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饗宴「夜鷹無限上昇」乗船記録

谷口賢志:仁科鷹雄(作曲家。友人からも業界の中でも一目を置かれている)
川隅美慎:星野(鷹雄の記事を書いている記者。取材をするうち、鷹雄の魅力にのめり込んでいく)
和泉宗兵:高島(鷹雄の学生時代の友人。CM音楽を多く手がける)
坪倉康晴:仁科の弟(高島と付き合っている。お兄ちゃん子)
八島諒:大熊(作詞家。鷹雄を理解しているつもりが、いつも空回りしてしまう)
横山真史:蜂谷(広告代理店の人。鷹雄の才能を認めて暫く寛容でいたが、妥協を許さない姿勢に呆れ初めている)

言葉に残すのが野暮かとも思いましたが、とある日のメモを公開します。苦手な人は苦手でしょうし、個人的な思いが偏りすぎて、筆者の屈折した性格が出てしまってますが修正していません。ご容赦ください。

◼️鷹雄なのか鷹山さんなのか。鷹雄のキャラクターについて
天才すぎるが故、蜂谷や大熊のように器用に要領良く立ち回れなかった悲劇がやるせない。誰もが高島みたいに生きられるなら、そう苦労はしないだろうけど、私自身も単純でない不器用な鷹雄のキャラクターに惹かれていました。
気難しくて、でも、人を寄せつける魅力のある仁科鷹雄を谷口賢志さんが演じる姿にはしっくりきました。苦悩する姿も、何度も努力してうまくやろう立ち回ろうとして、失敗しながら虚勢をはって生きる姿も愛おしいキャラクターです。

◼️感想と備忘のそれら断片的な
天才作曲家の鷹雄は星野からインタビューを受けている。星野と話すうちに色々なことを思い出した鷹雄。親友と弟、蜂谷の仕事のこなしかた、作詞家大熊の浅はかさ、他者から見た"私"と表現したかった在るべき"私"像は、苦悩しながら乖離していく。

天才がだんだん孤立して落ちぶれていく様は、すごく分かりやすくて良い題材でした。なかなか最近、才能が重すぎて隣人を大切に出来ない人の話を見過ぎて、どんよりしていますが。

女としての立場で見てしまうと、きっと鷹雄の代表曲である荊棘幻想曲を書き上げた時期が絶頂で、好きで仕方ない場面なのかもしれないと感じました。スランプのなか自棄になり、孤独に呑まれ、ついに作品の納期を逃して友人からも家族からも見放された姿は、放っておけなくもありましたが。

この主役が男性でなく女性なら、泣けなかったかもしれないです。田中良子さんが主演で、相手役生駒ちゃんあたりに「貴方には失望しました」みたいな百合展開があれば別として、女性でないからこそ画になる悔しさは拭えません。(レポートを書いた後から様々な方の感想を読む中で、元々女性の登場人物が居たほさかさん作の同名お芝居が2013年に上演されていたことを知りましたが)

苦悩する男は美しい。傲り昂る姿は苛々するくらい醜いけれど、憧れた星に近づけば近づくほど魅力的。クチバシが曲がっていても、血塗れで殆ど目が開かなくて上も下も判断できないくらい壊れていても、それは勲章になるのかもしれない。

救いは死なのか、創作から離れることなのか。創作が生きることならば、新しい音楽が出来ないことは精神の死とも捉えられる。

広告代理店の友人を小馬鹿にしたり、CM音楽を手がける有名作曲家の友人を見下して、「量産型のキャッチーな音楽だけ作ればいいお前とは違う」などと、最後までこだわって"天才作曲家"であろうとした鷹雄。

鷹雄の曲に惹かれた作詞家大熊は、締め切りが近づいたことを見かねて何パターンも詞を仕上げてくる。100作を用意しても1作も選ばれないかもしれないのに、手帳いっぱいにアイデアを用意してくる。鷹雄へこの仕事を持ってきた蜂谷も納得の出来で、鷹雄はその評価に同意を促され、詞のいくつかに目を通す。しかし、鷹雄はまたしても気難しい態度をとる。「この詞のどこに俺を感じるのか?何が良いのか全然わからない」と酷評。大熊自身も完璧には納得いかないが、仕事と割り切って詞を書かなければならないジレンマを抱えていた。

痺れを切らした蜂谷は、締め切り迫る状況で鷹雄への依頼は諦め、高島に仕事を託した。納期までに作品ができなかったとはいえ、友達に仕事を取られ、どんどん孤立。繊細すぎるがゆえ、誰からも見放された。

ついには弟からも愛想をつかされた。

「お兄ちゃんの心をそんなにまで削った音楽って、いったい、どんなものが仕上がるのかな。ーー僕は聞きたくないけれど。じゃあね、お兄ちゃん。」

残ったのは記者の星野。彼にだけは鷹雄の求めた形に近い音楽が流れていたのかもしれない。共感して奮い立たせてくれる存在が、鷹雄の一筋の光となった。

鷹雄と星野のパーカッションのシーンは印象的だった。机や壁を叩いたり、カップにスプーンを弾ませて呼応しあう2人。鷹雄は「こんなものは音楽じゃない」と否定したけど、あの時間と空間だけは、きっと傍観者の我々も彼の思い描く音楽のなかに存在できていた気がする。

『よだかの星』だとお兄ちゃん好きの優しい弟が居たけれど、なぜ夜鷹〜はスランプに陥る兄を途中で見放す発言があるのか。疑問があったものの、船を降りて(ディスグーニーズから帰って)から考えた。全く見放すのではなくて、好きだからこそ距離を置いたのかもしれない。

人と喜びを分かち合う時間も、人と過ごす時間も極限に、ストイックに生きてきた先に残ったのは作品で付いてきた人なのか。切磋琢磨してきた仲間なのか。家族か。

憧れた星へ近づけば近づくほど傷つき痛み、目の前が見えなくなっていく。

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