〜でなければならない。という思考
いかがお過ごしでしょうか。
食べ物の好き嫌いってありますでしょうか。
僕はあまりない方で、どうしても食べられないものはホワイトアスパラの缶詰なのですが、この手の話をすると「そんな美味しいものが苦手なんてもったいない。この料理法をすると美味しく食べられるよ」とご丁寧に教えてくれます。
いつも思うんですが、
嫌いなものってそこまでして食べなければならないものなんですかね?
そもそもそれを食べる理由はどこにあるのか。
新しい発見を手助けしてくれるのはうれしいのですが、それを強要されると引いてしまいますよね。
ではなぜ、このような言動をとってしまうのか。
僕なりに考えてみました。
・好き嫌いはなくさなければならない
子供の頃にいろんな大人から「残さず食べなさい」と言われたこと、みなさんにもあると思います。
子供ですから無条件に「嫌いなものも食べないといけないんだ」と思いますよね。
子育てに関するセミナーをしている人のYou Tubeとか見ていても、「子供に嫌いなものを食べさせるためにはどうしたらいいですか?」という質門は多いみたいです。
僕なんかは「そこまでして食べさせる必要なくない?」と思ってしまいます。
例えばニンジン。子供が嫌いな食べ物ランキングで上位をキープしている食材ですよね。
ニンジンを食べなくても死なないし、他の食材で同じような栄養は取れるわけです。
他の食材でも同じだと思うんですよね。
ではなぜ、ニンジンを食べなさいと言うのか。
自分も嫌いなものを強制されたから
ではないのかと思うのです。
言う人も昔は言われてたんでしょうね。嫌いなニンジンを食べなさいと。
好き嫌いをなくさなければならないと。
だから自分も同じことをする。そこに疑問を感じない。だってそれが当たり前だから。
その当たり前って今でも当たり前なんですかね。
現代はいろいろな食材が売ってるじゃないですか。昔みたいにそれしかない、という時代ではないわけです。
好き嫌いはもう許してあげていいのではないでしょうか。
・なんでも平均的にできなければならない
食べ物の好き嫌いの話をしましたが、色々なことで平均的を求められることが多いと思いませんか。
好き嫌いをなくさなければならない。というのも平均的になんでも食べられる方がいいから。勉強もそう。
国語も数学も英語も平均的にできなければならない。
苦手なものを克服するために苦手なことをやり続ける。
それよりも得意なことを伸ばしていったほうがよほど効率がいいし、有意義な時間の使い方をできると思うんです。
・人の好き嫌いも矯正してあげなければならない
子供の時からずっと平均を求められてきたから凹んでる部分を補ってあげよう。という思考が働く。
凹んだままだと世の中で生きづらくなるし幸せにならない。
だから、幸せになってほしくて「苦手なこと克服方法」を教えてあげてるわけです。
でもその情報って相手が求めている情報なんですかね。
それを考えて発言しないと、ただの余計なお世話になってしまいます。
ただでさえ嫌なことをさせようとしてるわけですから、よほどの信頼関係が構築されているか、それ同等の条件が揃っていないと受け取り手は引いてしまいますよね。
ちゃんとしなければならない、とかきちんとしなければならない、とか。
じゃぁあんたはできてんのかよ。とか僕なんかは思ってしまうわけです。
自分ができてないと発言してはならないのか。という極端な話をしているわけではなくて、相手が欲している情報やアドバイスなのか。ということを、発言する前に考えることが重要だと言うことです。
~でなければならないって、ようは価値観の押しつけです。
この文章はほぼ自分への戒めを込めて書いているのですが、僕もそうでした。
レバーが食べれられない人に対して、ここのレバーは美味いから食べてみ?とか、よく焼いたら食べれるから、とか。
よく考えたら余計なお世話だよなぁ~。こーゆーことやめないとな・・・
このnoteは下記のYou Tubeからヒントを得て書いてみました。
https://youtu.be/TeTcm5wirok
フリーアナウンサーの「佐藤麻美 」さんが「みんなちゃんとした親をしたいんですよね」的な発言をしていてなるほどなー。とすごい腑に落ちたというか、すっと落ちたというか。
そのときに好き嫌いの話をしていたので、この文章のきっかけになったんです。
たまにはYou Tubeみるのも面白いですね。
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