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対話5-A 男性がすべきこと(二村ヒトシ)

石田月美さま

小さな主語こと「かつてあった愛嬌を失った男」とは、もちろん精神肉体あらゆる部位において日に日に老いを自覚していく僕自身のことなんですが、そんな僕がどうしたら愛されるのかという自分ばっかり見ている切迫した問いは一蹴され、より多くの男性読者に役に立ちもちろん僕にも完全に役に立つ「シスヘテ男性が女性から愛してもらうためには」に関するアドバイスを月美さんからいただきました。ありがとうございます。

  • (狭義の)暴力を振るうな。

  • 自分ばっかり見ていないで、相手を見ろ。

これ、ほんとに的確で、とてもシンプルで、シンプルだからこそ真理だと思いました。肝に銘じます。

恋愛やセックスや結婚での
男性から女性への暴力

事実として、まず女性を殴る男性は世の中にめちゃめちゃ多い。パートナーを殴り続けてる女性だってそれはいるでしょうが、数でいうと女性に暴力を振るう男性のほうが圧倒的に多い。そして、その事実を聞くとドン引く男性も、めちゃめちゃ多いでしょう。ドン引く男性は「俺は女を殴ったことなんかないよ」「女を殴る男なんて許せない」と言うでしょう。ところが、そう言う男性のほとんどが、ハームリダクションで言う「致命的である」ところの「狭義の暴力」がどんな行為までを含むのか、あまりわかっていないのだと思います。

男性は、そのことを知識として知っておかなければならないと思いました。

エレン・ペンス、マイケル・ペイマー『暴力男性の教育プログラムーードゥルース・モデル』波田あい子監訳、誠信書房、2004より

二度にわたって貼ってくださった「暴力とは何か」の図を、何度も見返すことにします。僕も女性に対して感情に任せて(正確に言えば「彼女のせいで俺は感情を刺激されたのだ」と自分に言い訳をして、じつのところは彼女を威圧する目的で)大きな声を出してしまったことが過去にあります。そんなことを、もう、しないように努めます。

月美さんは、お子さんとともに生活していく中でもずっと、狭義の暴力に対して敏感ですよね。これのトイレに立てこもる部分を読ませてもらって、そう思いました。このことについて人間はどれだけ敏感であっても敏感すぎるということはないとも思いました。 

恋愛やセックスや結婚は(それから仕事をすることや友人関係を作ることも)すべてが生きのびるための「依存」の一種なんだろうと僕は考えているのですが、そうであるなら尚更のこと、ハームリダクションにおいての致命的ではないほうの広義の暴力、つまり「相手と関係を作ろうとすること」が、致命的な狭義の暴力に変質してしまわないように、肉体的な力や経済的な権力を持ちやすい男性はつねに注意して「配慮」ができていないといけない。

そして月美さんも指摘されている通り、生きていくために恋愛や結婚をしたい人、あるいは、すでに恋におちてしまった人は、恋の相手に対して配慮をしつつ「勇気」も持ったほうがいい。持たないと、そもそも恋愛することは始められないでしょう。 

相手を「見る」ことについて

「(ある種の)男は、女を性的にじろじろ見てばかりいて……」と言われて怒られることが多い昨今の世の中ですが、僕は今回の月美さんの書簡を読んで、自分をふくめた男性の多くがいかに相手の女性を見ることができていないか、ということを思いました。

男が「恋愛できている自分」や「恋愛やセックスや結婚ができない自分」ばかりにウットリしたりションボリしたりしていて、肝心のその相手を見ることができていないのは本当に問題ですね。

僕は『すべてはモテるためである』の中で、相手の言葉をちゃんと聴くということを強調しました。なるほど、それはモテるための行為でした。非モテの男性は女性の言葉を聴いていないのでしょうし、モテる男は聴けるのです。 

同書の中では、

【上から目線で聴いてるのではダメ】だということです。
相手を、あなたの心の中で「決めつけて」は、いけないのです。

とも書いたので、これは月美さんの言う「相手を見る」に近いのではないかとも思うのです。

しかしながらモテてしまうと男は忙しくなるので「ただ聴くこと」が「聴き流すこと」になってしまう危険もありますし、これはまさに心の穴ヤリチン男がやってることにつながるのですが、言葉を聴いて意味をとるのが相手を分析しようとすることに繋がってしまうのが理屈っぽい男というもので、仕事において理屈っぽいのはまあいいですが、恋愛の関係において理屈っぽい男は、本当に相手を萎えさせます。 

普通に考えられているのとは逆で、女性のほうが自分と関係している男性のことを「見て」いますよね。

男性のほうが、自分とまだ関係していない女性のことをじろじろ見て、おっぱいの大きさだけを見たりして失礼だと怒られている。そして関係できた女性のことは、しばらくすると、まともに見なくなる。失礼な話です。

恋愛において人間は、女性だけではなく男性もそのはずなんですが、承認されることと親密になることを求めている。セックスできればそれで親密だと思っている男性は多そうですが、親密になるためにはお互い承認し合わなければいけない(この承認するという言葉が意味するものが正直言うと僕は今ひとつよくわかっていません。『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』に書いた「相手を肯定すること」とは違うのでしょうか)。

承認しあうためには(相手に承認して欲しければ)まずこちらから相手を承認しなければいけない。

相手が求めていることが「あなたから承認される(ちゃんと見られる)こと」 であるなら、逃げないでちゃんと見ることが、相手に「与える」ことになりますね。

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』の文庫版あとがき対談の最後の問いの答えが出たような気もするんですが、 これ、実行するのはそうとう難しいですね……。

「男性が狭義の暴力を振るわない」つまり「なんらかの力によって、相手を支配しようとしない」のは、僕自身をふくめた「恋愛やセックスや結婚が上手ではない男」にとって、まったくたいへんなことです。それ以外に、交際や結婚の相手と関係を結ぶ方法がよくわかっていないからです。

しかし考えてみれば、パートナーに妥協をしてもらわずに恋愛なりセックス関係なり結婚なりを継続できている男性は、「暴力を振るわない」「支配をしない」ということが、できているんだろうと思います。

なんだか今回の僕の原稿は(いままでのこの書簡が全体そうだという気もするのですが、 今回は特に)前回の月美さんの提言を上からなぞっただけで、これで新しい恋愛論になっているのかとやや心配です。

おそらく「じゃあ女性は何をすべきなのか」という話になっていくとバランスがいいんでしょうが。

僕が女性にやって欲しいことは「欲望と信念とが矛盾して本人も混乱している女性は、そこをなんとか、うまく調整してほしい」ということぐらいで、それも「ある種の女性の欲望と信念を矛盾させているのは、けっきょく社会の体制のせいなんじゃないか」と思い始めているので、あんまり強く言えないんですよね。

二村ヒトシ