白い楓(01)

 私はペンのノックをいじり始めた。目の前には香山と明という、私の作り上げた登場人物たちがいる。私は話をはじめた。
「まさかこんな取って付けたような作者と登場人物との対談が用意されるとは思いませんでした」
「そうですね。明?」
 パイプ椅子に乗った体を後ろへ反らし、今にも倒れそうな椅子のバランスを器用に取りながら香山は顔を向けた。香山のこうした素行に限らず、ブリーチを繰り返された、耳にかかるまで長い髪、そしてスーツから伺える病的な細身の肉体からは、小悪魔を連想させるような印象を受けた。尻尾と槍を何処かに隠していやしないか、とふと妄想してしまう。
「執筆お疲れ様です」
 そう言う明は、前屈みになるようにこちらを下から見上げている。大きな黒目に太い眉毛。そしてジェルで固めたオールバックの黒髪には、ありあわせで拵えられたオンボロ車のイメージが似合った。請負殺人の名付けをされた業務に従する彼の動向を試しにじっと観察しても、特に殺意を感じることは無かったことから、彼が誰彼気に留めず殺人を犯す男とは判断しかねた。
 人生のどこかで、失恋かもしれないし、反抗期かもしれないが、きっと想像するに彼らは道徳を行動決定の指針とすることをやめる決意をしたのだろう。踊らされるノクタンビュールに向かい、「木っ端微塵になれ」と叫んだわけだ。
 見せかけの労いは、だから響かない。私はまたノックをいじる。退屈だ。
「紹介しておきますがね、外見のモデルは香山(かやま)さんがジョニー・デップで、明さんが吉川晃司です」
「受け取り側の想像力に働きかけるタイプの作品で、そういった類のことをやすやすと口にするものかね」
「どういういきさつで殺し屋というジャンルの設定にしたのかには興味があるが」
 と香山、明が口々に言う。香山の顔には拙劣な文章への蔑み、明にはトピックへの無関心がうかがえた。こういった二体一の対話においては、お互いの集団が一対一の会話が不可能であることが了解されているため、持ち上げられた話題のどちらを採用するかは私の判断でよろしいものだ。仮にその決断が批判に合えば、すぐに訂正する他ないし、それで充分かつ適切だ。
「幼少から殺し屋のキャラクターへの趣向には強烈なものがありまして。それで色々と知識が増えていったもので、まあ意図的に増やしたとはいえるのだが、そちら方面の知識を、ここは張り切って具現化しようかと思い立ったわけで」
 香山が返答した。
「てことはあれですか。僕たちは柴田さんの理想の殺し屋って訳ですか」
「まあそんな所でしょうな。だから、なるだけ死んで欲しくない、という英雄視の反面で、やはり死んでもらわねば困るとも思うのであるわけで」
 すると二人は揃って訝し気な表情を浮かべた。自分も敢えて気取った話し方をしたし、おそらく腑に落ちぬのはその口調が板についた後者の主張であろう。
「つまるところ、君たちには私の作り出した世界で好き勝手やらせたわけだがその大部分はこの社会において法律で厳しく罰せられるところにある。そんな人間を易々と生き延びさせては私の体裁が良くないし」
 論理をまとめるべく、一息入れた。使い慣れぬ「私」という呼称が話の邪魔をしているらしい。「僕」に変えることにして再開した。
「僕は決して殺人が長い歴史の中での検証もなしに肯定される世の中になるべきでないと考えているのです」
 彼らは私の創造した存在であった。つまり、殺人が一体どれほどの非道徳を抱える概念であるのかを指摘するということは、彼らにとっては以下のように換言することが可能である。そもそも請負殺人をさせるがために創られた自身の存在を、その根底から丸ごと否定された。彼らから、悲し気な表情が滲み始めた。
 そしてどうやらここにきて私の話し方は完全にしっくりきたらしい。ますます饒舌になっていく。そして再びペンをノックしてから言った。
「もちろん、僕自身の願望と、それにまつわる矛盾と、それらをさらに上の次元から眺めた考察の結晶が君たち二人であって、死ねと思ってはいない。ただ、死んだ方が物語や出版にとって都合が良いと思うだけで、またいつか変わるやもしれないのだよ」
 二つの悲しい顔は、親に諭される子どもの表情で上塗りされた。私が彼らの生みの親、という意味でそれは正しい。
「なるほどね」
 明が安堵とともに口からそう出した。いつの間にか、香山はバランスよく椅子に座っていた。このような討論のスタイルをとると、香山は明に比べ数段頭の回転が速くなるが、それは当然の事柄である。この由を問えば、そうでなければ請負殺人の相場などはかり知らぬ堅気から、自ら望むだけの報酬を受け取り、保身のために口封じをすることはできぬためである。香山は考えをまとめ、私を嘲笑するように言った。
「別に怒らせたくて言うわけではないが、その主張はどうせ大したことなんてない、誰かの受け売りに過ぎないのだろう?」
「インスパイアといういうのは、本当にいい言葉だとしみじみ実感する次第だよ」
 香山は鼻で笑った。今、私は彼の前で思いきり尻尾を突き出したからだ。彼は再び言った。
「認めるわけだ。まあそれでいい」
「そう。みんな、それが引用であるか否かの宣言の必要性は、その認知度によって使い分けているのさ」と私が開き直りをおおっぴらにすると、香山はまだ攻めてきた。
「その通りだよ。それは見逃さない」
 話の流れにしっかりとついてきているらしい明は、香山に追随して私に追い打ちをかけてきた。
「この文章すべてが、何かのパッチワークになっているわけだな」
 私は無視して話題を転換させた。
「ところで、君たちは殺人についてどう思っているのかを教えてくれるかね」
 香山が返す。
「請負、は頭につかないわけだ」
 やはり鋭い、香山は私の質問の補完すらこなしてしまう。明は話にはついてきているらしく、目をそらして考え始めた。
「人というのは、例えば上司なんかと電話するときなど顕著であるのだが、何か別のことをしながらであれば、従事に際して緊張を伴うような作業をたやすく行うことが出来るようになるらしい。そら、このボールペンを使いたまえよ」
 ……私、香山は柴田隼人からボールペンを受け取った。じっと考えてみる。
 私にとって、殺人を最も近距離から分析する瞬間とは、依頼受注の瞬間である。そして殺人の依頼を受注する際の課題としては、その人間が自分の裏をかき、私に何か危害を加える可能性がないかどうかを吟味することが最重要である。そして、無事に行ったときに、果たしてその依頼を明と共有するべきなのかどうかを考えている。もちろんである。それは私が私として利益を享受するためにも、必ず考えなければならないのだ。明が同席するならまだしも、同席しないのであればなおさらのことである。
 あとは、多少は、電車内でぶつかる人に申し訳ない、と思うのと同じくらいには明のことを心配はしている。
「うちの相方が無事かどうかは心配なところだ。彼がいなければこちらも仕事にならんのでね」
 嘘だ。他にも契約を結んでいる殺し屋は山ほどいる。
「では君の気持ちもうかがってみたいね」
 平たい音調で彼が言った。私はそれに合わせて自然とペンを明に手渡した。

 ……私は香山からペンを受け取った。先ほどから、香山が考えている間もずっと考えるための時間はあった。ところがだ。別に、
「何も、仕事だから」

 ……私は明から自分のペンを取り戻した。
「でしたら、これで僕があなた方から聞くことはもう何もありません」
 これは少し、突き放したような表現であるのだが、特にもう気に留める必要もない。
「そちらのドアから出て行っていただければ大丈夫ですよ」
「どこへつながっているのか、このドアは」
 戸惑う香山を置き去りにして、明がパイプ椅子から立ち上がる。遅れて、香山が歩き出す。

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