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文化の荒波の中で、どうか心を殺さず生き延びてください。

文化に関わる人たちが、心ゆたかに生きることができるようになる世界を夢見ている。さらにそこからお裾分けするように健やかな文化の波が生じていくことを祈っている。自分自身が未来に向けて見ている景色は抽象的にいうと、そんな感じだ。

私は2021年1月に、文化に関わる人たちの話を聴き、その声をアーカイブさせてもらうという活動を始めた。人生の節目ごとにお話を聴いていくつもりなので、超大量の人たちの声には触れることができない。でも、継続的に関わる中で、文化は変わっていくものなのだ、ということを文化に携わる方々の変化を通して、感じることができたらいいなと思っている。そしてそれを音源として、一部公開していく。長く続けることで価値が出ていく取組みだ。続けるということを第一に考え、無理なく続けていける形式で勝負していくことにした。

活動には utsuroi, と名付けた。人生はうつろう。いっときも留まることはない流れをただ楽しんでいきたいし、文化に関わる方々との関わりの中で私たちの文化がどう揺れ動いていくのかを観測していきたい。

あえて「文化」という切り口を設定した。地域によって文化はそれぞれだ。やみくもなグローバル化を褒め称える流れにはあまり賛同しなくなった。これからは、それぞれの地域が大事にされていく流れがゆたかになっていくだろう。グローバルかローカルか、ではなく、グローカル。さらには、ローカル性から生じてくる独特の土徳から生まれてくるものたちを大事にしていきたいところだ。

ただ、地域の文化の継承は一筋縄ではいかないのはもちろんのことだ。もしうまくいっていたら、声高に叫ばれることはないだろう。お寺の例でいうと、次の20年でますます多くのお寺の経営が難しい状況になっていくだろうし、コロナ禍はそのスピードを圧倒的に早めたのではないだろうか。

文化が消えゆく時代に何ができるか、自分なりのアクションの仕方を模索した結果、まず始めたのが、文化関係の方々とのゆるいつながりの再構築だった。自分にできると思ったのは、表に見えづらいことではあるけれど、仏教思想や日本文化の思想・実践などから参照しつつ、「心をゆたかにする」視点を分かち合うことだ。情報として伝えるというアプローチではなく、社会的な肩書きを外して、率直に話すことができる関係性を紡ぐお手伝いをしていくこと。それが、人生に悩み散らかしてきている自分自身ができることだと思った。

自分の中でこのように結晶化し始めたものたちは、突然、星々のつながりに関連性が生じ、星座が生まれるように、自分の中で絵になり、物語として息づき始めている。

ベースになっているのは、頂いてきてしまったという感覚。贈与の話でいうと「健全な負債感」とも言えるものだ。健全な負債感を持つと、次に伝えていきたくなる。有り難い流れの中に自分自身がいることを自覚している。

文化・芸術の世界には、どうしようもなく、創るということに救われた人たちがいる。創らないと生きていけないという人たちだ。その行為自体が、何か、その人たちのわだかまりやしがらみを解くアクションになっていて、その切実さがあるがゆえに、どうしようもなく心を揺らしてしまうものがある。さらに、文化・芸術の世界を眺めていると、「生きることを楽しんでいいのだという感覚」を覚えることが多い。(同時に、苦しい創作というのも多い。これまでの主流は、苦しんでなんぼ、のマッチョな思考に覆われていたのではないだろうか)私自身の例でいうと、2020年、詩を書くことに命を救われた。自らが創るということを通して、生きることができている。そういう意味では「生きること」と文化、芸術が密接に連動しているという肌感覚の中を生きている。

さらに、毎度、毎度、お寺の文化圏に現れる方々に助けてもらっている。昨年はほんの時々、お布施を頂いた。なんともありがたいことだ。心がゆたかになる縁の生み出し方のヒントを教えてもらったように思う。

壮絶に病みながら、そして自分を取り戻しながら、私は広い意味で文化に生かされてきた。だから、漠然とだが、「文化」という切り口を大事にしているのだろう。

心を亡くしてしまう文化の荒波

さて、文化について「心を取り戻すきっかけ」であり、「生きることに直結する」流れだと思っているということを上に書いてきた。ただ、真逆のことも同時に思っている。私は、文化を通して、心をたびたび失いながら生きてきた。ここで少し、パーソナルな昔話を挟ませてほしい。

小学校2年生の時、不登校になった。怒鳴る先生がいて怖かった。なんで同じ人間なのに恫喝するのか理解できなかった。自分が子供の頃、「大人が子供に対してしつけをするというあり方」や「手を出すという振る舞い」がほんの少し香っていた。それに萎縮した僕は長らく心を閉ざしてきた。学校というシステムにうまく乗るということは、難しかった。中学校、高校では、形だけでも順応したのだけど、心は死んでいっていたように思う。自分への関わり方がわからずに両親もとても困ったと思うし、大変苦労したと思う。ごめんね。本当にありがとう。

学校だけじゃない。お寺というシステムにもうまく馴染めなかった。自己紹介で「継ぐの?」と言われ続けることがとっても負担で、言われるたびに「あぁ、出自によって未来は決められてしまうんだな」と気持ちは閉じた。その頃の気持ちはどうにも言語化することができない。いまだに、お寺というシステムにどっぷり乗ることがないのは、こういう背景の影響があると思う。システムの中で、心を閉ざすよりも、その周縁をうろついている方がいい。そのシステムの外にいながら、でも出自という生まれ持ったカードを使って、内外を移動する。閉鎖的なシステムになってしまうと、生態系は停滞し始める。外部のシステムに接続したり、”異質な縁”とつながり、生態系の循環経路を発掘していくことが、文化圏には必要だ。

そんな背景のもと、大学卒業後は、お寺の世界とはかかわらずにクリエイティブコミュニティ創出を専門にする会社に関わったり(働いたり)、フリーランスになったり、プロジェクトに参画したり、アートの世界を覗き込んだりした。ただ、だいぶしがらんでいたことと心がおかしくなっていたので、その先々でうまくいかず、その度に心が壊れてきた。人生思い通りにいかないね。人生思い通りにいかない中で、たまたま、もしくは必然として仏教思想が「思い通りにならない(=苦)世界をいかに生きていくか?」ということを主題にしていたのには笑った。そういう流れで、松本紹圭さんと共著本を書いて、結実したのがトランジションの本だ。

この本を書いていて、気づきがあった。僕は資本主義のど真ん中の流れからは降りようと思った。「Busy + ness(ビジネス)」という言葉に、「Busy(忙しい)」という言葉が使われているのは、なかなか象徴的だ。これまでの経験を照らしてみると、結構、ビジネスの現場は心を失うものに溢れている。そこで頑張っている方々は本当にすごいと思う。正気でなくなってしまう時がある。正気でなかったことに気づくのは、いつも覚めた時だ。どうにか、それを問い直していくことはできないだろうか。

文化・芸術・資本主義。世の中にはさまざまなカテゴリーがあるが、私は、あらためて、人が心ゆたかに生きていくことができる文化圏づくりに挑戦したいと思った。現在、ポスト資本主義(人によってはウィズ資本主義)という言葉のもとで、さまざまな実践が生まれつつある。それらは、既存のカテゴリーに縛られることがなく、同時多発的に生まれていく。僕たちはもしかすると、カテゴライズ、ラベリングから離れ、新しい流れを目撃していくことができるのかもしれない。

心を失うこと。

それは人生の中で誰しもに訪れることだ。別に完璧に心を失わない状態になるのが望ましいとも思っていない。逆に、心を失っても、周りの人がサポートしてくれる文化の流れがあれば大丈夫なのではないだろうか。

それは必ずしもパフォーマンスで測り合わないニュートラルな関係。いつの間にか着込んでしまった「こうせねばならない」を脱いで、ガードを下ろすことができる場所があれば、何度心を失っても大丈夫だと思えるのではないか。

それを仮に居場所だと言うと、居場所をつくろうと思う。居場所は固定的なものではなく、流れるもの。

僕は居場所が欲しかった。
 
   ただ居ることができること。
「すべき、あるべき」から浮くことができること。
「ありうる」可能性を探求できること。
    柔軟な関わり合い
 
それらを紡ぐことができる縁が生まれる居場所が欲しかった。

人は孤独だ。

でも孤独だけど、関わり合いながら、共に活路を見出していくことができる。

心ゆたかに生きていく文化の流れを共に編んでいくことができる。

そう信じている。


結局、救いたいのは、過去に声を失くしてしまった自分自身なのかもしれないなと思う。

あの時、本当に目の前が真っ暗で、言語障がいがあるかのように言葉を発することができなくて、萎縮してしまっていた自分に手を差し伸べたい気持ちから、いまそれを癒すように行動していく。それだけなのかもしれない。

長くなりましたが、新しい活動を始めたよ、というご報告でした。

社会的な価値とか意味とか、ビジョンとか、そんなにわかりません。

でも、(いい意味で)しなくてはいけないと思いました。人生は苦しさだけじゃなくて楽しさに開かれていく生き方があるんだよって文化に関わる方々の声を借りながら、伝えていきたい。

文化を担う人、文化に関わる人たちが幸せであってほしい。
その世界に興味を持つ人たちが幸せであってほしい。

社会的にうまくいってようがいってまいが、生まれてよかったと思ってほしいし、その時々の浮き沈みを楽しんでほしい。

文化の荒波の中で、どうか心を殺さず生き延びてください
共に、こころゆたかに生きる視点を探究していきましょ ^_^

utsuroi, の取組みは、これ自体で完結するものでなく、utsuroi, を第一歩目にしながら、多面的に文化と一般の人々の間で、企画を作っていきたいと思います。

近々のお誘い

utsuroi, では、広く文化関係の方々のお話を気ままに聴いていこうと思います。近い日程で、1月28日(木)、2月4日(木)、2月7日(日)に文化の語り部さんたちのお話をZoomの収録部屋にアクセスして、ラジオのように聴いていただくことができます ^^ (音源自体はZoom外で聞くことができるようにリアルタイム配信します。より臨場感のある会話に耳を傾けたい方々に、Zoom部屋はおすすめです✨)

それでは、また✨

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utsuroi, の公開インタビューを視聴するためのzoomリンクや録音した音源にアクセスするリンクなどを記載した投稿群を追加していきます。

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