『不時着する流星たち』より『測量』―― 第1回書原読書会ログ

課題図書:『不時着する流星たち』より『測量』
(KADOKAWA文庫)
グレン・グールドよりインスパイアされた、20ページほどの短編です。

去る5月22日開催の読書会は、
おかげさまでたいへん充実したものとなりました。
当日に配布した資料と、読書会中のコメントなどを纏めてみました。
ぜひ、皆さまの読書にお役立てください。

当日配布資料

<小川洋子 略歴>
1962年 岡山県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。
1991年 『妊娠カレンダー』で芥川賞受賞。
2003年 『博士の愛した数式』刊行。翌年、本屋大賞・読売文学賞受賞。
2004年 『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花賞受賞。
2006年 『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。
他、『薬指の標本』『琥珀のまたたき』など著書多数。海外翻訳もされ、『密やかな結晶』はブッカー賞の最終候補作にもノミネートされている。

<『不時着する流星たち』について>
 2017年刊行。2019年文庫化。
 実在の人物や事件などを出発点に描いた、十の短編集。
 非現実の光景と、現実的な手触りとが入り交じる独特の世界観は、他の小川作品とも共通。
 また、実在の事象を元として空想を膨らませる……という手法には、『アンネの日記』との交流から文筆業をスタートさせたともいえる、小川洋子の原点を彷彿させるものがある。

  <グレン・グールドについて>
 1932~1982年。カナダ出身の世界的ピアニスト。
 カラヤンやバーンスタインらとも共演し、奏者としての名声を築くも、本人はステージよりも録音・スタジオ放送を好み、1964年には演奏会を引退。以降は録音や執筆に専念。斬新な再解釈を施した、バッハ作品の演奏で特に知られる。ほかブラームス、モーツァルト等の録音もあり。
 本作のモチーフと思しき『ゴルドベルク変奏曲』は二十代の頃と、亡くなる前年のもの、二種類の音源が残されている。

  <『測量』 主催の雑感>
 「歩数」「口笛虫」「象」の三つの音楽が登場。その接近ないし別離が、「ぼく」と祖父の絆(同一化)とその別離と結びついている。とても丁寧な構造の作品という印象。
 本作においては、「ぼく」と祖父の結びつきの表れとして「歩数」が、「ぼく」に決して届かぬものとして「口笛虫」と祖父の記憶が、対比されながら協奏していく。しかしやがて「口笛虫」は死んだ姿として物語られる「象」へと結びつき、祖父の死を予感させる。祖父が亡くなった後に「ぼく」へと遺されるのは「歩数」の音楽のみであり、しかし「歩数」も「口笛虫」もラジオから聞こえてきた音楽に「似ている」ものとして、いわばその対比が崩されたところで物語は締めくくられる。
 なお、このような別個の人間が何らかの秘密や、モチーフなどを通して、ひとつに溶けあうような絆の出現・そしてそこに訪れる避けようのない破局・離別、そのあとに遺されるもの……という流れは『博士の愛した数式』や『密やかな結晶』などにも共通してあらわれている。
 このような関係は、小川洋子-アンネ・フランク、そして遺されるものとしての「書くこと」の関係とも通じるのかもしれない。
 「歩数」がリズムに、「口笛虫」がメロディーに近しい一方で、埋められた「象」が腐敗していくシーンで音として語られるものが、音でなく情景の描写であり、静寂に近しいなにものかであることも興味深い。

当日レポート(参加者の発言などより)

<小川洋子の印象について>
・描写や、言葉遣いがやはり美しい。映像が浮かぶよう。
・短い中にモチーフがたくさん詰め込まれ、それが調和を成している。
・フェチっぽさもある。
・「人間の生々しさを描く」という小川洋子のスタンスが思い出される。逆に言えばそういうものだな、で不可解な点が全部納得させられてしまう気も?

<測量について>
・田んぼでの測量の経験を思い起こした。標準となる点をきちんと定めてから始める、という点もそれらしい。
・『ダイアローグ・イン・ザ・ダーク』という、完全に光を遮断したなかでの感覚や、コミュニケーションを楽しむ、というイベントでの参加体験を思い起こした。部屋の隅を起点に、自分の体を使って暗闇の中で距離を測ったこと、何かに行き当たった時には安心感があったこと。祖父の測量の仕方自体は、その体験を踏まえるととても自然なものとして捉えられた。
・基本的に数字標記は漢数字だが、測量の数字についてはアラビア数字標記になっている。
・測量によって、思い出を“守っていた”祖父が、終盤にかけて“小さくなっていく”のが切ない。

<主人公と祖父について>
・主人公は祖父のことが好きだったのか、疑問が残る。緊張感がある。
・時々現れる生々しい描写も、その緊張感を高めているような?
 ・最後にはある種、不協和音があらわれ、離別へと繋がっていく。

<象について>
・やはり美しく、印象的。唐突な感じもする。バナナの描写も鮮烈。
・象、というと仏教的なイメージもある。バッハにも神への音楽という側面がある。
・象という熱い地域の生きものが、雪の中で回想されていることの不思議。
・動物を入れると話が広がる。奥行きを与えてくれる印象。
・小川洋子がしばしば描く、“大勢にとっては通りすぎられてしまうものだが、誰かにとってはかけがえのないもの”にこの象は当てはまるのではないか。少年にとっては長く記憶されることとなった一方で、人々にとっては一時の噂となりつつ忘れられてしまっている。

<ゴルドベルク、グールド、音楽について>
・物語の最終部に、ゴルドベルクと思しき音楽が登場し、「口笛虫」も「足音」もそれに「似ている」と回収される。が、むしろグールドの演奏から「口笛虫」も「足音」が着想され、この物語ができたのではないか。
・グールドの録音には、しばしば「鼻歌」や「足音」も一緒に収録されているが、それがそれぞれ「口笛」や「歩数」に繋がっていったのではないか。「口笛虫」が拍手を求めない、というのと、グールドがあるときから演奏会を行わなくなったことも繋がっているのかも?
・グールドの、音の手繰り寄せ方の繊細さと、祖父の「用心するに越したことはない」という神経質さ。
・グールド好きにとっても、これは嬉しい一冊。
・作中において「口笛虫」の音楽は、家族であってもけっして触れられない、その人の内面、その人にしかないメロディーを表しているように思われる。それに対して芸術家の音楽というものは、その内面を共有可能なものとして表現するのではないか。それが物語終結部の“ラジオから聴こえる音楽家の音楽”なのではないか。

主催感想


 やはり強し、小川洋子。短い作品ながら、さまざまなモチーフが盛り込まれ、かつそれが美しく、見事な調和(あるいは不協和音)を描きだしている……、読めば読むほど「あれ、ここはどういうことなのだろう?」という描写が次々と現れ、気がつけば一時間があっという間に過ぎ去っていました。
 小川洋子好きの方が「小川さんといえば……」みたいなことを教えてくださることもあれば、初読の方、小説を久しく読んでいないという方が、作品を通じ、ご自身の体験から汲み上げてくださったお話に感じ入ったり。
 こちらとしても手さぐり手さぐりの運営となりましたが、参加してくださった皆様に温かく支えていただき、非常に充実した会にすることができたと思います。今後の開催への、大きな励みともなりました。
 参加してくださった皆様、また支えてくださったスタッフのメンバーも、本当にありがとうございました。

参考文献

小川洋子
 『不時着する流星たち』文庫版 KADOKAWA 2019年
 『アンネ・フランクの日記』文庫版 KADOKAWA 1998年
 『博士の愛した数式』文庫版 新潮社 2005年
 『密やかな結晶』新装文庫版 講談社 2020年



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