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【さきよみ】岡田憲治『教室を生きのびる政治学』より「はじめに」全文掲載!

学校という集団生活を政治学でみてみると、人びとのうごめきや社会の結びつきが、もっとくっきり見えてくる。わたしたちが安心して暮らすために、政治学が「役に立つ」とはどういうこと?
4月24日発売の『
教室を生きのびる政治学』より「はじめに」の全文を掲載します。

はじめに

 
 突然だが、こういうモヤモヤする経験はないだろうか?

 とある学校行事に向けたクラスでのホームルーム。場を仕切っているのは声が大きいタイプのいつものメンバーで、あまり発言しない人たちはまるでその場にいないかのように話が進んでいく。話があっちこっちにとっ散らかってかみ合わず、議長役のクラス委員も、みんなも重苦しくなっている。感情もふくめてどんどん迷走していくさまは、もはや議論とは言いづらい。打開するために多数決をとってみたら、賛成51% ・ 反対49%となり、結果、クラスの半分ほどの考えや気持ちは無かったものとして何となく賛成案が通ってしまう。

 あるいは、こんな気持ちになったことはないだろうか?

 「差別はいけない」「平等が大事」……学校でもSNSでもさかんに言われているし、それはよくわかっているつもりだ。でも、特別に同情されたり配慮されたりしている隣人をみると、心が妙にザワザワしてくる。こっちだってけっこうキツい状況なのに、と。自分はワリをくっているのではないか。学校も教室も、なんなら社会だってぜんぜん平等じゃないと言いたくなってしまう。

 ……………………

 この本は、おもに中学生・高校生といわれる人たちに向けて、政治や民主主義の思いがけない知恵を伝え、それぞれの暮らしに使ってもらうために書いたものである。「はぁ、またか」と思った君。ちょっと待ってほしい。実はこれは、まだ誰もトライしたことのない本なのである。

 中高生といっても、小四ぐらいから塾に行って中高一貫私立に入学した諸君もいれば、地元の公立中学、公立高校にいる人もいる。行きたくてその学校にたどり着いた人もいれば、モヤモヤしながら居るだけの人、早くこの場をやり過ごしたいと思っている生徒もいる。周りから浮かないように弾はじかれないように、声を殺すように生きている人もいるだろう。家で通信教育を受けている人もいる。「中高生」という呼び名はたんなる記号だ。つまり、中高生といっても本当にいろいろだ。学校生活を楽しく謳歌(おうか)している人もいる一方で、自分の生活を生き地獄のように思って暮らしている人もいるかもしれない。
 そんなふうに不安や疑念、イラ立ちを抱えながら生きている人たちにとって、必要なのは「国民主権」だとか「責任ある市民」だとか、そんなたいそうなお題目ではない。大事なのは、自分の身の安全や安心、つまり半径5メートルにおける安全保障の問題だろう。
 安全保障、といっても軍備や国家間の紛争の話をしようというわけではない。半径5メートル、それは僕たちの日常の生活空間の話だ。日常の生活空間(とくに教室内)で頭を抱えながらうずくまるのではなく、少しでも心穏やかに、安心して過ごすために、なにより政治学が役に立つ、ということを伝えたいのだ。

 僕は、東京にある私立大学の教授で、君たちよりも少し年上の人たちにその政治学という学問を教えている。そこそこの年なのに、中学生と小学生の子供がいる。
 この本では、政治学の視点から、学校の教室で起こるアレコレについて考えていく。それはなぜか? 卒業して進学したり就職したりするまで、なんとか教室を生きのびて、学校生活をサバイブしてほしいからだ。
 政治学の案内本はこれまで、国家とか議会とかとても大きくて抽象的なテーマを扱ってきた。そして、スバラシイ民主主義を支えるために、国民はみんな「立派な市民」になって支えなさいと、ときにやさしく、ときに厳しく説いてまわった。
 しかし、僕のやり方は少し違うのだ。
 アメリカの大統領公邸でも、中国の北京政府でも、永田町(国会)や霞ヶ関(官僚街)でも、商店街の会合でも、教職員会議でも、そして君たちの教室の中でさえ、人間の行動には同じ力学=「政治」が働いている。現場では、君たちの意図とは無関係に、カラクリとしてうごめく政治がある。それをなんとかコントロールする技法について、僕の研究している政治学は、なにがしかの知恵と言葉を用意している。いろんな人が多数集まる安定しない場所を生きていくのに、じつは政治学はとても役に立つ。だからその知恵と言葉を、君たちが学校生活を生きのびるために使ってほしいのだ。「立派な市民になりましょう」なんてけっして言わない。「最悪な状況を避けよう」くらいの出発点から進んでいきたい。
 ふだん大学生相手に政治学を教えているが、それをさらに中高生の暮らしに沿うかたちでわかりやすく、しかしぜったいに水準を落とさないことを心に決めてこの本を書いた。水準を落とさないかわりに、たまに正々堂々と年上目線が現れることもある。そのときは少しだけガマンして読み進めてほしい。

 序章では、本書の前提となること、つまり僕たちはなぜ社会などというよくわからないカタマリに属しているのか、その入り口について考える。自分を責めることをやめ、肩の力を抜いて、まずはそこを押さえよう。それを踏まえて第一章では、なぜかわからないけど人の言うことを聞かせられている場面をあげて、学校のなかで君たちがもうとっくに政治に巻き込まれていることについて見ていこう。第二章では、クラス・ミーティングをとりあげ、民主主義の土台にもなっている「話し合い」について考える。意見を積極的に言うことが良いという正論はあるが、大人でも若者でも「言えない」人たちはじつはとても多い。黙っていても考えている人たちだ。この章では、その人たちにもしっかり光を当てる。つぎに、仲間ときくと「心を通わせる」友人関係をイメージされるが、無理なことは言わない。真心と切り離したところで協力しあえる関係について第三章で話す。第四章は、平等について。さまざまな人の心のスイッチを押してしまうこの問題を、入学試験などの問題から考えてみる。第五章ではざっくりとこんなことを書いている。自己責任なんか無視しろ、何度でもやり直していい、学校なんか命をかけて行くところじゃない。

 この本は、中高生を念頭において書いた本であるが、保護者の方がたや学校の先生がた、つまり、とにかく必死に彼・彼女らの命の心配をしつづけてここまできた人たちにも読んでほしい。もちろん中高生を見守る生活はまったくもって忙しいので、お手隙の時にお願いします。
 学校に集う人たちだけでなく、商店街でクレープを売っていたり、消防署でレスキュー訓練をしていたり、あるいは居酒屋で「張り切って準備中!」の人たち、つまり、他者とともに社会のなかで生きる人たちにとっても意義のあるものになるように書いている。
 どなたにとっても、読み終わるころに、政治が、社会が、少しでもくっきり見えてくるようになっていれば本望である。

 それでは、さっそく始めていこう。
 最初は、あの「友だちは多いほど良い」という考えは間違いだ、という話だ。
 社会というものは、友人関係だけでつながって出来上がっているわけではないのだ。

――どういうこと?

岡田憲治『教室を生きのびる政治学』(晶文社)は、4月24日発売予定!
本の情報はこちらから↓

岡田憲治(おかだ・けんじ)
政治学者、専修大学法学部教授。1962年、東京生まれ。著書に『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)、『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、共著に『転換期を生きるきみたちへ』(内田樹編、晶文社)など多数。愛称オカケン。広島カープをこよなく愛する2児の父。