「わざと分かりにくく喋ってる」と言われるたびに,「分かりにくいもの」は「分かりにくいものです,考えるところから一緒にやりましょう」とちゃんと伝えることの大切さを感じる
落合陽一です.タイトルが全てな気もするけど,今日は考えるスイッチの話.「分かりにくいもの」は「分かりにくいものです,考えるところから一緒にやりましょう」と伝えましょうということ.
先日大学のコンテンツ応用論の授業で森ビルの杉山央さんに講義に来て頂いたんだけど,その時チームラボボーダレスの入り口に書いてある,Wander, Explore and Discoverについて聞いた.
お客さんも不思議に思って,探索して,発見してということをともに行うというマインドセットを作ってから入ってもらうことで顧客満足度が上がるという話を聞いた.確かにそうだと思う.「考えるスイッチ」を入れないと世の中のコンテンツと同じように鑑賞されてしまう.
世の中のコンテンツは分かりやすく作りすぎているものも多い.何の予習も考えることもなくても一定のカタルシスや楽しかった,という思い出が残るものがほとんどだ.僕は,そういうコンテンツに価値があるとは思った上で,出来るだけ一緒に考えてもらうコンテンツが好きだ.自分が考えて到達したところまでを出来るだけ薄めずにそのまま共有したいといつも思っている.変に説明的でありすぎると,結局わけわかんなくなるのも嫌いだ.
昔,大学の後輩に「全部語ったり,端折ったりしたら,お客さんに失礼だし,落合さんより考えている人はそれも含めて理解しようとしてくるんだからナメてはいけない」と言われたこともある.そのおかげでか,そういうマインドセットでいつもものを作ったり喋ったりしている.出来るだけ包み隠さず,変な変換を入れず,自分の中では最大限分かりやすいが,最大公約数は取りに行かない.あえて薄めない.僕が言われてわかることは僕より賢い人は言われずともわかることであって,お客さんをナメてはいけない,と思いながら.今日はそんな話.
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