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インクルーシブ哲学へ⑬:手詰まりがないという奇跡

▲ 前回

2024年7月9日

■会:《おく》の会
■会場:BUoY
■主催:藤中康輝さん

藤中康輝さんのアート作品《おく》を体験する会に、8人の参加者が集まった。

まずは8人のうち、6人の参加者がプレイヤーとなり、2人1組になって3組に分かれた。
私は見ている側に回ることになった。

3組の人がそれぞれ交互に物を選び、置き、3つの場所に物の集まりができていく。

過去に自分がプレイヤーになったとき、言葉を発しない相手が何を考えているのか、ほとんどわからなかった。
今回6人のプレイヤーを見ていると、6人が何を考えているのか、わからない。

まるで自律的に3つの場所で物の集まりが生長していくようにも見えた。

なぜ、その物がそこに置かれたのかは、わからない。
しかし、とにかく、その物はそこに置かれるのだ。
どういう理由やプロセスがあるのかはともかくとして。

他人が選んで揃えた物たち。
他人が設定した場所。
それなのに、何も置かれないということはなく、
とにかくどこかに何かが置かれる。
なぜだろう?不思議だ。

《おく》は、将棋のようなゲームの対局に似ているところもあるが、手詰まりになるということがない。
片方の人が置いた物のあとに、なぜかもう片方の人が物を置く。なぜか置くことができる。

6月に行われた成田正人さんとのトークイベント(宮脇書店ユーカリが丘店主催)で、私はこんな話をした。
言葉のあとに、言葉をつなげることができる。これは不思議で、奇跡のようなことだ。
言葉のあとに、言葉をつなげる。
私にとって哲学探求はそのようなものだし、対話もそうだ。
ある人が発した言葉に、ほかの人が言葉をつなげることができる。
これは奇跡のようなことだ。
対話の内容の良し悪しなど、本当はどうでもよいことだ。
言葉に、言葉がつながる。そのことに私は驚く。

他人が揃えた言葉たち。
それなのに、言葉のあとに、言葉を置くことができる。
自由である限り、安心である限り、手詰まりということがない。
これは奇跡のようなことではないだろうか。

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