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両親共働きでも「孤食のない幼少期」をおくった私が考える、食事で大切なこと

子育てや食生活を考えるときに、長年課題としてあげられているものに「孤食」があります。

そして、孤食の原因としてよくあげられるのは「共働き世帯が多いこと」。私の両親もフルタイム(正社員)で働いていたので、孤食が発生する流れは比較的イメージしやすいです。ただ、タイトルにあるとおり、私の幼少期の記憶には孤食の姿がほとんどありません。

今回は①「孤食のない幼少期」が今の自分に与えているものと、②共働き世帯であった我が家が「孤食のない幼少期」を創り出したポイントについて考えてみました。


①「孤食のない幼少期」が今の自分に与えているもの


先週、社会人になってから初めて、友達を家に招いて一緒にご飯を食べました。

大人になると、友達とご飯に行くときは外食を選びがちです。そんななか「自分の家」で「第三者とご飯を食べる」機会があったからこそ、気づいて考えたことがありました。

食事中に話すネタを無意識につくっている


「食器、オシャレやね!」

ご飯を出したときに、友達がまず話したのは食器のことでした。私は食器が好きで、服を選ぶように食器を選びコツコツ集めているので、このような会話になるのは当たり前なのかもしれませんが……「そもそもなんで食器にこだわるようになったんだっけ?」と思うきっかけになりました。

さかのぼること、まだ実家に住んでいるとき。私の母もたくさんの食器に、いろいろな食事を盛り付けるのが好きな人でした。それぞれの量は小盛ですが、食器との合わせ方を見たりするのが楽しくて、感想をたくさん共有したのを覚えています。

そういった環境で育ったこともあり「食器も料理の一部で、こだわることは楽しいこと。そして、食事のときの話のネタになるもの」という考えが無意識にあったのかもしれません。

食器にこだわりを持つ母のもとで育ったからこそ、自分も食器を選ぶようになり、それが誰かと食事をするときの話のネタになり、食事の時間を豊かなものにしてくれました

いつでも「誰かと食べること」が前提にある


大学生や社会人になってからは、1人暮らしをするようになりました。1人暮らしだと、食器は1人分で十分ですが、私は無意識のうちに「どのような食器でも絶対に2つ以上」買っていました。これも1人暮らしのときに、友達に

「食器、全部2人分あるの凄いね」

と言われて気づいたことでした。

いま思うと、実家にいたときに1人でご飯を食べた記憶がほとんどありません。弟がいるから、ということもありますが、基本的に誰かとご飯を食べていたので「食事は複数人でするもの」というのが、無意識のうちに刷り込まれていたのだと思います。

食器を買うときは、いつも架空の相手がいます。 これも「孤食のない幼少期」が影響している気がします。

私が思う「孤食のない幼少期」時代の大切さ

こういった食事への価値観などは、先ほど触れた「孤食のない幼少期」の影響なのかなと思います。
厳密にいうと、もちろん実家で1人でご飯を食べることもあれば、1人暮らしをしてから家でご飯を食べるときはほとんど1人でした。

それでも1人でご飯を食べている記憶は自分のなかでは極端に薄く、思い出すのは「誰かとの食事」です。そういった思い出が、いまの食生活を形成しているように思います。

そして、当時(幼少期)は親に用意してもらっていた食事ですが、段々と自分で用意するものになってきたとき、食事や料理の楽しさは「気分転換」や「ストレス発散方法」として、自分の心の健康にも貢献するようになりました

きっと、このような変化も、食事に対してポジティブな考えがあったからだと思います。

 ②共働き世帯であった我が家が「孤食のない幼少期」を創り出したポイント

ここまで「孤食のない幼少期」がいまの自分に与えているものを書いてきましたが、そもそも共働き世代であった我が家(親)が大切にしていたことって何かを考えてみようと思います。

母は19時~20時、父は21時以降の帰宅が日常だったため、私たちは母が帰宅するまではご飯を我慢していました。食べ盛りの年頃だと結構な苦行ではありますが(笑)、お菓子とかは自由に食べてよかったので、お腹いっぱいにならない程度に食べていた記憶があります。こういった食事風景を思い出したときに、次の3つが「孤食を防ぐための我が家なりのポイント」だったのかなと思います。

1.時間が遅くなってもいいから、誰かとご飯を食べる(家族全員は揃わなくてよい)
2.自分の判断でお菓子を食べられる環境があった
3.手作りのご飯にこだわりすぎない

先ほど「母はたくさんの食器に、いろいろな食事を盛り付けるのが好きな人」と書きましたが、365日毎日していたわけではなく、休日や半日勤務の日だけで、平日は基本的にお惣菜が多かった気がします。

もちろん1週間のうちの4日ぐらいがお惣菜の生活は結構飽きます(笑)。子どもだったので、もしかしたら「お惣菜飽きた」とか言ってしまっていたかもしれません。

それでも、美味しいお惣菜のお店をみつける楽しさとか、スーパーの味の傾向を一緒に分析する面白さとか、子どもなりに食べたいものを考える時間とか、そういった少しの楽しさを見つけられたので、当時のことを振り返ってみると結構楽しかったなと思います。

栄養バランスを考えて手料理を頑張ることも大切だけど、お惣菜にして一緒に食べる時間を増やすことの方が大切なときもある」と、今は思います。


孤食が社会問題になってから、数年経ちました。ずっと、なんとなく他人事でしたが、実際に自分の過去を振り返ったり友達との会話を思い出したりすると、孤食のない幼少期の影響は大きいなと思います。

そして、改めて「誰かと食べる楽しさ」や「自分のこだわり」などを、大人になってからも大切にしていこうと思いました。
 
P.S. ちなみに、同じ環境で育った私の弟は、魚を捌いたり、包丁を研いだりする、私よりも料理大好きな人間になりました。

(編集部:橋本)

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