【短編小説】桃太郎の質の低下

 思うに、桃から生まれた者は鬼退治をすべきであるという風潮は間違っている。
 桃から生まれた男だって、普通に畑を耕したり、魚を獲ったり、イノシシを狩ったりしたいものだ。
 
「そこの猿よ。このきびだんごをやるから、俺の仲間になってはくれまいか」
 跳太郎ちょうたろうは、お腰につけたきびだんごを猿に見せた。しかし猿はまったく興味がない様子で、木の上で尻をかいていたかと思うと、そっぽを向いて別の木に飛び移ってしまった。跳太郎は追いかけようとしたが、すでに遅い。猿は木から木へとあっという間に移動し、森の中へと消えていった。
 跳太郎はため息を吐いた。きびだんごを口に放り込み咀嚼する。あまり美味くはない。
 
「失敗か。最初から仲間になれと言ったのがまずかったか」
「いや、そもそもそんな怪しいきびだんごに釣られる奴なんて、普通はいませんぜ」
 足元にお座りしている犬が、あきれた様子でそう言った。跳太郎は顔をしかめる。
「でも、ポチはついてきてくれたじゃないか」
「そりゃあ、あっしはもともと顔見知りだったんで。誰もお供がいないとさすがにかわいそうですからねえ」
「つまり同情か」
「まあ、そういうことでさ」
 ポチは身もふたもないことを言った。
 たしかに彼の言う通りだが……では、初代の桃太郎はどうやって仲間を集めていたのだろうか。謎である。
 
「きっと、初代のお供は特別にきびだんごが好きな連中だったんでしょう。もしくは、初代の育ての親が腕利きのきびだんご職人だったか」
「ばさまも一応、頑張って作ってくれたみたいだが……」
 跳太郎は、袋の中に残ったきびだんごをチラリと見た。
 
 じさまとばさまは、昔から「お前もやればできる!」「いつか真の桃太郎になれる!」「鬼を倒せるようになる!」というのが口癖だった。将来鬼を倒すためだと、跳太郎を小さい頃から剣術道場につれていった。
 しかし今の彼は、鬼を倒すどころかお供を揃えることさえできずにいる。
 
 跳太郎はポチとともに、また道なりに進みはじめた。猿と雉を求めて、ゆっくりと歩いていく。雉ではない鳥が青空を横切る。道を挟むように生えた緑がまぶしい。
「また“自称”桃太郎が鬼に殺されたらしい」
「数ばっかり増えちまってなあ……」
 途中ですれ違った旅人の会話が、断片的に聞こえてきた。跳太郎とポチは顔を見合わせたが、結局、何も言わなかった。
“自称”桃太郎の質の低下は、別に今に始まったことではない。
 
 広く知られているように、歴史上初めて鬼が島を制圧したのは桃太郎であった。ゆえに、そのあとに桃から生まれた男たちも特別な力を持っていると思われがちだ。しかし本来、桃から生まれただけの普通の男が、鬼どもの根城に攻め込んでいって生きて帰れるはずがない。たとえ100年に1人の豪傑でも、真の桃太郎ではなく人間である限り、刀と3匹のお供だけで鬼どもを蹴散らすのは不可能だ。
 
「じさまもばさまも、もう後に引けないんだろうな。食費に、道場の月謝、刀の代金。そういうのが全部無駄になるのは我慢ならないわけだ」
「金をかけたからって、人間が桃太郎になるわけではないでしょうに」
「まったくその通りだ」
 そもそもじさまもばさまも、すべては跳太郎のためだと言いつつ、結局は彼が持ち帰るであろう金銀財宝が目当てなのだ。そして、自分の子どもが真・桃太郎になったと知れ渡れば、自尊心も満たされることとなる。
 
 ただし、それもすべて取らぬ狸の皮算用。
 
 桃から生まれ、桃太郎として育てられた男たちは数多い。そして、そのほとんどが大人になっても人間のままであり、本当の桃太郎にはなれずに終わる。じさまもばさまも、他の多くの親たちもそのことは知っているはずだ。知っていてなお、「うちの子は違う」と思い込んで、多くの金と労力を桃太郎育成に費やすのだ。
 
「……ああ、潮の匂いがすると思ったら」
 左右に茂っていた木々が途切れ、湿った風が跳太郎とポチを出迎えた。跳太郎は目を細め、手をひさしにする。星屑をちりばめたように輝く海と、湾曲した砂浜が広がっていた。
「もう海に出るとは。ずいぶん歩いたらしいな」
「海には猿も雉もいませんぜ」
「そうだな、引き返すか。だがその前に休憩を……ん?」
 跳太郎はあたりを見回し、どこか足休めできる場所を探そうとしたが……そこで眉をひそめた。砂浜の片隅で、何やら子どもたちが集まって騒いでいるのだ。子どもたちは輪を作り、砂の上にある何かを蹴ったり、棒で叩いたりしている。
 
「あれは……」
「暴力の匂いですぜ」
「止められるか?」
「承知!」
 跳太郎に言われるより早く、ポチは走り出していた。そして彼が砂浜に駆け下りる頃には、輪になって“何か”を殴ったり蹴ったりしていた子どもたちは、あっさりと蹴散らされていた。
 
「ワオンワオン!」
「わああああああ!?!?」
「なんだ!?」
「ウオオオオオオン!!」
「た、助けて……!」
 子どもたちは恐れをなし、散り散りになって逃げだした。跳太郎はその後ろ姿を横目で見つつ、ポチのそばに駆け寄った。そして砂の上に――子どもたちが囲んでいた場所に横たわっていたものを見て、目を見開く。
 
「ウミガメか……!」
「はあ痛かった……。あの小さな野蛮人たちはもういませんか……?」
 ウミガメは甲羅から顔と手足を出しながら言った。それは大人の男でも背中に乗せられそうな、立派なウミガメである。ただ、硬い甲羅に守られているとはいえ、あれだけ集団で殴られるとやはり痛いものらしい。涙目になって、こわごわと周囲を見回している。
 
「もう大丈夫だ。子どもたちは追い払ったからな」
「あなたたちが助けてくださったのですね? ああ……本当にありがとうございます」
「まあ、全部ポチのおかげだが」
「なんにせよ、大きな怪我がなさそうで何よりでさ」
 ポチはウミガメの匂いをクンクンと嗅ぎながら言った。たしかに、無事で何よりであるが……。
(……猿か雉だったら、見返りとして仲間になってくれたかもしれないのになあ)
 跳太郎は少し残念に思った。もちろん彼は大人であり、言ってよいことと悪いことの判断はつく。
 
「あなたたちは命の恩人です。何かお礼がしたいのですが……実は私はウミガメでして……お金を持っていないのです」
「ああ、見れば分かるぞ」
「すみません。危険を顧みずに助けていただいたのに。……あ、それではこういうのはいかがでしょう。私の暮らしている深海の世界へご案内する、というのは」
「深海の世界?」
「ええ。海の底には竜宮城というものがありまして。そこに来ていただければおもてなしができます」
「深海か……」
 跳太郎はきらめく海に目を向け、考えた。しかしながら、彼は桃太郎ではなく人間なので、長く息を止めていられない。
「気持ちは嬉しいが……先を急ぐのでな。これから猿と雉を探さなくてはならないんだ」
 少し悩んだあと、跳太郎はそう言った。
「また機会があったら誘ってくれ」
「そうですか……残念です。というのも、『またの機会』というのがあるかどうかは分からないのです」
「どういうことだ?」
「もしかしたら私は、あなたが生きているうちには地上に戻ってこないかもしれないので」
「大げさだな。亀は万年、とは言っても、ずっと海の底で息を止めているわけではないだろうに」
 跳太郎はそう言って笑ったが、ウミガメは笑わなかった。ただ寂しそうな顔をして、跳太郎とポチに別れを告げる。そして、海へと帰っていった。
 
「……良かったんですかい? お礼をしてくれるって言っていたのに」
「ウミガメのお礼か。海草とかだろうな」
「あとは貝殻とか」
「それなら自分でとってこられるさ。わざわざウミガメから巻き上げることもない」
「たしかに」
 ポチは納得した様子でうなずいた。普通、犬はうなずかないのだが、ポチは跳太郎の真似をしてうなずくようになったのだ。
 
 ウミガメの這ったあとをしばし眺めてから、跳太郎は踵を返した。
「さて、猿と雉探しを再開しよう。俺は桃太郎にならなきゃいけない」
「まあ、付き合いますぜ。じさまとばさまが諦めるまでは」
 跳太郎はポチと並んで歩き出した。また終わりなきお供探しが始まる。人間から桃太郎になるための日々が。じさまとばさまの虚栄心を満たすためだけの日々が――。