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古くねえよ、と怒られる

 数年前、「街のことたいして知らねえだろ?」と言われたことがある。
確かにそうだ。たいして知らない。

 当然、知らなきゃマズイわけでも、何か言ったりやったりしちゃダメってわけでもないのだが、部外者は口を出すな的価値観の人と話をするには知っていた方が良さそうだし、単純に悔しい気持ちもあったので、誰よりも街のことを知ろうと思った。

 まず、商店街の仕事として、全45店舗(撮影当時)にインタビューをしながら動画を撮った。角栄商店街のHPに店舗の情報を記載するため、という建前もキチンとつくった。(もちろんホントに情報は記載した。以下のリンクがその証拠です)

お店紹介 アーカイブ | 角栄商店街【公式】 (kakuei.info)

 店主たちは、時には誇らしげに過去について、時には嘆きながら現状について話してくれた。ほとんどの店主が店舗運営して人生の大半を過ごしているものだから、お店の歴史なのか、個人の歴史なのか、過去のエピソードのほとんどが重なり合っていて判然としなかった。
 そのようすは、お店がひとつの人格を持って私に語りかけてくるようで面白かった。店が人であり、人が店であるような場所は、いま、どのくらいあるんだろう?

  さて、一方で、街にあるのは商店街だけではない。
当時の自治会長さんから「1964年から書かれている自治会新聞のバックナンバーがある」と聞いて、今度は自治会館に乗り込んだ。
 
 突然現れた若者(わたし)が、自治会新聞のバックナンバーを見たいと言って、数日にわたって自治会館の部屋に篭っていたものだから、「あいつは誰なんだ」とか「個人情報を盗みに来たんじゃないか」とかいろいろ噂が立ったり、疑いがかけられたりしていたらしい。(今、その疑いは晴れているので、たぶん大丈夫)
 
 こちらは新聞というだけあって、世帯数や人口などのデータが日付とともに書かれているのと同時に、地域の課題や問題についても様々に、生々しく書かれていた。
 この街(ニュータウン)の造営から最初の5年間ほどは、自治会が行政やディベロッパーと闘っている様子が仔細に書かれていて、偉人の話を読んでいるような気持ちになった。
 桑畑だったところに一斉に移り住んできたのだから、ルールは決まっていないし、いろいろな不具合があったのだろう。とある号では役員の座談会(議論のようす)が写真付きで掲載されていて、喧々諤々やっていた熱気がムンムン伝わってくる。


 熱気にあてられて熱中症になりかけたころ、ふと思った。

 商店主たちのように個人から見た景色と、自治会新聞のように一歩引いた客観性のような視点とを併せて発信できないだろうか。
 商店主たちのユーモアと、自治会新聞の生真面目さを併せて発信できないだろうか。

 おそらく、自治会新聞はこの場所に埋もれて誰も読まない(めちゃくちゃ埃がかぶっていた)だろうし、商店主たちの記憶も商店主たちの中だけ(いずれ失われる)にある。

 そこで、少しずつではあるが、自分で新聞をつくることにした。
 タイトルは「新しかった街」とした。

 古いわけでも、新しいわけでもない、この街の位置づけできない時間軸をどうにか表せればと考えたタイトルである。

 最初の号ができたとき、個人的にはよく書けたと思って、無邪気に商店主たちに見せに行ったら、タイトルを見て一言。「この街は古くねえよ」と言われた。
 ちょっとムッとしたようすだった。

 確かにおっしゃる通り。
「そうですよね。古くないですよ。新しかったんですよね。」と返した。

 これまでもずっと気になっていたのだが、「新しい」とか「古い」とかいう言葉は、時間の経過を表すだけでなく、ある種の美的価値を含んでしまっている。

 本来であれば、「新しい」という言葉は、「美しい」とか「良い」とかいう価値や意味を含んでいないし、
 同時に、「古い」という言葉は、「みすぼらしい」とか「悪い」とかいう価値や意味を含んでいない。
 ただ「新しい」だけだし、ただ「古い」だけである。

 この街も、ただ「新しかった」だけある。「新しかった」ことが「良い」わけでも「悪い」わけでもない。
 私は、この街がニュータウンであることを手放しに褒めたり誇ったりする気もないし、必要以上に貶めたり卑下する気もない。
 ただ、この街が、ある時、ある時代に突如出来上がり、夢や希望を持って人々が移り住んできたという時間があったことをどこかに、宛てもなく伝えたいと思っている。

 もしかしたら、50年後、100年後、私のような変人がこの「新しかった街」を手に取り、こんな時代があったのかと想像しながら読むことがあったら嬉しいが、それは偶然に任せることにする。

 印刷は、こすれば消えてなくなるリソグラフとした。


*その後、「新しかった街」は、川越市立中央図書館の郷土資料室に永年保存されることになりました。現在は5号までを読むことが出来ます。ご興味がある方は川越市中央図書館郷土資料室へどうぞ。


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