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期待は搾取の前兆かもしれない

うわ〜先方の期待に添えてないぽい〜
って思ったらめっちゃ凹みませんか?

私は動悸がするほど焦るし凹みます。

なんでできなかったんだろう〜
努力が足りなかったのかな〜
もっと頑張ればどうにかなったのかな〜

などなど考えて凹みます。

だけど、相手の期待度合いによっては、そこまで頑張らなくてもいいかもしれない…と最近思いました。期待してもらえるのは、もちろんありがたいことなのですが…。

期待に添えなかったのが申し訳なくて、次こそと思って努力するじゃないですか。仕事の時間内でどこを変更すればよかったのか、考えに考えて答えを出して。

それもだめだったら、別なやり方を検討する。
ここらへんで納得してもらえるとよいのですけれども…。

それもこれもあれもだめなら、自分の時間を犠牲にして取り組むしかありません。よくないけど、プライベートの時間を割いて努力して、無給で仕事のことをする人って少なくないと思います。
でも、そうしているうちに精神はどんどん削られますよね…。

期待に応えるためには色んな方法がありますが、大きすぎる期待は時に心を壊すような気がしてます。
大きな期待に対する努力は、途中で何かがおかしくなり始めるような。

もちろん努力は自分のためになりますが、それが自分の人生の軸なのかどうかってことが重要じゃないでしょうか?

例えば会社でもっと昇進するのが目標で、そのために必要なことなら、それは意味のある努力です。
だけど、アイドルの推し活が生き甲斐で、そのためにお金を稼ぐなら、時間もお金も精神もけずられる行動に意味はあるんでしょうか?そこまでする意味はあるのか…と。

その大きな期待は個人の搾取で、自分にとってあまりメリットがない可能性もあります。というか人の生活にも目を向けてくれないような相手に搾取されるのって、単純に腹立ちますよね。

長い目で見れば無駄な努力はないけれど、タイパなんて言葉で時間の価値が見極められる現代では、どこで努力すんのかってことも重要じゃない?って思ったりしました。

だから大きな期待を向けられたら、闇雲に努力はせず一回立ち止まって考えます。この相手からの期待には、どのくらいまで応えられるかなと。
自分にとって、この期待に応えることはいかほどの価値があって、努力をしたときにどんな気持ちになるかなと想像します。

自分の人生で大切にしていることや、目的・目標から離れることなら、無理に応えない。

そうやって考えたら、努力したけど期待に応えられなかったときも、そんなに落ち込む必要はないような気がしています。

「まぁこの期待なら、それ相応のお返しはできたんじゃない?自分。」
と、褒めてやっていいこともあるはずです。

こんなこと言ったら世間の偉い人たちからは怒られちゃうかもしれませんが、自分軸で生きるためにはそう思う自由を持ちたいです。

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