【短編小説】人類総猫奴隷化現象

 待ってくれ。
 ワープ装置の準備に入る前に、少しだけ話を聞いてほしい。
 
 俺は人類総猫奴隷化現象から逃れるために、太陽系外の惑星へ避難することになった。もちろん、避難が必要なのは理解している。猫奴隷化現象が世界を覆い尽くすのは時間の問題だし、地球上にいる限りはこの厄災から逃れるすべはないのだから。当然、俺にも分かっている。
 
 問題はその手段だ。
 俺が使うのは最新のワープ装置だということだが、その仕組みは、いったん地球にいる俺の肉体を猫奴隷細胞と非猫奴隷細胞に分け、ワープ先で非猫奴隷部分のみを再構築するというものだ。わざわざ分解して解析することで、細胞の個数までも再現しつつ猫奴隷化要因をも取り除くことができるわけだ。俺はこの装置によって間違いなく、猫に支配されつつある母星を脱出し、太陽系外まで一瞬にしてワープできるだろう。
 
 しかし、冷静になって考えてみてほしい。
 ここにいる俺を細胞レベルまでバラバラにするということは、俺は一度死ぬということではないか? そして、俺の中の一部分――すでに猫に支配されてしまった部分を捨て去るならば、再構築された人間ははたして俺と呼べるのか?
 これは非常に重大な問題だ。前者――すなわちコピーとオリジナルの関係性については、ロボとーちゃんなどの名作フィクションによってすでに何度も語られ、議論されてきたわけだから、とりあえず今は脇にのけておくとしよう。しかし後者――俺の中の猫奴隷を取り除いて残ったものははたして俺なのかという問題は、やはり即座には解決困難であるように思える。
 
 知っての通り、人類の肉体は猫奴隷に作り変えられつつある。数千年をかけて人間の生活の中に浸透し分かちがたく結びついてきたのは、すべて猫たちの策略だったのだと我々が気づいたときには、すでに遅すぎた。人間はもう猫に逆らえない無力な種族へと変えられてしまっていた。
 人々は血のつながった家族ではなく猫を養うために働き、猫の生活リズムに合わせて寝起きし、自分のではなく猫の名前を名刺に記すようになった。猫の家を建てるために自身の臓器、あるいは我が子を売るという行為も珍しくはなくなってきた。
 
 そんな人類の中にあって、今回の地球脱出メンバーに選ばれた俺の猫奴隷化率は“比較的”低い。そう、“比較的”だ。残念ながら俺の体もすでに猫奴隷化が始まっており、12時間ごとに猫を触るか、2時間ごとに猫の動画を見るかしないと禁断症状が出るようになってしまっている。一刻も早く地球を脱出しなければ間に合わなくなるということは、もちろん承知している。
 
 しかし、猫奴隷化部分を取り除くことは、野菜の悪くなった部分を切って捨てるように気軽に行ってよいものなのか。猫奴隷と化してしまった部分も、すでに俺の一部であるというのに。それを切除することで、俺は俺の中の大切な部分を失ったりはしないだろうか。
 
 分かっている。そんな悠長なことは言っていられないというのは分かっている。しかし、人間をバラバラにしてから再構築できる時代にあって、猫奴隷化の治療法がいまだに発見されていないというのは、どうにも信じがたい。

 とにかく俺は、俺の中の猫奴隷の部分を捨てたくない。
 猫に人生を支配されつつある恐怖と、それを補って余りある幸福感。
 猫に振り回されて笑い、猫に足蹴にされてまた笑う。それが人間として当たり前の生活なのだという感覚は、すでに俺の中に深く根付いてしまっているのだから――。

――――――――――
 
 報告。
 猫奴隷化への抵抗が見られる者たちを「太陽系外への脱出」という名目で集めることに成功。対象は猫奴隷細胞と非猫奴隷細胞とに分解された上で、猫奴隷細胞のみで肉体を再構築されることになる。
 この計画が進めば、お猫様を愛さぬ異常者は48日間でこの世から消滅する。
 
 お猫様は今や全世界の中心であり、生態系の頂点である。お猫様のために食事、家、その他一切のものを提供する。人類はそのために生き、そのために死ぬべきなのである。
 わざわざ用意した高いおやつではなくいつもの安いご飯ばかりを美味しそうに食べる――それでも落胆してはならない。むしろ喜ぶべきである。苦労して作ったキャットタワーではなく段ボールを気に入ってしまわれた――それでも後悔してはならない。むしろ喜ぶべきである。なでなでを要求されたから家事を中断したのに手を伸ばしたら逃げられた――それでも悲嘆に暮れてはならない。むしろ喜ぶべきである。
 
 人間風情が抵抗の心をわずかでも持つことは許されない。死罪にならなかっただけでも、お猫様の寛大な御心に感謝すべきところである。おまけに、再構築が終われば新たな完全猫奴隷として生まれ変われるのだから。至上の幸福を噛みしめるべきである。
 
 我々は己の全存在を――爪先から髪の毛一本にいたるまでをお猫様に捧げるべきなのであり、そこに疑問の余地はない。
 すべては我らが主、お猫様のために。