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長岡花火は心のよりどころ

先日の記録的豪雨による被害に遭われた地域の皆様の安全と一日も早い復興を心より願っています。

先日、3年ぶりに長岡花火が開催され、私も家族と観てきました。今回は長い記事になってしまったので、お時間ある時にお付き合いいただけたら幸いです。

花火は夏の風物詩であるけれど、私たち長岡人、新潟県民にとってこの花火大会には特別な思いがあります。

長岡花火は「慰霊」「復興」「平和」の想いが込められています。

2020年のパンデミックから開催中止が続いた長岡花火。これは戦後、初めてのことでした。特別な存在である長岡花火は長岡の歴史と関係しています。

慰霊

昭和20年8月1日、長岡市はB29による焼夷弾爆撃を受けました。旧市街地は焼け野原になり、1,488名の命が失われたと言われています。これが『長岡空襲』です。

小学生の頃、学校の図書館でこの長岡空襲を体験した方の話を聞きました。「当時を思い出したくないから、こうした語り部はしてこなかった。けれど、あんなに悲惨なことが二度と起こらないように、私が語ることで力になれるならと引き受けることにしました。」一字一句鮮明には覚えていないけれど、このようなメッセージを受け取ったことは覚えています。時折涙ながら話してくださった姿は忘れられないです。

この長岡空襲の翌年、昭和21年8月1日に『長岡復興祭』が開催され、戦時中、中止となっていた長岡花火も昭和22年に復活します。8月1日を「戦災殉難者の慰霊」の日とし、2・3日を「花火大会の日」と定められました。

平日になる年があるにも関わらず、毎年この日に長岡まつり大花火大会が開催されるのはこうした理由です。今ほどの技術もない当時。焼け野原からこんなにも短期間で復興の道を歩んだ先人たちの想いと労力を尊敬してやみません。

復興

戦後の復興を遂げた長岡は平成に入り、再び災いに見舞われます。
平成16年10月23日『中越大震災』です。震源地である山古志村は甚大な被害を受けました。震源地からは離れているものの、私の住んでいた地区もライフラインは止まり、家の中は家具が倒れ、しばらくは車中泊の日々でした。年のはなれた妹はまだ生まれたばかり。兄はストレスやショックでご飯が喉を通らなくなりました。

この中越大震災の翌年に復興祈願花火、「フェニックス」が打ち上げられます。フェニックスは平原綾香さんの「Jupiter」にのせて打ち上げられるミュージックスターマインです。

どんな災いからも何度でも立ち上がるようにと、不死鳥のかたちをした花火が現れます。全長約2kmに渡って打ち上げられる、降り注ぐかのような花火とJupiterの歌詞とが合間って、感動という言葉では言い表せない感情が込み上げてきます。

私は "Every day~" が聞こえると、毎回うるうるし始めてしまいます。なんなら花火がなくてもJupitaerを聴くだけで危ういこともあります。それくらい、私たちにとって思い出深い曲、心に刺さる歌詞になっています。

愛を学ぶために 孤独があるなら 
意味のないことなど 起こりはしない
平原綾香「Jupiter」より

この1年間で起きたこと、大変だったあの時のこと、乗り越えてきたこと、今隣にいる大切な人のこと。きっと私含めみんながこんなことを想いながらフェニックスを見上げていると思うんです。

長岡花火はたくさんのプログラムがあるけれど、中でもフェニックスを見上げているあの瞬間は、会場が一体になっていると肌で感じられます。また一年、頑張れるって背中を押されるんです。

平和

今年のフェニックスでは青や黄色のウクライナカラーが多く見えました。

山下清の代表作に「長岡の花火」があります。彼の残した言葉と、その精神を引き継ぎ、長岡映画「この空の花-長岡花火物語-」も制作されました。

彼の描いた世界が現実になったらいいのに、と花火を見ながら彼の言葉が思い返されました。この戦争が一刻も早く終わりますようにと多くの人が祈っていたと思います。

「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」
「長岡映画」製作委員会

花火大会と称しながら、長岡花火は競い合うという側面をもっていません。
そして、前情報なしにパフォーマンスとして花火を楽しむにも、長岡花火は申し分ないと思います。

けれど、もし会場で観覧する機会が来たら、是非花火に込められている想いも知ってもらえたら嬉しいです。一緒に花火を見上げる人との時間が、きっと特別な体験になると思います。

感謝

開催直前、全国的に感染者が増え、一時は中止になるかもしれないとも思われました。

開催に関しては賛否両論あったかとは思いますが、やっぱり長岡花火を実際に見て、感じてみると、開催してくれたことに感謝しかありませんでした。

この数年、夏になると心にぽっかり穴が空いたような気持ちでした。

この数年で世の中はすっかり変わってしまったし、個人的にも変化の多い時期だったけれど、変わらず感動を与えてくれる長岡花火は健在で、美しく、私たち故郷の象徴であり、誇りであり、心のよりどころだったのだと感じました。

長岡花火を開催してくれて、本当にありがとう。




参考元:https://nagaokamatsuri.com/

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