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「腑に落とす」総集編
だいぶ前のnoteで,「腑に落とす」ということを書いている.
「腑に落ちた」という状態を,受動的に待つのではなく,能動的に自ら作り出す.
これを「腑に落とす」と表現している.
当面の間,僕のテーマになりそうだ.
と書いているが,しばらくこのテーマには触れていなかったように思う.
しかし,日常的には意識していることなので,それをまとめようというのが今回の記事.
過去記事を振り返ろう
まずは,過去記事を振り返ってみよう.
ロジック vs. レトリック
これはけっこう重要.
ロジックとレトリック,思考の道具と説明の道具は別物である.
問題は,腑に落とさせようとする側は説明の道具を使おうとするが,腑に落とそうとする側は思考の道具を使わなければならないという歪構造.
考えるスイッチの入っている者同士であれば,お互いが思考の道具を使えばいい.
だが現実はそう単純な問題でもなかったりする.
「俺は考えるスイッチが入ってるぞ!」とアピールすることは重要なのかもしれない.
あとはありきたりだが,相手が言っていることがロジックなのかレトリックなのかを考えることは必要.
レトリック→ロジックで腑に落とす,これはけっこういけそう.
思考の向き
こんなことも考えていた.
思考を1次元的に展開するか2次元的に展開するか,あるいは3次元的に展開するか.
そして,どの向きに展開するか,向きを無視して展開するか.
意外とこれも,思考用と説明用の問題な気はする.すなわち,思考するときには縦に流すのがいい気はしている一方,説明するときには必要に応じて縦横に展開するのがいいのかもしれない.
思考するときに縦に流したほうがいいのは,人は(あるいは俺は)時間に囚われているからだ.
参照番号を付けておくのは有効,あとは2列で縦に流すとだいぶ勝手が良い.
問と対峙すること
煮詰まったときは,まず前提と仮定を箇条書きにしてみると良い.
「仮定と言われてもよく分からない」という人は,まず前提だけを箇条書きにしてみる.
「そもそも」という感じだが,割と抜け落ちがちな気がする.
翻訳しながら読む
これはかなり良い.
言語というのは概念を表す記号であり,翻訳というのはある概念のある体系における記号を別体系の記号に置き換える作業であるので,その概念を理解していることが必要.
日本語→論理式くらい文化の違う体系間の翻訳であれば,より正確な概念理解が必要になるので良い.
身体性
手を動かせ,と常に自分に言い聞かせている気がする.
大事なのは,“考える”というのは頭の中だけで完結させるべきではないということ.
手を動かすことで分かることや分かりやすくなることがある.
記事にはしてこなかったこと
ここからは,今まで記事に書いていないことをつらつらと.
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