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緊急時のリーダーシップ|欧米型vs日本型

コロナは全世界が一斉に直面した共通の危機です。各国の対応を見比べるとその国の特徴がよく顕れていると思い、各国の対応をなるべく追ってきた数ヵ月でした。

特にそのとき「リーダーシップとは何か」というテーマに関心を寄せて勉強していたので、そんな切り口から、私が学んだことをまとめます。

欧米流・危機対応下で発揮すべきリーダーシップ

アメリカMBAに行った方が「リーダーシップに関する研究の蓄積量が日本の比にならなくて、MBAでは特にリーダーシップについて本腰を入れて勉強した」と言っていました。

私個人の経験からも確かにリーダーシップについて学びたいなら、欧米の文献に触れると分かりやすく、参考になる印象があり、コロナ下で「危機対応におけるリーダーシップ」についてどんなことが大事と語られていたか注視してきました。

ということで早速見てみましょう。

BBCの”Covid-19: What makes a good leader during a crisis?”をまとめるならば、望ましいリーダーの姿は下記のようになると思います。

個人が自由の制限などの我慢を強いられることになっても、政府の判断に従うように説得する。その説得のためにはリーダーとフォロワーの間の信頼関係の醸成が重要であり下記のことが役に立つ。

a. 科学やデータに基づく説明や戦略を伝えること、
b. 我慢を強いられる国民への思いやりと共感による寄り添いの姿勢を見せること、
c. 危機を素早く認識し、問題が何であるか明確にし、不確実性を認める、といった透明性・オープンさを示すこと。

強制によるコントロールと、各自の自由意志による協力の正しいバランスを定め、説得を通して危機的状況をみんなで一緒に乗り越えるように人々を団結させる。

実際のコミュニケーション事例から学ぶ欧米流リーダーシップ

この欧米流リーダーシップをコミュニケーションの観点で実例を見てみましょう。お手本と捉えられるのが、当時話題になったメルケル首相のテレビ演説です。

上に書いたフレームワークに沿って演説の内容を見てみます。

a. 科学やデータに基づく説明や戦略を伝えられているか?

現在、世界中で急ピッチで研究が進められていますが、未だ、新型コロナウイルスの治療法もワクチンも開発されていません。
こうした状況において、あらゆる取り組みの唯一の指針となるのは、ウイルスの感染拡大速度を遅くする、数カ月引き延ばす、そして時間を稼ぐということです。時間を稼ぎ、研究者に治療薬とワクチンを開発してもらうのです。同時に、発症した人ができるだけよい医療を受けられるようにするための時間稼ぎでもあります。

b. 我慢を強いられる国民への思いやりと共感による寄り添いの姿勢を見せられているか?

(各種感染症対策の)これらを実際に実行するのが私たちにとっていかに大変なことか、私も承知しています。困難な時期であるからこそ、大切な人の側にいたいと願うものです。(…)しかし残念ながら現状では、(…)距離を置くことが唯一、思いやりなのだということを、本当に全員が理解しなければなりません。(…)
不要な接触を避けることは、感染者数の増加に日々直面している全ての医療機関関係者のサポートになります。そうすることで私たちは命を救っているのです。接触制限は多くの人にとって厳しいものであり、だからこそ、誰も孤立させないこと、励ましと希望を必要とする人のケアを行っていくことも重要になります。(…)
ウイルスが社会に与える影響に対し、さまざまな形で立ち向かおうとする創意工夫が見られます。おじいさん、おばあさんが寂しくならないよう、ポッドキャストを録音してあげるお孫さんなども一例でしょう。
(…)買物に行けない高齢の人を近所の人が支援する活動など、すばらしい取り組みの例を耳にしますし、きっと他にもいろいろできることはあるでしょう。私たちは、互いに置いてきぼりにしないという共同体の姿勢を見せていきます。

c. 危機を素早く認識し、問題が何であるか明確にし、不確実性を認める、といった透明性・オープンさを示せているか?

事態は深刻です。皆さんも深刻に捉えていただきたい。ドイツ統一、いや、第二次世界大戦以来、我が国における社会全体の結束した行動が、ここまで試された試練はありませんでした。
どうか、今後しばらくの間適用されるルールを守ってください。政府としては、再び戻せるところはないかを継続的に点検していきます。しかし、さらに必要な措置がないかについても検討を続けます。
事態は流動的であり、私たちは、いつでも発想を転換し、他の手段で対応ができるよう、常に学ぶ姿勢を維持していきます。新たな手段をとる場合には、その都度説明を行っていきます。

安倍総理の緊急事態宣言時の記者会見も見てみましょう。

a. 科学やデータに基づく説明や戦略を伝えられているか?

 (医療現場を守るためにあらゆる手を尽くすといった)努力を重ねても、東京や大阪など、都市部を中心に感染者が急増しており、病床数は明らかに限界に近づいています。医療従事者の皆さんの肉体的、精神的な負担も大きくなっており、医療現場は正に危機的な状況です。現状では、まだ全国的かつ急速な蔓(まん)延には至っていないとしても、医療提供体制がひっ迫している地域が生じていることを踏まえれば、もはや時間の猶予はないとの結論に至りました。(...)
 医療への負荷を抑えるために最も重要なことは、感染者の数を拡大させないことです。そして、そのためには何よりも国民の皆様の行動変容、つまり、行動を変えることが大切です。

b. 我慢を強いられる国民への思いやりと共感による寄り添いの姿勢を見せられているか?

この2か月で、私たちの暮らしは一変しました。楽しみにしていたライブが中止となった。友達との飲み会が取りやめになった。行きたいところに行けない。みんなと会えない。かつての日常は失われました。ただ、皆さんのこうした行動によって多くの命が確実に救われています。(...)一人でも多くの重症者を死の淵(ふち)から救うことができるのか。皆さんを、そして皆さんが愛する家族を守ることができるのか。全ては皆さんの行動にかかっています。改めて御協力をお願いします。
9年前、私たちはあの東日本大震災を経験しました。たくさんの人たちがかけがえのない命を失い、傷つき、愛する人を失いました。つらく、困難な日々の中で、私たちに希望をもたらしたもの、それは人と人の絆、日本中から寄せられた助け合いの心でありました。今、また私たちは大きな困難に直面しています。しかし、私たちはみんなで共に力を合わせれば、再び希望を持って前に進んでいくことができる。ウイルスとの闘いに打ち勝ち、この緊急事態という試練も必ずや乗り越えることができる。そう確信しています。

c. 危機を素早く認識し、問題が何であるか明確にし、不確実性を認める、といった透明性・オープンさを示せているか?

<該当箇所なし>

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時間があれば、ぜひ全文通して読むか、動画も見比べてみてください。どちらの方が心に響きましたか?

メルケル首相と安倍総理のスピーチの構成要素自体はほぼ同じなので、心に響くスピーチであるかそうでないかの差は紙一重だなとも思いつつ。安倍総理のスピーチについてまとめると;

a. 「科学やデータに基づく戦略や説明」に関して「科学的予測に基づいた戦略」というより、事実として既に起きてしまっている問題に対しての対策を述べているため、場当たり的な対応に見えてしまいます。全体を通して具体的な指示が多い一方で「根拠」「何を目指しているのか」が見えにくく、私には分かりにくかったです。

b. 「国民への思いやりと共感」に関して「個々人の大変さに対する共感」というより、「国家的な危機に対し国民一丸となって闘おう!」という全体主義的なニュアンスに聞こえます。

c. 「透明性・オープンさ」に関してはもはや該当箇所が見つけられませんでした。むしろ、例えば下記のように「1か月に限定して自粛をお願い」と終了期間を言い切っており、不確実性を積極的に否定する構成になっています。

ゴールデンウイークが終わる5月6日までの1か月に限定して、7割から8割削減を目指し、外出自粛をお願いいたします。


実は、この構造は政府に限らず、民間企業のレベルでも観察できる事象でした。タイで自粛期間を経験した私は、タイのヨーロッパ系の会社、日系の会社で働いている友人に企業のリーダーから語られたことをそれぞれ聞いたところ、下記のようなコミュニケーションがあったという話を聞き興味深かったです。

ヨーロッパ系の会社のリーダー
「従業員の命が何より重要だから、タイの従業員は原則全員在宅勤務を開始することにした。ただ前線の工場部門は出社を続けてくれている。彼らの勇気に感謝しよう(従業員の前で感涙)。会社として、彼らの感染防止と健康を守るためにできる措置は全てやる。」

日系の会社のリーダー
「(日本にある本社は在宅勤務に移行するけど、タイにある工場は稼働しないといけないので)日本の産業を支えているということを誇りに思って務めてください。」

リーダーのコミュニケーションに対するアプローチが、メルケル首相・安倍総理のスピーチの対比とそっくりじゃないですか?

しかし、日本はリーダーシップは「得たい結果を得るための手段の一つに過ぎない」ことを証明した

では、リーダーシップが優れていない限り危機は乗り越えられないかというと、そうではないな、というのが日本の第一波を見ていた印象でした。

日本は他国と比較して相対的に緊急事態宣言を出すのが遅かったにも関わらず、かつほとんど法的拘束力を持たない自粛主導の緊急事態宣言であったにも関わらず、第一波を乗り越えました。同時期のタイでは人が多く集まる業態への休業命令、夜間外出禁止令、さらにアルコール販売全面禁止など、罰則の伴う命令をどんどん出されていたので、そんな中から日本を見ると「全く拘束力ない自粛ベースでもちゃんと人々は言うこと聞くんだ…」という驚きがありました。

このことを日本人の友人と話すと、
「リーダーシップはコロナの早期終息という結果を得るための手段に過ぎない。逆にいうと、同じ結果が得られるならばそのアプローチはリーダーシップでなくても良い。例えば、カリスマリーダーがいるとかえって現場が思考停止して組織の持続可能性が損なわれるというケースもビジネスの現場で目にしているから、リーダーがいないというのも、組織の選択肢になり得るのでは」
「現場も含めて色々なところにリーダーがいる、ボトムが強いという状態が日本の伝統の中にもともとあり、実は最近アメリカもそのようなリーダーシップのあり方に注目し始めている」と言ったコメントをいただき、納得しました。日本は権限の強いリーダーが強力に国家を導くというより、むしろ強いリーダーシップがないことを前提に社会が成り立っていて、現場が実行を支えているのではないでしょうか。

一方、なぜ欧米でリーダーシップ理論が発展したかというと、下記の社会背景が寄与しているのではないかと想像します。
・ヨーロッパ:社会階層がはっきりしており、エリート階層が「ノブレス・オブリージュnoblesse oblige」の意識を持っている
・アメリカ:社会的・経済的に成功(アメリカンドリームの達成を)することへの社会的憧れが強く、その中の方法論の一つとしてリーダーシップへの関心が高い

リーダーシップを強力に持つ個人が現れることを前提とした社会の欧米だからこそ、豊富なリーダーシップの研究の歴史がある、ということかもしれません。

リーダーシップが弱い社会・日本の弱点とは?

ただ、リーダーシップが弱い社会の弱みは何かだけは、自覚しておいた方がいいと思います。

リーダーがいることの強みは、リーダーに情報を集中させて、リーダーが決断をし、その影響力を使って情報伝達を主導できることです。これは上手くやれば最も時間効率が高いアプローチだと考えられます。

と言うことは、リーダーシップが弱い社会の弱さが露呈するときは、「環境変化の速度が速く、素早い対応が求められる」ときになると推論できます。日本では、多数決を重んじるため決断に時間がかかったり、前例がないことは進めにくかったり、なるべく後から問題が起きないように計画的に行動したりしますよね。この慣習が「環境変化に素早く反応し適切に対応する」ことが望ましい局面においては、裏目に出てしまうのではないでしょうか。

この考えは、「失敗の本質」にあまりに同じことが書いてあって私の中で確信に近いものになりました。

平時において、不確実性が相対的に低く安定した状況のもとでは、日本軍の組織はほぼ有効に機能していた、とみなされよう。しかし、問題は危機においてどうであったか、ということである。危機、すなわち不確実性が高く不安定かつ流動的な状況(…)で日本軍は、(…)有効に機能しえずさまざまな組織的欠陥を露呈した。(失敗の本質より)

(ついでに私個人の体験ともリンクして、二重に驚きました。)

(逆にリーダーシップが強い国で悲劇が起きるのは「不適格なリーダーを選出してしまったとき」ですね。どこの国とは言いませんが。)

そんな日本にとって常に変化するコロナの状況は試練ですが、第二波も、日本流のアプローチでまた迅速に乗り切れることを祈ってます。

最後に、ボトムの力を信じる手法をとったスウェーデンの事例も面白かったので、リンクを貼っておきます。


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