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個性について


ロサンゼルスの映像学校に通い始めて三ヶ月が経ちました。

映像や音楽を作る人間としては、やはり自分の個性、売り、を理解したいと一度は思うんじゃないでしょうか。いわば人と違うところ、他の人が考えていなかった特別なものを作るということ。


アメリカという国は、多様性という部分では日本より複雑で、他人に対して尊敬をすべきだ、という理解が進んでいるように感じます。

外に出れば、白人や黒人、メキシコから来た人、アジアから来た人、同じアジアでもインドネシアから来た人、中国から来た人、たくさんの人種がいます。話す言語も違えば、英語を話せない人もいる。

もう、初めからバラバラなのです。

日本にいた頃は、私の個性とはなんだろう、他の人と違う部分はあるのだろうか、と悩んだこともありますが、アメリカに住んでいると、私はもうすでに周りの人たちと違っています。

日本語を母国語とし、日本のカルチャーに多く触れてきて、私が憧れを抱いてきたものは、アメリカ人のそれらとは全くかけ離れています。

アメリカ人からしても、私のような他の国から来た人間が同じクラスや職場にいるのも通常です。それに、アメリカは広いので、ロサンゼルスとオハイオから来た人たちですら、考え方やアイデアもそれぞれ全く違うのです。

それを無意識のうちに感じると、個性だとかということを考えることすらなくなりました。

みんなバラバラで、もうすでに個性を持っているのです。


私がいたクラスは11人が出席していて、クラスメイトたちも個性はバラバラで、とても刺激が強かったです。

ホラー映画を撮りたい人、ハッキリと意見を述べて論理的に考える人、いつも寝ている人。アイデアもいろんな角度から与えられるので、毎度面白いと感じていました。


アメリカで、そのような環境に育ってきた人たちからすると、みんな違うのが当たり前、だから自分の意見もしっかり持たないといけないと感じるのかな、と考えました。


ロスの街を歩いていると、ゴスロリの服を着た女性や、女性の格好をしている男性、メイクや爪を塗っているガタイのいい男性がいたりします。みんなが違っていて、そういう人もいるんだ、と、受け入れているかは別として、理解をみんながしているのはいいことだと思います。


日本にいると、周りにどう思われるだろう、影でどう言われているんだろう、と気にしてしまいがちです。そうして周りに配慮ができるのはいい部分でもありますが、自分のなりたい自分になるという点では、そういった思考が邪魔してしまうときもあります。

アメリカでは良くも悪くも周りを気にしないので、自分の好きなように、「私はあなたじゃないんだから好きなようにするのが普通じゃん」といった気持ちでいるのかな、と感じました。


日本でも同じで、生まれた瞬間から環境も違えば見るものも違うので、もうその時点で個性です。みんなが好きなように生きていければいいなと思います。

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