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「そうだ!ここに憧れる人もいる」

 最近毎朝夕1時間ゆっくり歩いている。ここに移住して10年、何気に見ていた夕焼けや山の景色、田んぼに綺麗な川。歩いてじっくり眺めると、この町特有の時間を感じる。ここは小さな町で、車なら30分位でぐるっと回れる距離ですが、歩くと川の流れや透明度の美しさに気付き思わず足が止まる。今まで走る車から見ていた景色は「一瞬」であり、何となくの記憶に残るだけ。しかし歩くスピードで見る景色は「眺める」と言う動作に変わり、しっかりと目に焼き付く。

夕日の馬

*自然の摂理

 太陽は東から昇り西に沈む。当たり前だが「では太陽はこの見慣れた景色のどの辺りから出て来て、どの辺りに沈むのか?」私は知らなかった。朝日のまぶしさや夕焼けのオレンジ色の空は見慣れていたが、そんな事気にしてもなかった。ところが、朝6時に毎朝家を出て日の出を見るとキチンと同じ場所(山のちょっとくぼんだ所)に太陽がある。当たり前なのだが、眺めながら歩くとそれが何とも不思議で「自然って凄いな」と思うようになる。勿論夕陽も同じ事が言える。

 最初は何も考えず健康の為だった散歩が、太陽の動きや雨の翌日は川が濁る事。その川を住みかにしている鳥がいる事。木々の花の咲き始め等等、住んではいたが気付かなかった事が多すぎる。散歩で「気付く」が面白くなり、今まで知っていただけの風景を深追いし、観察する散歩と位置付けた。

 朝、綺麗なお花をプランターに植えて育ててらっしゃる地元の方からは「この日の出が見える所に置かないと花が綺麗に咲かない」とか、「田植え前に田んぼに水を張るとホタルが飛ぶよ」と教えて頂き、実際観察するとその通りで驚いた。自然には環境に沿った摂理があり、キチンと四季とその立地条件に適用して育まれているのだと実感する。

 いいとこ住んでるな、俺。

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*行ってみたい温泉地ナンバー1

 私が住む温泉地は、某有名予約WEBサイトの発表で何度か「行ってみたい(もしくは)行って良かった温泉地ナンバー1」に選ばれた。受け入れる側だった私は来る日も来る日も世界中からの観光客のお相手をさせて頂いて、「良いとこですね~」とほぼ毎日仰って頂いた。

 とは言うものの、私は本当の良さは理解していなかった。仕事で生活していたり、生活の拠点がここで毎日毎日同じ日々を繰り返す。今の様に「観察」していた訳でもなく何となく田舎の景色を眺め、温泉に浸かり、時には田舎だと言う理由で不便さを感じたり。何とも無責任だと思う。本当の良さをお伝え出来たはず。「〇月になれば〇〇の花が咲きます」「もうすぐホタルが飛びます」「お土産に旬の山菜は如何ですか」等、もっと詳しくお伝えするべきだった。地元の人に教えてもらい、ここでしか味わえない旅の演出をしてあげたいと思う。

 例え宿泊に携わる仕事に従事していなかったとしても、ここに来て下さる世界中の人達に自然の雄大さを伝えるのは、ここに住み観光客の恩恵で暮らす我々の義務かも知れない。

デジレ


*ここに来たい人とタイに行きたい自分とは

 双方ズバリ、「魅力がありまた行ってみたい」と思う気持ちが芽生え、後にリピーターとなるのでしょう。と言う事は、私は私と同じ気持ちの人達に何かをお伝えしなければならない。私がタイにメラメラと恋焦がれ、「自由な時間とお金があれば何時でも飛んで行きたい病」と同じ温泉好きの人達に、本当の良さをお伝えし、コロナで来れない今だからこそ、この散歩で気付かせて頂いた観察結果や知識を何かでお伝えしたい。

 同じことをタイでなさっておられる大好きなyoutuberさんがいらっしゃいますが、私にはこの方ほど発信力はありません。しかし、行きたい来たいの同じ気持ちの方々と出逢い、地道にゆっくりとお伝えし続けられたら良いなと思う所存です。散歩を始めようと思わせてくれたのもこの方です。

アユタヤ

 ただ歩くだけではなく、歩いて・気付いて・学んで・お伝えするスタイルをどうか末永くお付き合い願います。

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