
富山を再び出るとき
水戸で働きはじめたとき
水戸を離れる決意をしたとき
syuz'genをTwitterで見つけた時
全部の大きな節目で私は「自分のゆずれないもの」のセンサーを発動させて、それを実現するため、無意識に精一杯だったと思う。
言葉にしないと人に伝わらない。
水戸芸術館を辞めるとき、朗読スタジオの生徒さん(人生では大先輩)が、私に紙芝居を作ってくださった。
悩んでいたときに私の言葉で救われ「救世主です。」と伝えてくださった。私は、その言動に対しても特別感をもっていたわけではないので、言葉にしてくださって初めて心に残れたことを知ることができた。「ジャンヌ・ダルク」という表現にも私が無意識に戦っていたことが現れている。
その方に投げかけた「精一杯サポートします。どんなときも味方でいるので信じて欲しい。」という私の言葉には『誰ひとりおきざりにしない』強い意思があったし、全員の生徒さんに同じ気持ちで接していたことが伝わって本当によかったと思った。
『誰ひとりおきざりにしない、誰もが楽しめる場所』
これが私の目指すこと。
もしかしたら、その強い意志で無意識に傷つけてしまった人もいるかもしれない。
言葉にしないことで実現できる世界を小さくして、誰かをおきざりにしてしまっているかもしれない。
だからこそ「なんで?」を今、言葉にしたい。
私の「ゆずれないもの」を発信することで少しだけ世界は変わるかもしれない。
私はアウトプットする「時がきた」んだと思う。
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