父の記憶 その①

私の父は6年前に突然亡くなった。

自殺や死のニュースが多いこのごろ、ふと父の死が頭にめぐる。

今日友人の死に対して、まだ受け止めきれないとか消化しきれないというのをコメントしている人をみた。

大切な人の死は受け止めきれなくていいし、時間が解決するものでもない気がする。
ただ日常はただただ過ぎていくから、精一杯生きて忘れずに覚えていることしか生かされている側はできないのかもしれない。

大切な記憶をメモリーカードに残すとか、できたらいいのに。忘れていく生き物はつらい。
でも悲しかった、辛かった喪失感の記憶は薄れて、
優しかった記憶が強く残っていたりする。

小さい頃から父は娘の私に対して甘々だった。

塾の帰りに好きなものを内緒で買ってくれる。
お小遣いを渡してくれる。
部活まで朝早い中、いつも仕事前に車で送ってくれた。
ソファで寝落ちしてると毛布をかけにくる。

優しすぎるほど、優しい。
人に嫌われたくない。
なんでも受け入れて愚痴を聞いてくれる。
応援してくれる。
車の助手席が今でも思い出。いつも朝、甘ーい缶コーヒー飲んでて、コンビニで代わりに買ってあげてた。

そんな人。

ストレスの処理が下手で、ミイラみたいにガリガリで、たばこを四六時中吸っている。パチンコにお金を費やしてしまう。
お金がないのに、人に使ってしまう。
借金を作ってしまう。

そんな人。

小さい時は借金問題で、夫婦喧嘩が度々起こり
子供部屋に弟と逃げていた。
お願いだからもう喧嘩しないでって毎回思っていた。

年をとってからは、パチンコこそしなくなったが、
定年退職した後は基本的に家のリビングでずーっとダラダラ。体調もあまり良くなさそうだった。

体調管理もろくにせず、仕事人間だった父がグータラしはじめ、咳がよく出るようになりさすがに痩せすぎが心配すぎて、お願いだから病院に行ってくれと大学生の頃から口酸っぱく言っていたが、一度も行ってくれなかった。大の病院嫌い。たぶん結果がよくないことは目に見えていたからだ。

いつからか、私はそんな父に呆れて、
遅れてきた反抗期のように父を嫌っていた。
社会人になり仕事をやめた後
母と二人でイタリア旅行に行き、帰国後に迎えに来てくれた父をひたすらに無視していた記憶が鮮明にある。嫌悪感があった。
なんで体調を心配しているのに言うこと聞いてくれないの。ご飯ちゃんと食べたりしないの。強い心配の裏返し。ひどいやり方。

この態度は娘が大好きだった父にも相当ストレスだったんじゃないかと思う。

その約半年後、4月1日。

新しい職場で、新しい部署で慣れない仕事を始めたばかり。代官山からの帰り。

仕事終わりに、プラットホームで携帯を見ると、
めったにメッセージを打たない母が
片言のめちゃくちゃな日本語で送ってきていた。

とうしよ、父さん倒れた
救急車でびよういん

すぐやばいことが分かった。

電話したら、泣き崩れている母がいた。
頭は真っ白。

病院へ向かうタクシーではこわくて
泣きじゃくっていた。

病院に着くと、もう意識不明の状態で
処置を受けていた
泣いてパニック状態の母。
自宅で突然倒れたらしい。

おばが来ていて、医師にも説明をうけるも
色々うにゃうにゃと言われたことしか分からず
全く頭に入ってこない。

意識はもう戻らないかもしれないうんぬんかん、何か治療法を選択してくれ、ただ助かる可能性は低い的なことを言われたけどそれもほぼ記憶がない。お疲れだと思うので一旦ご自宅に帰ってくださいと言われ、何かあれば連絡します。と言われる。

家に帰るも、その数分後に状態が悪化したので来てくださいと電話がありトンボ返り。


体力的に、もうどうすることもできなかったようで、
そのまま母と二人でだんだん弱くなる心音と共にいかないでと手を握り続けて、父は旅立った。

60歳。


とんだエイプリルフールだ。


 

嘘だと言ってくれよ。


つづく

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