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「硝子の鳥籠」 第1話 ざらついた平穏(2)

 日本人には悪魔に対抗するための力が備わっておらず、宣教師よりもずっと前の時代に渡来した異国の祓魔師エクソシストによって治安が守られていた。
 その状況を変えたのは、悪魔被害に遭った一組の若い夫婦・早瀬川夫妻だ。国を守れる力がほしいと懇願しイタリアに渡った彼らは、現地の十字クロス協会によって大いなる力を授り、日本人初の祓魔師となって帰国した。

 彼らは、儀式は死を覚悟するほど壮絶なものだったと語ったらしい。

 夫は、例えて言うならば、悪魔を祓うための力――祓魔力ふつまりょく貯蔵庫タンクとなった。彼の意思で、他者へと力を分配することができたのだ。
 そうして譲渡者が増えていき、やがて十字協会日本支部が誕生した。
 
 一方、妻に授けられたのは、夫の傷を肩代わりできる能力だった。
 彼女は、悪魔退治の最中瀕死の重傷を負った夫を救うべく、自分の身を犠牲にしたらしい。その甲斐あって、日本支部は今も続いている。

 そして、夫妻の能力は、死後入れ替わるような時期で誕生した赤ん坊へと引き継がれた。
 その当代が、百香と千影なのだ。
 胸にある紋様は、継承者である証。百香は強大な祓魔力を保有し、新たな仲間に力を授ける役割を持つ「かなめきみ」。いざというとき彼の代わりに命を落とし、協会を守る役割を持つ「うつしみの巫女」が千影だ。 
 呼称がやたら古めかしいのは、起源が鎌倉時代あたりだったせいだろう。
 

 百香は元々、協会の末席にあたる家系に生まれた。出生後には紋様がなく七歳まで普通の男の子として育ったというのは、歴代初だ。
 要の君不在の七年間、日本支部は、殉死する者がいる一方で新人を増やせず、それはもう人員不足だったらしい。
 紋様が出現するやいなや、百香はそれまでの暮らしを捨てて千影が住む早瀬川家に引き取られたのだった。

 運命に振り回された哀れな少年だとは思うが、それは千影だって同じだ。
 万が一にも死んだりしないよう、はさみや料理、外遊びも禁止され、体調も専属の医師によって徹底的に管理されて育った。
 十二歳の誕生日に百香が現れ自らの役割を説明されるときまで、ずっと、深く愛されているがゆえの過保護だと思い込んでいたのだ。

 全ては、いつか役に立つ死を遂げさせるためだったなんて。地獄に突き落とされたような心地だった。

 復讐のために死んでやると考えたこともある。けれど、それをするほど、千影は家族を憎みきれなかった。
 両親は真実を伝えるとき悲しげな瞳をしていたし、誕生日を迎える度に「おめでとう」と抱きしめてくれる。それは、双子の兄も同じだ。
 百香を残して自殺なんてしたら、皆が協会から責め立てられるに決まっている。それは嫌だった。

 人質を取られた千影は、ただ運命に従って生きるしかない。
 島に小中学校がないため家庭教師から学び、高校生になってようやく学校というものに在籍した。十字クロス学園だ。全寮制だが、島に家があるということで自宅通いだった。

 卒業後は、やりたければオンラインでできる仕事にでも就いて屋敷で静かに過ごすよう言われていたが、閉じこもりっぱなしなんて気が滅入りそうだったため、学園の教師になりたいと協会に進言したのだ。

 賭けだったが運良く認められ、通信制大学を通じて教員免許を取得することができた。鳥籠の中である事実は変わらないが、生徒たちから外の風を感じることができるこの環境が千影はけっこう気に入っている。

「いでっ!」

 校舎に入ったため、背中に腕を回し容赦なく百香を引き剥がした。髪を引っ張ってしまったらしく、ちょうど人気ひとけのない廊下に少年っぽい呻き声がぽっかり響く。

「いつまでくっついてるの。シスコンは演技中だけにして」
「ひでぇな。俺はマジで千影のこと」
「それ以上言ったら殺す」
「怖っ。センセーたちにちくっとこ」
「馬鹿ね。誰も信じないわよ」
「だろうな。あーあ、日本が滅びる」

 なんて軽口を叩きながら、百香は生徒用の下駄箱の影へと消えていった。

 現在要の君、うつしみの巫女という存在を認識しているのは、協会でも幹部にあたる者たちと、学園の教員たち――いざというとき、百香と千影を守る役割を担っている――に限定される。悪魔に情報が流れる可能性を、できるだけ少なくするためだ。
 
 しかし、他の祓魔師たちも、協会に何らかの神秘――からくりが隠されていることは知っている。壁越しではあるが、要の君から祓魔力を授かる機会があるからだ。
 祓魔力というものはある程度遺伝するが、個人によってばらつきがある。また、一般家庭から祓魔師になることを選びやってくる者もいるため、学園の新入生をはじめ志を抱いた者はまず、この島にある施設で「洗礼」を受けるしきたりなのだ。

 要の君はその場に同席し、穴の空いた壁の向こうから、入れ込まれた志願者の手を握って力を授ける。しかし正体は明らかにされていないため、詮索してはいけない神秘だという暗黙の了解ができあがっていた。

(あれの正体が百香だなんて、思いもしないでしょうね)

 彼女と親しげに話す生徒たちの顔を思い浮かべながら、室内用のフラットシューズに履き替える。すると、横合いから声をかけられた。

「早瀬川せーんせ」

「? ……柊人しゅうと君! ……じゃない、弓月ゆみづき先生」

 いつのまに近づいてきていたのか。すぐ隣でおっとりと微笑んでいるのは、同僚でもある幼馴染だ。

 弓月ゆみづき柊人しゅうと

 色素が薄くやわらかそうな黒髪と少し垂れ気味な茶色い瞳、すっと通った鼻筋に薄い唇――柔和な印象の美青年だ。身長も高く、男女問わず生徒たちから「王子先生」と呼ばれるだけあって非の打ち所がない。
 半袖の白いポロシャツにベージュのテーパードパンツという爽やかな格好がよく似合っている。

「おはよう」
「おはよう。あ、一周年おめでとうございます」

 千影はわざと丁寧な言葉を遣い、他人行儀にお辞儀をする。それを見た柊人がクスリと笑った。

「ご丁寧にありがとうございます」 
 
 彼が学園の教員になってから、ちょうど一年が経ったのだ。
 育ての親である数学教師が持病の悪化により他界したため、後を継いだかたちだった。なんでも病の進行が早いと知ったときから、後任として教壇に立ちたいと教員免許取得のため動いていたらしい。
 島の外に出ていた彼が職員室に現れたときには、心底驚いた。

 十三歳からこの島で一緒に育った柊人とは、学生時代には共に生徒会に所属するほど縁があった。千影が生徒会長、柊人が副会長を務めたものだ。畏れ多くも、眉目秀麗幼馴染コンビとして人気を博していたことが懐かしい。

「今晩の予定、覚えてるわよね?」
「もちろん。千影ちゃんとの約束を忘れるはずないよ」
「早瀬川先生、ね」
「はは、ごめん」

「あ! 柊人君じゃん。おっはよー」

 百香が下駄箱の影からひょっこりと顔を出す。無邪気に揺れたハーフツインのツインの部分が、まるで兎のようだ。
 千影は目つきを鋭くした。

「弓月先生でしょ」

 自分たちが幼馴染だということは、生徒たちには秘密である。
 ああだこうだ過去を詮索されると面倒くさいし、何より、幼馴染との純愛ストーリーを期待されるなんてまっぴらごめんだからだ。
 百香の交えての三角関係なんて想像された日には、目眩を起こしてしまうだろう。

「あーあ。ホント、お姉ちゃんってつまんない」
「つまらなくて結構」
「ふふ、相変わらずだね」

 そんな会話をしながら廊下を進んでいく。
 のどかな時間だ。こういうときは、きまって声がする。

 ――いつになったら殺すの?

 ほら、やっぱり。

 自分のものではない声が、幾重にも重なって耳の奥で響く。
 時折聞こえるこれは、歴代の巫女たちの怨念だ。

 十二歳の誕生日。自分の宿命を知った日に、千影は夢を見た。
 白い着物姿の女たちが、ずらりと並んでこちらを見ているのだ。そろって笑みを浮かべているのが酷く不気味だった。
 代表と思われる女が、一歩前に進み出た。

『はじめまして、新たな後継者。あなたの名前は?』
『……千影、ですけど……』
『そう。――千影、自由になりなさい。要の君を殺すのよ』

 彼女は、要の君を手にかけた巫女は力を失うのだと語った。そして、自分たちはそれに失敗して死んだのだと。
 だから、新たな巫女が出現した際にはこうして援助をするのよ、と笑みを濃くしたのだった。

 当時は心優しい先代たちだと素直に受け入れたが、しだいに妄執に囚われているだけだと気づいた。その証拠に、聞こえてくる声はいつも狂気を孕んでいる。
 
 それほど、巫女たちは宿命に縛り付けられてきたのだ。

 要の君が負った外傷を譲り受ける方法は、唇へのキス。しかしただすればいいわけではなく、要の君以外と口付けをしていないこと、体の関係を持っていないことが条件なのだ。そのため、千影は自由な恋愛をとっくの昔に諦めた。
 しかも、要の君であれば誰にでも能力を発動できるもいうのも厄介だ。外傷以外は肩代わりできないため、百香が病死すれば千影は晴れて自由の身……というわけではなく、次の要の君を守ることが義務になる。

 逆に、千影が死ねば、すぐにまた次の巫女が生まれる。けれど赤ん坊の未熟な体では傷を全て譲り受けることなどできないため、ある程度成長するまでは役に立たない。
 百香より早くこの世を去ろうものなら、きっと、死を悼まれることもなく、協会幹部たちからの恨み言を浴びながら地獄に落ちることになるのだろう。

 一方で、百香をこの手で殺し姿をくらませれば、千影は晴れて自由の身。次の要の君と共に、新たな巫女も生まれてくると聞いている。
 先代たちの怨念も当然その少女の元へと宿るだろうから、二重の意味で解放されるのだ。
 なんて清々しいのだろう。

 しかし、いかんせんハードルが高い。毒殺など薬を使ったものは不可、直接手にかけることが条件だからだ。現代日本で殺人なんてしようものなら、逃走したところですぐに見つかり裁かれる。

 条件だらけの人生なんてまっぴらだ。
 だから千影は、じっと機会を待っている。
 この平穏な日々をひっくり返すような、未曾有の何かが起きるときを——。 


「……!」

 ふいにこちらに顔を向けた百香と目が合ったため、心臓が大きく跳ねた。

「お姉ちゃーん。何? そんなに私のこと好き?」

「馬鹿じゃないの?」

 チリチリと、胸が焼けるように痛む。
 愛らしい女子高生の演技をする百香から、千影は素っ気なく目を逸らした。



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