私の冷蔵庫
18歳で上京したときに母が買ってくれた、自分の身長よりも小さな冷蔵庫を、私は14年間使っていました。
その冷蔵庫は、「1人より多くてもダメだし、少なくてもダメ」みたいな、まさに1人で暮らす人のためだけに作られたといった具合に、私の生活にもしっかりと馴染んでくれていました。
14年も使っていると、中板が割れてしまったり、なにが溢れたのかわからない汚れが固まったまま取れなくなってしまっていたりと、それなりに不具合もありましたが、冷蔵庫が果たすべき「冷やす」という点においては、何の困り事もなく役割を果たしてくれていたように思います。
そんな思い出いっぱいの小さな冷蔵庫でしたが、ついにこの春買い替えることにしたのです。
買い替えると決めた瞬間、途端に冷えが悪くなりました。
冷凍していたはずのご飯が少しばかり柔らかくなっていたり、冷蔵庫の中に入っているものも常温になっていることが度々ありました。
困った私は、ひとまず冷蔵庫に優しくしました。
冷蔵庫に優しくするって意味がわからないと思うのですが、もちろん私も意味がわからなかったので、とりあえずたくさん声をかけてみました。
「今日も冷やしてくれてありがとう」
「買い替えることになってごめんね」
「あとちょっとだけでいいので冷やしていただけませんか?」
声をかけているうちに、図らずもこれまでに感じたことのないほど【私は今この冷蔵庫と共に暮らしているのだ】と実感することとなりました。
冷蔵庫のご機嫌を伺いながら過ごした最後の1ヶ月は、それなりにいい思い出になったように思います。何とか、最後まで役割を果たしてくれて、私は14年間共に過ごしたその冷蔵庫とお別れしたのです。
新しい冷蔵庫は、私の身長よりも大きくて、家族で暮らすならば小さいけれど、氷が作れてアイス用(だと私が勝手に思っている)の小さな冷凍室もあるという、私にとっては幸せいっぱいの冷蔵庫でした。
新しい冷蔵庫がうちに来た日、配達員の方が運び込んでくれたピカピカの冷蔵庫を見て、思わず涙が出そうになりました。
誰に見られているわけでもないけれど、新しい冷蔵庫を見て泣いているちょっと不思議な女にはなりたくなかったので、我慢しました。
母に写真を送って「よかったねえ」と言われて、私も本当によかったなあと思いました。
そして私は、この日を絶対に忘れないぞと心に決めました。
14年間可愛らしい小さな冷蔵庫と暮らしたことも、新しいちょっと大きな冷蔵庫を見ながら涙を堪えたことも、絶対に忘れないようにしようと思いました。
もしかすると、こういう小さな喜びを忘れないってことが日々の幸せにつながるのかもしれないなあと、なんとなく思いました。
大きな冷蔵庫を手に入れた私は、数ヶ月経った今でも何の用もないのに冷蔵庫の扉を開けるなどして、喜びを噛み締めることが度々あります。
こんなに大きくて埋まるかな〜と思っていたスペースはあっという間に埋まり、調子に乗ってアイスも何種類か住まわせています。
【私の家にはちょっと大きな冷蔵庫がある】
きっとそれほど大したことではないはずのその事実が、自分をこんなにも勇気づけてくれるなんて思ってもみませんでした。
私はこの冷蔵庫を大切にしようと思います。
そして、壊れるまで一緒に暮らそうと思います。
自分の身長よりも小さかった、あの冷蔵庫みたいに。
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