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酒の細道②大阪・心斎橋「三ツ寺会館」2024.6

 味園ビル、テナント撤退だって

 昨年大阪の味園ビルへ一緒に行った連れから、5月頃に連絡がきた。ビル自体が年内で解体されることが決定したらしい。そうか、あのバーたちはなくなってしまうのか。ちょうど6月に弾き語りのライブが大阪である。最後に行ってみるか。大阪の酒の思い出をまた更新し、それを強固なものにしよう。そう、副産物的な大阪の夜の街に期待しながら、本命のライブの日を待った。

 (去年行った大阪の味園ビルの話)

 今回の大阪ライブは河野泰尚(かわの やすひさ)さんに誘っていただいた。河野さんは主にライブの写真を撮られていて、以前僕のライブも大阪や名古屋で撮影をしていただいたことがある。河野さんはその写真たちを展示・販売しながら、演者の僕らは歌うというイベントだった。イベントは盛況に終わり、新たな出会いも多くあった。打ち上げで彼らと夜が明けるまで飲んだ。

河野泰尚企画
「あるがまま 夏至の後」のフライヤー


 酒が残る日曜日。梅雨入りの6月、大阪。古着店を回りながら、夜を待ち、新たな酒を探しに夜の灯りへ足を向ける。当初の目的である、おそらく最後になるだろう味園を感じにいこう。そう思っていたが、当然の雨。街を歩き回るのはなかなか億劫なところ。とりあえず、連れとともにアメ村の名居酒屋である味穂のカウンターでたこ焼きをつまみにビールを流し込む。ざっくばらんな接客のおばちゃんと明石焼きの出汁にじんわりと親しみを感じる。旅だ。味穂の目の前、カウンターで連れ越しに三ツ寺(みってら)会館が見えた。ここから見ると、街の暗闇に完全に同化する古びた建物だった。僕らには味園ビルへ行く以外にも実はもう一つの当てがあった。三ツ寺会館も面白そうだよ、と味園ビル解体の情報とともに連れからそう連絡が来ていたのだ。外の雨越しに見えるこの建物の中には味園ビルのようにバーがひしめき合っているらしい。連れは昨日、僕が打ち上げをしている時に、単身で2回目の味園ビルを経験していた。それなら。今日は味園ビルじゃなく、この三ツ寺会館を調査してみよう。そう漠然と決めた。あと、鶴橋という地も面白い飲み屋街らしいからここを先に行ってみるかと、この夜の予定を立て、ぬるくなったビールを飲み干して店を出た。出るとき味穂のおばちゃんに祭りでよく見る、折ると光る蛍光腕輪をもらった。なぜおばちゃんが持っていたのか、なぜ僕らにくれたのかはよくわからなかったが、連れはすぐさまそれを折り、自らの腕につけた。僕は恥ずかしくて最初は遠慮した。連れの腕にピンクと青の発光。祭りのスタートだった。

日曜だからか、閑散とした鶴橋商店街


 結局、そのあと鶴橋へ行ったが、日曜だったからかほとんどの店は閉まっていて、さほど時間も経たずに再びぼくらは三ツ寺を目の前にしていた。佇むピンクの腕と青の腕は怪しげに光る三ツ寺のビルの案内板と同じ色をしていた。これは何か、ある。ピンクは思った。雨に嫌気がさしながら、傘をしまい地下へと入る。三ツ寺会館は地下1階から4階まで、ワンフロアに複数のこぢんまりとした夜のお店が入っていた。

三ツ寺会館の案内板

 一通り散策し、さあどこかに入ろうか。ミュージックバー玄人の連れが地下のバー二つに目星をつけていた。どちらもビートルズやボブディランのポスターが貼られているミュージックバーだった。恐る恐るドアを開けようとする。が、開かない。日曜日だからか。二軒とも今日は閉まっているようだった。店の中身が見えないからこそ感じる期待と不安。開けるドアには変な緊張がある。それが二回。肩透かしを食らう。どうしたもんか。結局、連れが昨日味園のバーの方に三ツ寺いくならとおすすめされたロックバーに入ることにした。

 なにもツテがないよりかは幾分か気が楽だ。そのロックバーは入ろうとした二軒のバーよりははるかに入りやすい趣きで、木でできたドアが10センチほど開いていた。壁には数本のアコースティックギター。カウンターが5席。頑張れば4人座れそうなボックス席のようなものが一つ。気品のあるお姉さんが一人。先客はいない。連れとカウンターに腰掛け、ウイスキーのソーダをいただく。お姉さんを見ていると間接視野で漫画家と思われる多くのサイン色紙がおぼろげに。聞くと、前の店主が漫画家志望で、漫画家が集まるバーでもあるとのこと。「恭蔵」と書かれたサイン色紙があった。店名が西岡恭蔵さんの曲名だったのでこちらについても聞いてみると、やはり曲名にちなんで初代店主が店名を付けたそう。お姉さんで4代目。店自体は25年くらいやっているらしい。ぽつぽつと雨のように言葉を落とすお姉さんと話す。彼女は炭酸水を飲んでいた。去年、酔っぱらって大腿骨を骨折して、お酒をやめたんですよ。上品なお姉さんだが、酔っぱらうとそんなことになるのか。でかい骨だ。しかし、お酒をやめられるなんて。彼女は覚悟を持っていた。僕に足りないものだ。今までやってきたことをいつかぱたりとやめることができるだろうか。人に迷惑をかけてばかりだ。グラスの酒を飲み干し、またウイスキーソーダをお代わりする。いいところだ。身体は空いているだろうか、河野さんに連絡をした。23時を回っているが、来てくれるようだった。

お邪魔したバーの入り口看板


 ほどなくして河野さん夫妻がやってきた。河野さんは肩からカメラをさげていた。昨日はどうも、飲みましたね。そんな話をする。後藤さん、飲むかなあと思って今日はお休みとっていたんです。胸がじんわりとする。お誘いしてよかった。というか誘わなかったらあぶなかった。彼は僕より何個か年上。4年前は演者とファンとしてSNSでやり取りをしていた。それから大阪のライブにも来ていただいたり、そのあと夫妻おすすめの日本橋の居酒屋をはしごしたりもした。去年、名古屋でライブ撮影をしていただいた際に、いつか撮ったこの写真たちとライブのイベントを開きたいんです、その際はぜひ出てほしい。カウンターに並んで等しく酒を飲む中でそのやり取りを思い出した。その時、ウイスキーは僕の飲むお酒の選択肢にまだ入っていなかったし、はじめて彼らと出会った時には二人はまだ夫妻ではなかった。時を感じる。過ぎ去った時間がこの空間を作り出していた。大阪の夜。三ツ寺の地下。

 トイレから戻ると、後藤さん、壁にかかっているギター弾いていいらしいですよと河野さん。ちゃんと手は洗っただろうか、すんなりとギターを手に取る。酔いを感じた。Yairi。KだったかSだったか。はたまたAだったか。手になじむ。昨日ライブでしゃべりすぎてできなかった新曲の「胸一つ」と何年も歌っているが音源にはまだなっていない「日銭」を歌った。人生の数え歌。今の自分を見つめる。大阪に来ることができたのも河野さんの思いが形となったからで、今日この日を三ツ寺の地下で過ごしているのもそれぞれの気持ちがそうさせている。ギターを壁にかけているのはお酒を酌み交わしているうちに自然とギターを弾いたり、歌ったりしてほしい気持ちもあるからなんです、前はそういうのも多かったんですけど、久しぶりにそういう光景を見れてよかった。歌い終わった後、お姉さんがカウンターから言葉を架ける。酒と歌と、過去と今の夜だった。四人で外に出ると、雨は上がっていた。 

バーで歌う後藤
(写真・河野泰尚)

 大阪のライブ終わり、東京から来てくれたTO(トップオタク)に歌がもったいないです、歌が泣いていますと言われた。振り返ると数々の歌があって、目線を戻すと先にまた歌がある。歌は歌ってこそ歌だ。歌にした責任がある、のかもしれない。去年の大阪あたりは僕から歌が離れていく感覚があった。今はつかず離れず。まだまだ道半ば。責任は果たさなければならない。振り返った時に歌もこっちを見ている。泣いているならいけないな。

 ちなみに、まだ今年中に大阪へ行けそうな気がする。その折にはまた味園ビルへ行ってみよう。

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