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境界性パーソナリティ障害(BPD)の人の「嵐のような人間関係」

「境界性パーソナリティ障害(BPD)の人々の生き方は止まらない激情のジェットコースターのようなもの」

と、BPDの実像や治療法を伝え広めたベストセラーの邦訳、『境界性パーソナリティ障害の世界 I HATE YOU DON'T LEAVE ME』(翔泳社)では書かれています。

こうした特徴から、BPDの人は人間関係をうまく構築したり、人付き合いを続けたりすることが難しい場合も少なくありません。本書ではそれが「嵐のような人間関係」と形容されています。

今回は本書から、BPDの特徴が紹介されている「第一章 BPDの人たちが生きる世界」の一部を抜粋します。以前公開した記事「境界性パーソナリティ障害(BPD)の人たちが生きる世界」の続きですので、合わせて読んでいただけるとBPDについてより理解が深まるのではないでしょうか。

◆著者について
ジェロルド・J ジェイ. クライスマン(Jerold J. Kreisman)

医学博士。アメリカ内外で広く講演活動を行っている著名な臨床精神科医、研究者、教育者。論文や記事を執筆し、Psychology Today 誌にブログを掲載している。著書にハル・ストラウスとの共著Sometimes I Act Crazy: Living with Borderline Personality Disorder(『BPD(境界性パーソナリティ障害)を生きる七つの物語』星和書店、2007 年)がある。アメリカ精神医学会生涯会員。

ハル・ストラウス(Hal Straus)
心理学、健康やスポーツをテーマとした7 冊の著書や共著がある。American Health、Men's Health、Ladies' Home Journal、Redbook など、学術誌や全国誌に多数の記事を掲載している。米国眼科学会の出版部門責任者を務めていたが、退任した。

◆訳者について
白川貴子(しらかわ たかこ)

翻訳家、獨協大学非常勤講師。訳書に『境界性人格障害(BPD)のすべて』(ヴォイス、2004 年)、『帝国の虜囚 日本軍捕虜収容所の現実』(みすず書房、2022 年)、『ファシズム』(みすず書房、2020 年)などがある。

◆本書の目次
第一章 BPDの人たちが生きる世界
第二章 カオスと空虚感
第三章 ボーダーライン症候群の原因
第四章 BPDを生みだす社会
第五章 SET-UPコミュニケーションを活用する
第六章 BPDの人たちに対応する
第七章 よりよい治療を求めて
第八章 精神療法のさまざまなアプローチ
第九章 薬物療法の科学と未来
第十章 疾病を理解して治癒へと向かう
補 遺 BPD診断の代替モデル


嵐のような人間関係

BPDの人々は、常に他者の犠牲になっているように感じているにもかかわらず、皮肉なことに必死になって新しい人間関係を開拓しようと努力しつづけます。たとえ一時的であったにせよ、孤独でいるのを虐げられるよりも耐えがたく感じるのです。

孤独感から逃れるため、シングル向けのバー、出会い系サイトや知り合ったばかりの誰かの腕の中など、どこかヘ―どこへでも―行き、映画のタイトルさながらに「ミスター・グッドバーを探して」を実践したり、ティンダーでマッチする相手を探したりし、自分の意識に苦しめられる拷問から救い出してくれる人を探し求めています。

しっかりした生き方の構築を追い求める中で、たいていの場合は自分と補完的な性格特性をもつ相手に惹かれ、そのような相手を惹きつけます。例えば、先のジェニファーは、身勝手で自己愛的な性格の夫によって、さして努力をせずに明確な役割を与えられることになりました。服従や虐待の要素があったにせよ、ジェニファーは夫のおかげでアイデンティティを得ることができたのです。

しかし、BPDの人たちの人間関係は急速に崩壊してしまうことがめずらしくありません。BPDの人と親しい関係を維持するためには、BPD症候群をよく理解した上で、綱渡りのように細い道を歩きつづける覚悟が必要です。親密すぎるとBPDの人が息苦しくなりますし、距離をおいたり放っておいたりすれば、短い時間であっても、BPDの人は子どものころに味わった見捨てられ感を呼び起こしてしまいます。どちらのかたちで接するにしても、激しい反応が返ってくるでしょう。

BPDの人たちは、ある意味で対人関係の大雑把な見取り図しか持っていない探検家のようなものなのです。大切な相手に対しては特にそうですが、他者に接する適切な距離をはかることが大変苦手です。それを埋め合わせようとして、しがみつくような態度と怒りに満ちた作為的な態度、あるいはほとばしる感謝と不条理な怒りの間を行ったり来たりしてしまいます。親密な関係を切望しつつ、同時におびえてしまい、誰よりもつながりたいと思っている相手をはねつけてしまうのです。

仕事や職場のトラブル

BPDの人たちは私生活を送る上では大きな困難を抱えているかもしれませんが、仕事においては生産的に働いている人がめずらしくありません。支援的な環境で、定義が明確な適切に構成された仕事をしている場合には、この傾向はさらに高くなります。

長期間にわたり問題なく仕事をこなしてきたにもかかわらず、仕事の仕組みの変更、家庭での何らかの変化、または気まぐれや変化を求める気持ちなどによって、それまでの仕事から離れたり、仕事を放り出したりし、新たなチャンスに向かう人もいます。あるいは、軽い慢性的な病気を抱え、何度も医者にかかったり病欠を繰り返したりする人も少なくありません。

職場はBPDの人々を社会の無秩序な対人関係の荒波から守ってくれる世界であるため、たいていの場合、BPDの人は高度に組織だった職場環境で最大限の力を発揮します。対人関係をコントロールしたいと願いながらそれがかなわないBPDの人々は、医学、看護、聖職、カウンセリングなどの支援的な職業にも惹かれます。渇望している献身を他者に向けるかたちで、誰かの力になり、自分も認められるという役割を担うのかもしれません。BPDの人々は優れた知性や芸術的な素質に恵まれていることが多いため、激しい感情の後ろ盾を得て創造性を発揮し、成功を収める人もいます。

他方で、仕事が構造化されていなかったり、競争が激しかったり、批判的な厳しい上司がいたりする環境においては、自制できない怒りを爆発させたり、拒絶に対する過敏な反応を引き起こしたりするかもしれません。怒りが職場全体に向かい、キャリアを台無しにしてしまうこともあります。

“女性に特有”の病気なのか?

これまでの研究では、BPDは男性の三倍から四倍ほど女性に多いことが示唆されていました。ところが最近の疫学研究によると、女性のほうが治療を受ける頻度は高いものの、有病率は男女ともに同じ程度であることが確認されています。

さらに、女性のほうが症状や障害の重症度が高いこともわかっています。いままでの臨床試験で女性の割合が高かったことについては、それが説明の一助になるでしょう。しかしBPDが「女性の病気」であるとみなされやすい理由は、そのほかにもあると考えられます。

BPDの診断には、臨床家のバイアスがかかっているのではないかと考えている人たちもいます。アイデンティティや衝動性の問題について男性のほうをより「健常」と判断しがちな心理療法士の考え方が、男性の過少診断につながっているのではないかと見ているのです。

女性の自己破壊的な行動は、気分障害によって引き起こされているとみなされがちであるのに対し、男性が同様の行動をとると、反社会的な行動と思われがちです。そのため女性であれば精神科の治療を受けるように勧められるところを、男性は刑事裁判にかけられ、疾患が正しく診断されずに終わっている可能性も考えられるでしょう。

さまざまな年齢層のBPD

衝動性、騒動が絶えない対人関係、アイデンティティの混乱、不安定な感情など、BPDにかかわる特徴の多くは、青年期の若者が発達過程で経験する主なハードルと同じです。中核となるアイデンティティを確立することはティーンエージャーにとってもBPDの人々にとっても、最も大切な課題なのです。そのため必然的に、BPDを診断される人はほかの年齢層にくらべ、青年層や若年成人層に多くなっています。

高齢者層にはBPDの人はまれなようです。最近の研究では、BPDの診断が大きく減少するのは四十代半ば以降であることが示されています。一部の研究者はこのデータにもとづき、高齢のBPDの人々は時間の経過に伴って「成熟し」、安定した状態に到達したという仮説を立てています。

しかし、人間は歳を重ねるにつれ、知的・肉体的な衰えを受け入れていかざるを得ないため、適応の過程は年齢が高いBPDの人にとって危険なものにもなり得ます。従来の世界観を改めて自己像を調整することに、脆弱なアイデンティティがついてゆけず、いっそう症状を悪化させてしまう場合もあります。老齢に向かう人の中には、自分の衰えを受け入れることが難しいために至らなさの責任を他者に投影し、妄想傾向を強めたり、不自由を強調して一段と依存的になったりする場合があります。

社会経済的な要因

BPDの病理は、アメリカのあらゆる文化圏や経済階級で確認されています。しかし伴侶との離別、離婚、死別などを体験した人、一人暮らしの人、低学歴、低収入の人の間ではBPDの人が有意に高い割合を示しています。貧困が乳児や小児に及ぼす影響―ストレスレベルの高さ、育児環境の悪さ、児童保護や精神医療、妊婦医療などの支援体制の不備(脳障害や栄養失調につながることがあります)など―は、貧しい人々の間でBPDの発生率を高める要因になると考えられます。

BPDにかかわる社会的コストもかなりのものになっています。BPDの患者は一般の人々と比較して、精神疾患その他の疾患の治療費が相対的に高いだけでなく、疾患による労働生産性の喪失も高くなっています。デンマークで数千人を対象に行われた、BPDの人々と一般集団にかかった医療費を十五年にわたり比較した大規模な研究によると、BPDの人はパーソナリティ障害と診断される五年前でさえ、医療費が高くなっていることが確認されました。また、BPDの患者の配偶者も、生産性の損失による損害コストと医療費が一般集団よりも高くなっていることがわかっています。

地理的な観点

BPDにかかわる理論の定式化や実証的な研究はほとんどがアメリカでなされてきましたが、カナダ、メキシコ、ドイツ、イスラエル、スウェーデン、デンマーク、その他の西欧諸国や、ロシア、中国、韓国、日本、その他の東方の国々にも、BPDの病理が存在しています。

現段階では地理的な比較研究はまだ十分とはいえず、研究結果の報告にも齟齬が見られます。例えば、ヒスパニック系の人々にBPDの割合が高いことを示唆する研究がある一方で、ほかの研究ではそのことが確認されていません。アメリカ先住民の男性にはBPDの割合が高いと報告している研究もあります。

一貫性のある研究が十分になされているとはいえないものの、こうした研究の成果は、育児、文化や社会環境のより糸がどのように絡み合ってボーダーライン症候群という布地を織り上げているのかを知る上で、貴重な手がかりになるでしょう。


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