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「硝子の鳥籠」 最終話 待ち望んだ結末(2)

 千影は回転式拳銃リボルバーを正面に構え、息を殺し視線を素早く左右に動かしながら、一歩、また一歩と進んでいく。
 背後から青山の悲鳴が聞こえた気がしたが、振り返らないよう気持ちを強く持った。

 百香のクラスは二年二組。扉に警戒しながら実技演習用の教室を三つ通り過ぎた先が、目的地だった。

 音を立てぬよう、慎重に引き戸を開ける。
 癖で教室前方の扉から入ってしまったことに気づいたのは、教卓が目に飛び込んできたからだった。

 悪魔が身を隠すならあそこだし、ひょっとしたら、百香が隠れているかもしれない。

 息を殺し、引き金に指をかけながら教卓に近づいていく。
 前後ろが逆に置かれていることに気がつきハッと身を固くしたのと、死角になっていた教卓の空洞から百香がぴょこんと顔を出したのは同時だった。

「!? 百香……!」

「ふふ。遅いよ、千影ちゃん」

「……千影、ちゃん……?」

 違和感の正体は、すぐに明らかになった。

「あれ? 僕の死体、見なかった?」 

 予感が的中してしまったのだ。
 悪魔に長年憑依された人間の遺体には、脱ぎ捨てられた皮のように干からびているという特徴がある。
 だから、先刻柊人しゅうとの遺体を見たとすがりついてきた女子生徒は「悪魔だよ」と声を震わせていたのだ。あれは、悪魔に殺されたということではなく、柊人自体が悪魔だったということを指していた。

「……いつから……?」
「出会ったときからだよ。母親が目の前で殺されて震える、可哀想な柊人少年に憑依してあげたんだ。それで、息子の変化にも気づかない愚かな父親の願いを聞いて、祓魔師エクソシストを目指してあげた……ここからは千影ちゃんが知っている通りだよ」

 教卓を挟んで、百香――否、彼に憑依した『柊人』が楽しげに笑う。
 口がカラカラに渇いていく。
 千影は、やっとのことで言葉を絞り出した。

「柊人君のお父さんと、原先生が亡くなったのも……」
「ああ。あの男は部下が殺したよ。浩三こうぞうさんは違う。本当に病死。僕も今や人の子だからね。愛する人が天寿を全うできないなんてとても悲しい」

 養父の名を、百香は出さないようなやわらかな声音で口にした『柊人』。ああ、これは現実なんだと思い知らされる。
 幼馴染として共に育ったのは、悪魔だった。

「……島に入ったのもそうだし、百香に憑依できるなんて、よほど高位の悪魔なんでしょう? 今回のこれは、あなたが主導したの? どうやって結界を破ったのかしら」

 質問攻めにしたのは、本当に知りたかったから。そして何より、時間を稼ぐためだ。
 高位の悪魔に、具現化した弾丸は致命傷を与えられない。千影の祓魔力じゃ到底足りないからだ。
 だから、いざというときのために、百香の力が込められた緊急用の弾丸を常に持ち歩いていた。父の提案だった。射撃の訓練を欠かさなかったのも彼の指示だ。

 震える右手をこっそりスカートのポケットに滑り込ませ、弾丸を二つ、慎重に手のひらへとしまい込む。

 狡猾な悪魔である『柊人』を野放しにはできない。しかし、ここで始末するには、この弾丸で百香の心臓を貫くほかない。

――いいじゃないか! 殺せ!

「強力な結界を破るなんて、さすがに僕一人じゃできないよ」

 含みのある言い方だ。千影はぎゅっと眉を寄せた。

「……人間に協力者がいた?」

「うん。誰だと思う?」

 結界に細工ができるなんて、思い当たる人物は一人しかない。

「……まさか」
 
 青ざめた千影を満足げに眺めながら、『柊人』はトントンと指先で己の胸を叩く。

「お察しの通り。百香君は、随分前から僕の正体に気づいていた。取引をしてね。条件を呑む代わりに、結界を少しずつ弱めてもらっていたんだ。……ちなみに僕がこの島には入り込めたのは、『清らかな心を持つ上級悪魔』だったからかな。……ふふ、せっかく祓魔師の基盤を壊すんだ。僕以外悪役がいないなんて味気ないから、時間をかけて準備させてもらったよ」

(清らかな心? こんな惨劇を起こしておいて……っ)

 しかし、百香が出した条件がなんなのか。それだけはすぐにわかった。
 
(馬鹿。……本当に馬鹿。そういう軽率なところ、大嫌いよ。あんたなんて死んじゃえばいい)

「撃たないの?」

「え」

「要の君なのに祓魔師を裏切ったクソ野郎だよ? 僕は大好きだけど、殺した方がいいんじゃない? このことが知られたら、早瀬川家はそれこそ島送りだよ。酷い末路をたどることになる」

 それに、と『柊人』の口元が怪しく緩んだ。

「千影ちゃんの願いが叶うことが、僕の望みだって言ったでしょう? だから百香君に憑依したんだ。知ってるよ。この子を殺せば、千影ちゃんは巫女としての力を失う」

「っ」

「後のことも心配ない。仮に僕がここで死んだとしても、信頼できる部下に、千影ちゃんを遠い土地まで運ぶよう頼んでおいたから」

「……そんなの、信用できないわ」

「じゃあ、このままこの狭い鳥籠の中で生きる?」 

 『柊人』は教卓に頬杖をついた。
 試すような、それでいて楽しげな表情だった。
 瞳が赤い。百香は、本当にこの悪魔に身体を渡してしまったのだ。

「ほら、早く準備しないと。僕はこの身体で生徒を大勢殺すよ」

(……百香。地獄に落ちるくらいなら、私に殺された方がマシよね?)

――早く殺してしまえ!

「……っ。黙ってて」

 未だ頬杖をつきこちらを観察している『柊人』を見据えながら、千影は回転式拳銃リボルバーに緊急用弾丸を装填しようとしてできずにいる。

 今の自分は、きっと酷い顔をしているだろう。
 青ざめ、額には脂汗をかき、そのくせ瞳には鋭い光を宿している。



――早く!

 ずっと自由になりたかった。
 ずっと、愛する人に愛していると伝えたかった。


「……百香。ごめん、私……あなたを殺せない」


 瞳から涙が溢れ出す。
 回転式拳銃リボルバーが消え、弾丸がカランと音を立て床に転がる。千影は、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 静かな足音が近づいてくる。
 視界に白い上履きの先が映り込んだため顔を上げると、すぐそばまでやってきた『柊人』は静かにこちらを見下ろしていた。
 真紅の瞳が、切なげに細められている。

「……やっぱり、千影ちゃんの本当の願いはそれだったんだね」

 そう呟くと、彼は床に両膝をつき千影をそっと抱きしめた。

「僕、本当は悪魔になんて生まれたくなかったんだ。上に従って祓魔師を殺したけど……ひどく空虚でね。変化を求めて、『柊人』になってみることにした」

 突然自分語りを始めた悪魔を、なじる気分にはなれなかった。
 だって、今自分を抱きしめるこの存在こそ柊人なのだ。 
 千影は、悪魔ではない時代の彼を知らない。
 
「千影ちゃんに出会えて……一人じゃないって言ってくれる君を幸せにしてあげたいって、初めて本当の願いを抱けたんだよ。――ありがとう。さようなら、大好きだったよ」

 視界に映る百香の肩から、黒い靄が立ち上りはじめた。

(柊人君が、消えていく……?)
 

「千影」


 耳元で聞こえたのは百香自身の声だ。千影は弾かれたように、彼の身体を押し返す。顔が見たかった。
 すぐに、元の色を取り戻した瞳と視線が交差する。百香の顔が苦悶に歪んだ。

「――っ、どうして俺を殺さなかったんだよ! 絶好の機会だっただろ!」

 思った通りだった。
 千影は唇を引き結ぶと、思いきり腕を振り抜き百香の頬を打った。

「っ、いってえ……何す」
「この死にたがり! 大馬鹿野郎!」

 唾を飛ばして罵倒し、今度はきつく抱きしめる。

「百香が私に殺されたがってるってわかってた」

「え」

「ホント迂闊よね。……短冊。いつまでも大切にしまっておくなんて、見つけてくれって言ってるようなものじゃない」

 みんなで七夕祭りに行ったあの夏、百香が短冊を丸めてポケットに入れたところを見た。妙に気になり、彼の部屋に忍び込んで完成品を探したのだ。
 机の引き出しに入っていた皺くちゃの短冊には、『千影が俺を殺して、自由になってくれますように』と書いてあった。

 あまのじゃくな千影は、殺してくれなんて言うのなら、決して殺してやるもんかと思った。大嫌いだから、願いなんて叶えてやらない、と――。

 けれど、年を経るごとに感情が変化していく。
 どこに惹かれたのだろう。同族意識? それとも、先代夫婦の絆という呪いか何かだろうか。気づけば、百香の存在は千影にとって代わりの利かないものになっていた。

 ひどい火傷を負った彼を見て、後先考えず口づけた。あのとき、はっきりと恋心を自覚したのだ。
 
 初めて抱かれたときには、ひどい口実から、嫌われようとしているのだとすぐにわかった。それなのに結局優しく触れてしまう百香の指先に、吐息に、どうしようもない愛しさを覚えたのだ。

 もう、後戻りなんてできない。

(ごめんなさい。先代たち)

「百香……。私、あなたのことを」

 ヒュン――!

 風を切る音がした。刹那、腹部に激しい痛みを覚える。
 百香も同じだった。うめき声を上げた彼の腹部を見て、とりかえしのつかないことになったと瞬時に理解する。
 裂けたセーラー服から、臓器に届くほどの切り傷が覗いているからだ。

 彼の背後には、黒い翼を持つ影が立っている。
 ソレが手にした大きな釜からは、真っ赤な血が滴り落ちていた。
 
「愛する君たちだから、幸せにしてあげるよ」

 状況に似合わない穏やかな声は、柊人のものだ。
 本来の姿になった彼は、窓を開け放ち、羽音と共に飛び立っていく。外から、断末魔の叫びがいくつも重なり合って聞こえてきた。

「……ハッ。そうだよな……あいつ、愛の悪魔だった……そりゃあ殺すか」
「も、もか……」

 息を吸うと、自分の喉からヒュウッとおかしな音がした。
 痛すぎて、身体が感覚を失っている。それに、たまらなく寒い。

 必死に上体を動かし、百香に口づけようとした。しかし、どこにそんな力が残っていたのか、強引に引き寄せられる。
 教卓に背中を預け座り込んでいる彼の胸に、千影はすっぽりと収まっていた。

 ドクン、ドクン

 何度も聞いたはずの鼓動だ。今になって、たまらなく尊いものだったのだと痛感する。

(ああ、死なせたくないな)

「こんな最期でごめん」

 百香が、かすれた声で囁く。
 
「ううん」
「千影。愛してる」
「私も」

 最後の力を振り絞って顔を上げると、至近距離で目が合った。
 涙がとめどなく溢れ出す。止まらない。
 
 好き。
 大好き。
 ずっと、愛していた。

 ここで口づけを交わせばシーンとしては最高なのに、百香はやはり許してくれなかった。可愛い顔に似合わず大きな手のひらで、乱暴に千影の顔を自分の肩に沈める。

 恨みはしない。
 だって、これからは素直に触れ合えるだろうから。

(ああ。やっと、自由になれた)

 もう声は聞こえない。
 千影は微笑み、鼓動を失った百香の腕の中でそっと瞳を閉じた。


 大勢を死に追いやった大罪人は、鳥籠を出て、今度は永遠の時を業火に焼かれるだろう。
 それでいい。
 二人一緒なら、どこまでも墜ちていこう。

 
 

~Fin~


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