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救助者の心理的ストレス

前回から読む方は、こちら。

(注:本記事は、一般人が、救命の現場に居合わせて感じたことを共有することが主目的です。また、人の生死にかかわる非常にセンシティブな内容が含まれます。)

これでよかったのかという不安

事件の起きた日は、覚醒してしまってというか、まったく寝付けませんでした。不安や自責の念で、一睡もできずに翌朝を迎えます。
前回の救命講習と実際で異なる点でも書きましたが、心肺蘇生(心臓マッサージ)が正しくできていなかったんではないかという不安です。講習の際には消防署の方などが見てくれていますが、現場では誰かが見てくれていて「ちゃんとできています」ともいってくれるわけではありません。
自分のやり方が間違っていたんではないか、講習を受けたのは4年も前で、もっと定期的に講習を受けておけばよかったのではないか、という不安です。

もっとなにかできたのではないかという自責の念

もう一つは、もっとなにかできたのではないかということです。Oさんが倒れた時に、意識がないと思ったときに、なんで熱中症だと思ってしまったのか、早くAEDを持ってこればよかったのではないか、心肺蘇生(心臓マッサージ)をもっと早くできた、やればよかったのではないか、など考え始めてしまいました。
また、意識の有無や呼吸の有無が分からなかったことも、判断に迷ったときに大丈夫なんじゃないかと思ってしまったのも事実です。さっきまで元気に動いてたわけですから。でも、「わからない」とはっきり判断して、対応していればとも考えてしまいます。
結果としては、当時現場でできたことが全部だったと納得するしかないのですが、救命の現場で活動したことによる自責の念を強く感じました。
今思い返しても、事後にはストレスを感じていたんだなと思うことがいくつかあります。

心理的なストレス

翌日、道を歩いているときに、マスクをしているので似たような背格好の人が亡くなってしまったOさんに見えて(本当は違います)、ドキッとすること。
テレビなどで人が亡くなるシーンが出てくると見られないこと。例えば、アニメの名探偵コナンのようなものでも、人が亡くなっていると、簡単に「もう死んでいる」というのですが、(ドラマやアニメなので展開を早くするためにしょうがないのですが)
そこは「意識確認して、心肺蘇生した方が良いんじゃない?」とか思ってしまうのです。
 
 今日はここまで。次回は心理的ストレスに対処するために取った行動について書こうと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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