白い楓(13)

 椅子に縛られたお宮は、力尽きて目を閉じていた。香山は死んでいやしないかと呼吸を確認したが、お宮はまだ存命であった。耳を切られたり、足に被弾した程度では人は死なない。映画というのは実によくできている。
 明は自分の置かれた状況を今一度考えた。香山はお宮に襲われ、それを自分が阻害し、そして捕縛した。お宮を拷問すると、彼は二人が過去に行った仕事の被害者の交際相手から依頼されてい動いている(性欲の変貌した先が、生命を奪う殺意とは!)。……忘れたくても忘れられない。
『俺は貫一に殺されかけ、無様にも逃げ帰った。俺は、彼を殺そうとして、殺せなかった。根拠もなしに自分の能力に溺れていたので、自業自得であった。彼に殺されなかったという点において勝利した、というのはどうも楽天主義じみていて採用できない。俺は……能力不足で彼を殺せなかったのだ』
 しかし、明が彼の殺害に失敗したという事実は、まだ香山には明かしていない事実でもあった。そこで、明の中の狡猾がはたらきはじめた。香山に対して、明は一種の承認欲求を抱えており、自分の仕事上の能力についてその発動は顕著であった。『自分では認めても、他人には認められなくてもよい』。そんな、本来なら失恋を繰り返したした人間が、他人と自分の評価を切り分けて自尊心を養うために作られた論理を、明は悪用しようと試みていた。
『本当に、それでよいのだろうか。俺が彼に承認を求めるのは、もっと別の何かがあるのではないか?』
 香山は尋ねた。
「明、お前、その顔面の負傷はどうしたんだ。お前のように屈強な男が、みすみすと相手との力量の差を理解せずに傷を負うとは考えにくい。もしかして、貫一にやられたのか。貫一は、それほどまでに手ごわいのか」
 彼は、真っ先に明が気にしていることを突いてきた。しかし、明はこのばつの悪さから生まれる表情を、嘘を覆い隠すために使えると思ったのだ。ぱっと思いついた小話を、明は慎重に見直し、香山に告げた。
「別に。集団にリンチされただけだ。一対一だなんて決めつけないでくれ。途中で勝負をほっぽり出して逃げたことは、俺も気にしているんだ。あまり余計な詮索はよしてくれないか。これでもあんたと三年働いて、俺はあんたを信頼している」
「お前、嘘はついていないだろうね」
「ついてないさ」
 実際、相手が三人までならナイフを使ってどうにでもなるが、香山の知るところではないし、突っ込まれても、それ以上の人数に集団リンチを受けたと言えばよい。明は、経験から話を深く探られれば嘘が露呈することには気づいていた。そこで、悔しげな表情も駆使して、彼の情に訴えかけることで彼の疑惑を薄め、その上とどめとして、詮索をやめるようにはっきりと宣言したのだ。彼がどう出るか、それだけは別の次元で動く問題だ。歯がゆいが、どうにもできない。疑り深い彼の性格は、この由を認めるかどうか。
「そうか……分かった。仲間をうたぐるなんて、恥ずかしいことをした。面目ない」
 凶手があっけなく申し訳なさそうに目を他へやった。自分の嘘は、ばれなかったのだ。凶手は果たして、愉悦するはずだったのにそうはいかなかったことに内心驚いた。彼は心底この悪行を喜ぶことができぬことをふしぎがった。
 香山が言った。
「お前が嫌がるのは承知で言うのだが……煙草を吸ってもいいか。俺みたいなニコ中にとっちゃ、吸うのも毒だが、吸わないのも毒でね」
「どうぞ」
 明はこれまでの人生、受動喫煙を忌避していた。目の前で何の許可も求めずに喫煙をはじめた友人をたこ殴りにしてやったこともあった。しかし、このとき明は香山の喫煙を非難する気が全く起きなかった。先ほどと同じ感情であるような予感がした。あと少しの分析で、この感情の正体はわかるはずだったが、全くもって分からぬままであった。
「さて、どうするべきか、考えなくてはいけないな」
 香山が言った。いざ煙の匂いがすると明は嫌気がさしたが、我慢していた。そしてその思いをかき消すように頭を働かせて、香山の挙げた問題の解決策を提案した。
「二人とも殺せばいいだろう。それでシンプルに解決だ」
「いいや、そうはいかない。二人を殺したら、死体を片づけるのは俺達の役目だろうに。できない話ではないが、この場合ならもっと別の解決策がある」
「どうするのさ」
「逃げるんだ。別に相手をする必要もない。こいつらはこいつらで、警察に行くこともないんだ。わざわざ、金で雇われているだけで個人的な怨恨もない犯罪者風情が、どうして警察へ行くんだ。依頼者には、こいつらに報酬よりも高い金額を払って嘘の情報を流してもらう。その点については、こいつらには協力を惜しむつもりはない。それで、いいな、お宮」
 お宮は意識を失ったままであった。周旋人は明瞭な返事を受け取るがために再び彼の肩をゆすったが、起きる気配がない。
 香山はこの業界に巣食う人間が知る論理を理解していないようだ、と明は考察を加えた。この凶手は同業者から殺されかけたことはついぞ無く、貫一がはじめて出会った同業者であった。認めたくはないが、貫一にも自分と同じような血が流れている。自分が貫一であれば、逃した獲物をどこまででも追いかける。仕事に対してそこまでのプライドがあった。劣等を知った明はすっかりやる気をなくし、関係のない話をはじめた。
「そういえば、AirPodsを探すためのアプリ、あったかな」
 香山は、ちらと彼に目をやり、答えた。
「ホーム画面から『探す』、と検索すれば出るさ」
 お宮のズボンのあたりから、着信音が鳴った。お宮のスマートフォンが誰かからの電話を受けていたのだ。当のお宮は、気づいていない。香山は迷わず電話に出た、と明は見た。

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