白い楓(5)

 任意の二人の関係を考えたとき、彼らが互いに二文字以内の名前しか知らぬ関係であったとしても、それはなんら人間同士の関係に支障を与えない。勤務時間にしか会わない上に、その勤務時間にも滅多に会うことはないからだ。この事柄は、源氏名を掲げて働く人間たちがそれを証明している。さて、香山と明が勤務の外で時間を共有するのは、先述の中崎を通したもの以来、今日の会食が初めてである。先に待ち合わせた場所に86で着いた香山はTogaの黒いシャツを着て、Nudie Jeansの濃いスキニージーンズを履いて、全身に羽織れる程度の薄い緊張を感じつつ明を待っていた。スマートフォンの画面にある時計を見る。よかった、約束より数分早く着きそうだ。

 名前について、周旋人はしばしば考えることがあった。最近でこそキラキラネームなるものが問題視されることもあるが、つけられた当人が果たして一体何を欲しがるのかなど、欲望は一時の感情に流されて容易に変化していくものであるし、「僕の名前は何某だから、こう生きねばならない」など口にすることは造作ないが、そんな生き方の信条はその時の欲望が粉砕するときが必ず来るのであり、名前の意味などが当人にとって何か意味があるとは思えない。意味と微妙にしか絡み合わない響きなどはもってのほかだ。突拍子もないものでも案外しっくりくるものである。
 無論、しっくりこないものもある。それが明だった。

 改めて述懐するに、香山は明との待ち合わせに指定した少し鄙びた六本松駅のロータリーに車を乗り入れ、ニュートラルギアにシフトチェンジしてから足をクラッチから離したところであり、彼は今、日没後の街にありふれた身嗜みをしている。ジーンズに挟んだコルトガバメントが腹を圧迫するので、ダッシュボードの上に移した。よくもまあこんなものを挟んだままで運転をしたものだ。出発する直前まで彼は他事に没頭しており、何かの拍子で時計に目をやったときに、即急に準備して出発せねば遅刻することが発覚した。ああだこうだと独り言を部屋にまき散らして寝間着から外出用の服に着替え、この拳銃を持って彼は車へ飛び乗ったのだ。

 周旋人は、妙なこだわりを抱える男であった。特にそれが彼の性格に影響するのかと言えば、そうではない。しかし、やはり妙であった。彼は走り屋のような人種にはかいくれ興味を与えられなかったのに、車を購入するならどうしてもミッション車が欲しいと願っていたのだ。この時代、世間で目にする車のほとんどが(あろうことか、周旋人の乗る86ですらたまに)、オートマであり、人間の程度の低い精密性ではどうしても、(比較する車がおおよそ同じ強さのエンジンをもつものであれば)、オートマの加速力と燃費には太刀打ちできない。
 以前付き合っていた女が、この車の助手席でこう言った。
「付き合っている間ならいいけど、結婚するならこのオートマにしてよね」
 実に歯に衣着せぬ申し分であった。現実として彼女との婚姻を考えるのであれば、自分用の車を持たぬ彼女は香山の車を普段運転する羽目になる。発停のたびにいちいちクラッチとシフトギアを操作するのは、多くの人間にとってあほらしいのだ。その操作を発停に挟むために、ミッション車ではアクセルとブレーキの踏み間違いによる誤発進の事故が起こらない一方で、運転が楽になったオートマでは多発している。そう、長所と短所は紙一重なのである。換言するのであれば、以下の命題が生まれるし、それは否定のしようがない事実であった。『社会的体裁、経済的効率の点から考えてみると、車を購入するのならオートマが理に適う』。彼は、これについて了解したうえで、86を購入するに至った。その合理性を上回るだけの理由を、ミッション車の運転への快楽に見出したからである。人は「お前は愚かだ」と彼をあざ笑う。しかしここで、この議論から具体性と取り払って抽象性を削り出すと、当該議論の本質が見えてくる。彼はミッション車を買ったとき、快楽に対価を払ったのだ。こう換言すると、普段からゲームに課金をする人々と香山は、何らたがわぬ「愚かさ」を持っていることが丸裸になる。

 香山は足を組み直した。二十秒弱、その状態を保って何も考えずにいた。無音の車内では何か予想だにせぬことが起ころうという気配がこれといって感じられない。ドアポケットの煙草の箱に手をかけ、離した(その間は三秒)。明が、肺活量の減衰を気にして煙草を毛嫌いする輩であることを思い出したためであった。一応、と消臭剤を車内に振りまいた。香山は通常、こういった待ち時間を煙草を吸って潰すため、ついつい手を伸ばしてしまったのだが、喫煙が遠ざかったことで苛立ちが芽生え、ガムを噛むことにした。唾液が葡萄の味に染まると、荒波は落ち着いていく。煙草を吸い始めたときは、別に喫煙なしでもいらいらすることはないし、ましてや生きるに窮することはない、などと強がったものだが、習慣としてしまった今ではもはやいらいらが止まらない。例えば禁煙席で退屈な相談をされているとき、電車に乗っているとき、煙草を所持していない上に入手する当てもないときなんかが特に暴れてしまいそうでやばい。そうであるのに嫌煙家などが文句を言ってきた時なんぞは、拳をめちゃくちゃに撃ち込んでやりたくなるのだ(それを実行に移さぬのは、何人を殴ったらいいのか知れぬからで、へらへらと笑う程度にとどめている)。
 続けてガムを咀嚼するに、再び二十秒弱。ロータリーの出口にある横断歩道に人が密集しだした。スーツに身を包んだ人達が会話をしているらしい。中には若い女がスーパーで買い物をした帰りであろうか、重そうなビニール袋を両手に佇んでいる。信号待ちをする集団の中に明を探してみるが、どうにも見当たらない。信号機は色を青に変えた。ぞろぞろと横断歩道を渡る人々を視界から追い出し、再び時計を確認する。約束した時刻にはまだ達していない(結局どこの社会に出ても、こうまで概念的時間は彼を虜にしてしまうのか、尊敬と恐怖とを催す存在感よ!)。
 喫煙が叶わぬのならば、ゲームをして時間を潰そうか。しかし、スマートフォンを使ったゲームでは、電池の消費が気にかかる。どれだけ親密な間柄との会食でも空の会話だけでは間が持たぬのに、こともあろうに今回は奴との最初の会食であるので、確実に物足りなくなるはずだ。そういう人達に見せようと用意した、話のネタになりそうな滑稽な画像やウェブサイトがいくつもある。実際、何度もこれらの手持ちに救われてきた。こういった準備は馬鹿にできない。
 香山は、何か別の遊びをすることにした。一人寂しくしりとりでも始めようか、と。必然性もなく、『に』から始めることにして、彼は熱病に罹患したように独言しはじめた。………

「日本人は、店員と会話をしないらしいな」
 などと、明は吐き捨てた。受注した依頼についての説明を行うために呼び出し、中洲川端の風俗街を歩きながら説明を終えたところであった。風俗街なら警察の目が少ないのだ。
 だが、明、という、彼の名前について考えた。私が今まで出会った人間の中において、あかり、と読ませる男は偏狭であるのだが、彼はそのうちの一人に属する。最初のうちは多少ながらもそう呼ぶことに抵抗を覚えたのだが、人間慣れの生き物と言わんばかりに私はその呼び方が板についてしまった。彼の顔がアンドロジナスな魅力を有しているのかと言えば、どんな工夫をもってしても女装できないような顔立ちであるし、仕事柄、肉体を酷使するために、隆々とした素晴らしい筋肉を宿している。なんにせよ、私は彼を、あかり、と呼ぶのだ。
「だからなんだ。普通のことだろう」
「うむ、確かにそうだ、残念ながら。それが普通なのがおかしな話なのさ」
 さあどうだか、という感じで私は肩をすくめる。
「Rude(失礼な)!」
 どきっとした。明は割に大きな声でそう言い、続けていく。
「くだらない。例えば、ニュージーランドに目を向けてみたらどうだ。そんな日本人の固定観念、なくまっちまうよ、香山」
「また西洋かぶれが始まったか。何度も言うようだが、民族を一括りにした発言をするべきではないと橋下知事が言っていたことを忘れたのか」
 香山は私が奴に呼ばせた名前だ。それが本名かどうかはさておき、響きがいい、と自分では思っている。気に入っている。漢字で書くとさらにいい。爽やかな印象が得られるのだ。
「ダメなのか、西洋かぶれは? そんなことはない。しかも、俺は折衷しているだけだ。日本人の良さってのも心得ている。それは、和だよ、和」
「悪く言えば、迎合」
「鬱陶しいことを。とにかく、日本人の美徳というのはだ、自分の属する共同体の中で各々の立ち位置に留まることであり、そうしてエゴの衝突を避けられることを忘れてはならない。ところが、西洋にいるキリスト教の信者どもは、自分達が神を始点とした位置ベクトルに過ぎないと思っているらしい。これが問題だろう。人間というのは、何事にも個人として存在する自分の脳の思考を介さねばならない以上は、主観的な意見を排除しきれないんだ。それぐらいは自覚しなくちゃいけない。だから、他人のベクトルと自分のベクトルを見合わせて、どう動くかを見極められるかどうか、がその共同体がどれだけ強くなれるかに大きく関わってくるわけ」
「けどだ、明」
 理論はなんとなくわかるが、どうにも数学チックで聞くに堪えない。彼は読書を忌避するかのような言動をしながら、哲学に精通していたため、自分の勉強を隠しているように思われる。人間はだれしも、どこかで自分の存在に不安を感じて自殺をしたり、知識の甲冑を得たりするものだから、そんな見栄には触れなかった。それはともかく、反論といく。
「くどいな、殺すぞ」
「ぞっとするね、殺し屋に言われると」
 と、グラスホッパーに書いてあった台詞を口にしてみた。実際に彼は世間で言うところの「殺し屋」で、蝉と同じナイフ使い。勿論拳銃だって使うが、明は、振る、というワンアクションで人を殺せるナイフの方を好む。だが、これはマスターキートンに書いてあった(ナイフは消音機能にも優れていることを忘れてはいけない)。この論理は、殺そうとする相手が、彼の腕の長さの範囲内にいる場合のみに正しい。遠距離からナイフを投げることで、見栄えのいい投擲武器にもなりうるのであるが、一度に持って、身軽に動き回るためにはどうしても二つあたりが限度だ。それ以上はかさばってどうにも動きづらいし、ナイフが鞘から外れてしまう可能性も増えてしまう。投てき。そんな条件の下で、数に限りのあるナイフを失いかねない行動に出るものか。私は話を続けて、
「ていうか、そんなこと言っているようだが、俺達は完全に共同体から遊離した不届きものだ。請負殺人だなんて、一体この日本のどこにこんな職業の必要があるのだ。俺は仕事を取ってくる。お前は殺す。シンプルだけど、とんでもない量の経験と知恵がいる。でも、それはこの共同体から、少なくとも法からは、これでもかというくらい逸脱してるよ。お前に、そんなことを言う資格があるとは思えない。では問おう。お前の和の精神、どこにあるんだ」
 黙った明は眉をひそめて、私と並んで歩く。穏やかながらも冷たい風が吹いて、私はコートの前を両手で閉じた。そのとき、ちらっとベルトで挟んだ拳銃が銀色を発したが、行き交う人は誰も気づかない。二人の間に革靴の音のみが響く。
「くそっ、とか、まずは悔しさを言葉にされてみてはいかがでござんしょ」
「しょぼーん」

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