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マルチリンガルが語る~山葉寅楠~

こんばんは、しょうごです^^

(紀州の)人物シリーズ第四弾、今日は山葉寅楠 (1851-1916)です。

前回の華岡青洲と同じで、誰って感じですよね。というか第一回の南方熊楠、第二回の植芝盛平もあまり知られていない人物達かもしれません。

そういうわけで、当シリーズは、世の中にあまり知られていない立派な人物達(和歌山県出身者限定・笑)をご紹介していくシリーズとなります。

和歌山県民のみなさん、ぜひとも応援よろしくお願いします!

さて、山葉寅楠です。全然聞きなれない名前ですね。では試しに名前をカタカナにしてみましょう。

ヤマハ トラクス、あれなんか前の方、見覚えありませんか?

では前の部分だけ、アルファベットに変えてましょう。

YAMAHA

そうです、ヤマハ楽器の創業者、それが山葉寅楠その人なのです^^ 前置きが長くてすみません。※バイクで有名な、ヤマハ発動機はヤマハ楽器の4代目社長が創業。

山葉は、紀州藩(今の和歌山県)に生まれました。父が天文係という役職であったこともあり、小さい頃から機械を触って育ったようです。

1887年に、静岡県の浜松市でオルガンを修理したことから、その制作を始めました。

浜松市の小学校にあった輸入オルガンが壊れ、浜松病院の院長経由で、修理の適任者として白羽の矢が建てられた人、それが当時、浜松市で医療機器の修理などを生業としていました山葉だったのです。

自分でも作れる、そう思ってオルガンを分解して、構造を理解した山葉。

1888年、オルガン製造に成功。早すぎでしょ。。

1897年に日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)を設立した後、アメリカへ行って数々のピアノ工場を見学、多くの人が手ごろに手に入れられるピアノを作ることに、人生を捧げました。

今YAMAHAのピアノは販売数が世界一です。多くの人にお手頃なピアノを届けるという、山葉の夢は叶いましたね。

日本に世界に音楽を根付かせた、その功績は大と言って過言ではありません。

そういえば、山葉の活動拠点が静岡県浜松市だったことも、和歌山県下ですらこの人が知られていない理由の一つかと思いました。浜松市にゆかりの在る人物としても、もっと知られると良いですね。

では、明日またここで。

おわり

PS: 河合楽器(KAWAI)の創業者である河合小市も、若干12歳で山葉寅楠の会社でキャリアをスタートしました♪ YAMAHA、KAWAIともに現在も本社所在地は静岡県、浜松市です♪ 世界シェアはYAMAHAが世界一位、KAWAIが世界二位♪  

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