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立ち読み『香川にモスクができるまで──在日ムスリム奮闘記』プロローグ

ロードサイドにモスク建立?!
地方都市で暮らす在日ムスリムたちを追った、
笑いと団結、そして祈りのルポタージュ


日本で暮らす移民は増え続けている。香川県には、2019年時点で約800人のインドネシア系ムスリムからなるコミュニティーが存在していたが、信仰のための施設《モスク》はまだなかった。
信仰にとってモスクとはどのような存在なのか? そもそもイスラム教とはどのようなものなのか? モスク建立に奔走する長渕剛好きのインドネシア人フィカルさんとの出会いから、著者は祖国を離れ地方都市で暮らす彼らのコミュニティーに深く関わるようになっていく──。

刊行を記念して、本書の「プロローグ」を公開します。

プロローグ

「香川県にモスクをつくろうとしているインドネシア人がいる。その男は、溶接工で、長渕剛が好きらしい」

その噂を聞いた私は、背後のヘッドライトに煽られながら、車で香川県のX市に向かった。
2019年3月某日の夜7時。私はその男と会うために、瀬戸内海に面した工場地帯を抜け、やがて住宅団地の神社の駐車場にたどり着いた。モスクがイスラム教の集団礼拝所だとは知っていたが、タイル張りの細密画で装飾された宗教施設という印象が強く、あのような建造物が香川県の地方都市にできることが信じられなかった。しかし、情報元のBさんは信頼できる人だった。Bさんはサーファーで、インドネシアに波を求めて通ううちにムスリムに改宗した。
インドネシア人技能実習生をボランティアで世話していたので、コミュニティー内部に詳しい人だったのだ。

フラフラ歩くサラリーマンや、子供を乗せチャリで爆走する女性とすれ違いながら、街灯を頼りに指定された住所へと歩く。一体どんな男なのだろうか? モスクをつくろうというくらいだから、さぞ信心深く、真面目な人なのだろう。警戒心が強い可能性もある。追い返されたらどうしようか。いや、それよりも長渕が好きというのがひっかかる。そんなことを考えていると、民家から男が現れ、巨体を揺らしながら近づいてきた。褐色の肌に彫りの深いインド系の顔だ。身長は180cm くらいあり恰幅もよく、ムスリムがかぶるらしい刺繡が施された帽子をかぶっている。受けとった怪しい印象に、私は思わず身構えた。男は大きな瞳をこちらに向け、口を開いた。

「よう来てくれました。私フィカルね。いまからモスクの打ち合わせするけんね」

あまりに流暢な讃岐弁に拍子抜けしたが、このフィカルという男が モスクをつくろうと奮 闘するインドネシア人ムスリム・コミュニティのリーダーらしい。この日は計画について話し 合うために、彼の家に友人が集まっているとのことだった。当時、香川県には約800人のイ ンドネシア人が暮らし、他にもパキスタン人、バングラデシュ人、モロッコ人、トルコ人など多国籍のムスリムがいたが、モスクは存在しなかったのである。
「どうぞどうぞ。入ってください」と低姿勢のフィカルさんは玄関のドアを開けてくれ、私は 導かれるようにその家に足を踏み入れた。その先に、イスラム教の未知の宇宙が広がっていて、私と彼との長い付き合いが始まるとは知らずに。

本書はインドネシア人ムスリムたちがさまざまな問題にぶつかり、時に迷走しながらも、モスクのために突き進む姿を追った奮闘記だ。グループのリーダーであり、強烈な個性を放つ義理と人情の男、フィカルさんを中心に物語が進んでいくが、様々な個性的なムスリムと信仰の形が登場する。その中で私が感じた、日本人とムスリム、ひいては移民との共生についても考える内容になっている。

この稀有な物語を書き進める前に、なぜ私がモスク建立計画に興味を持ったか、説明したい。私はフリーランスのライターとして国内外のマイノリティのコミュニティーを取材し、記事に書いている。そういった対象に興味を持つのは、自分自身がイギリスやニュージーランドで暮らしたり、バックパックを背負ってアジアやヨーロッパを旅したことを通じ、各地でマイノリティの痛みを味わったからだと思う。これまでに移民、少数民族、難民など、様々な背景を持つ人々を取材してきた。彼らが語る言葉は示唆に富んだ印象深いものが多く、胸をえぐられ るような問いを投げかけられることがある。

その中でも忘れられないものの一つは、2015 年に東京で暮らすアメリカ人男性に取材したときの言葉だ。移民に母国との違いを聞く企画だ ったが、彼は声を潜め、まるで重大な犯罪行為を明かすような口調でつぶやいた。 「私は実はムスリムですが、そのことは書かないでください。日本人の友人をなくすかもしれないので」
周囲の雑音にかき消されそうな声を、私はなんとか聞き取った。 彼はそんなことを考え、疑心暗鬼の中で生きているのか。衝撃を受けた私は、国内のムスリムのことを知らなければいけないと思った。無知に忍び込んだ情報や物語は、平凡な人間のイメージを善人にも悪人にも変えてしまうことがあるからだ。多くの市井のムスリムは、ここ数十年、その構図に吸収されている。

2019年末時点で推計18万3000人いるとされている在日ムスリムがおかれている状況はどんなものだろうか。ネット上に流布されたイメージを拾っていくと、まるで絶対的にわかりあえない人たちのように扱われていた。女性蔑視、怖い、非文明的、という攻撃的な言葉を目にした。一方で、イスラム教について書かれた書籍を読むと、マクロの視点でイスラム教を称賛や批判するものが多く、こちらもどうもしっくりこない。彼らの実態は、ヘイトと偏見と、それに対する擁護の攻防によりぼんやりしていて、ムスリム一人一人が持つ個性が伝わってこないと感じていた。

私たちは、彼らが普段、どんなことを考え、何を食べ、何をして遊び、どんなジョークで笑いあうのか、リアルな姿を知らない。いや、知ろうとしていないという表現が正しいかもしれない。
旅や海外での居住を通じて、サウジアラビアやパキスタンなどにルーツを持つムスリムと出会い、交流したことはあったが、確かに彼らは、私たちが慣れ親しんだものとは違った習慣や価値観も持っていた。移民なしには労働力を補えない時代に突入している日本で、ムスリム人口が増え続けると予想される今、私たちは、彼らとどうつきあっていくべきかを模索する必要がある。そのためにできれば地方で暮らすムスリムに取材したいと思っていた。人口が多い都会だと埋もれてしまうような彼らの本質が、鮮やかに浮かび上がるはずだからだ。

そんな時に得た情報が、モスク建立計画である。この計画を追うことは、ムスリムのことを理解するよい機会になると思った。教会や寺院も含めた宗教施設に共通しているのは、その内部に信者の人格を形成する信仰の核が宿っていることだ。だが、モスクは謎多き宗教施設で、どんな人が集まり、どんなことが行われているのか知られていない。それに、目標に向かって奮闘する様子から、彼らが日常的に抱く悩みや葛藤、寂しさや苦境など、多面的な姿が見えてくると思ったのだ。
想像通り、資金集めや物件探しのハードルは高く、差別や偏見の目を向けられる現場を幾度 も目にした。彼ら自身もムスリムのパブリック・イメージを知っていて「日本人からの視線」 に不安を抱き、自分たちが社会的弱者だと思い、生きていた。しかしフィカルさんは「お祈りしとるからうまくいくわ」と自分を奮い立たせ、満身創痍でつき進んだ。その姿を追ううちに、

「なぜ、そこまでしてモスクが必要なのだろう? 私が思っているより、深い理由があるのではないか?」という疑問が膨らんでいった。

「祈りの場」としてだけではなく、何か生活と地続きの、彼らが吐露する悩みを解消するような力がモスクにはあるはずだ。その理由を私なり に理解すること、言語化することをこの取材のゴールに設定し、暗中模索の中で彼らの取材を続けていた。
突破口は、意外なことをきっかけに開かれる。2020年のパンデミックによる世界の混乱だ。だれもが苦しみ、希望を失っていた時期に、圧倒的なコミュニティーの形成力と互助システムを発動させ、ついには建立の夢を成就させる。史上まれに見る危機的状況で、彼らが起こした行動は、驚くべきものだった。その実践がムスリムの本質とモスクが必要な理由を浮かび上がらせ、同時に日本社会の虚弱さをあぶりだしていった。閉鎖感が覆い、コミュニティーの崩壊や資本主義の限界などに迷走を続けるこの国で、彼らと過ごした数年間は、多様性がもたらすものの深淵に触れる長い旅路でもあったのである。

確かに、同じ地域に異なる文化や宗教が混在することはリスクを伴うことがある。私も旅や海外在住の経験を経て、多様性という理念がはらむ危うさを何度も体感した。人種や宗教の違いを乗り越えるのためには、不断の努力と覚悟が必要で、たやすいことではない。だが前述したとおり、移民なしには労働力を補えない時代に突入している日本で、これからも増えていくであろう在日ムスリムとどう共生していくのかという課題は避けられない。本書が労働力という文脈からは離れた領域から、移民受け入れの是非について考えるきっかけにもなれば幸いである。 また、本書ではインドネシア人ムスリムを中心に取材しているが、世界のムスリム人口は 億人を超える。国や地域、個人によって信仰の捉え方や人間性に違いがあり、多種多様 な人生を送る人がいることをまずは伝えておきたい。そして、ムスリムへの取材を始める遠因となった、9・ 11後に突然姿を消したムスリムの友人、アブへと感謝の念を送りたい。

※イスラム教の呼称は、近年、「イスラーム」、また「イスラーム教」が主流になっているが、本書では、一般的に馴染みのある「イスラム教」を使用している。そのほかの用語も、なじみのあるものにしている。

目次
プロローグ
第1話 出会いと介入 和室に響き渡るムスリムの祈り
第2話 ゆめタウン、フードコート集合 寄付活動に密着
第3話 義理と人情の男 フィカルの波乱の人生
第4話 物件探しに見るフィカルさんのトラウマ
第5話 混迷の物件探し 差別と偏見のリアル
第6話 技能実習生とモスク 弟分のためのフィカルのカチコミ
第7話 モスク完成が目前に! 突然現れた、謎の富豪ムスリム
第8話 パンデミックが炙り出すムスリムの絆
第9話 危うい計画 無謀な挑戦の行方
第10話 突然翻られたパートナーの反旗
第11話 多様性の意義 ムスリムの世界観に救われる
第12話 娘たちへの不安
第13話 快進撃前夜 動画制作、涙の演奏会
第14話 ついに始動、インドネシア人コミュニティーの底力
第15話 70人のバス旅行 消えた友人と、私がムスリムを追う理由
第16話 モスク完成と聖なる出発点

『香川にモスクができるまで──在日ムスリム奮闘記』書影

岡内大三(おかうち・だいぞう)
ライター/編集者。1982年生まれ。海外居住やバックパックでの旅を通じて、異文化に触れてきた。2011年に東京の出版社を退社し、フリーランスに。移民、少数民族、難民などを取材し、ノンフィクション記事を執筆。土着的な音楽や精神世界などにも興味を持ち、国内外で取材を続けている。近年は文章に軸足を置きつつ、リサーチをベースにした映像作品も制作。身体表現や生け花などのパフォーマンスをメディアと捉えなおし、ストーリーテリングの手法を模索している。