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僕は誰のために生きているのか

こんにちは。
今日はちょっとしっかり考えた真面目な記事を。

先日、サクラサクさんがこんな記事を出されていて、自分だったらこの問いにどう答えるだろうか、と考えた。そこで、「僕は誰のために生きているのか」について、僕なりの、今の答えを書き残してみたいと思う。

ちなみに、タイトルに選んだ画像は、なんとなく今の自分に言いたい言葉だったから。やらなければならないタスクが重なってくると、どうしても同じ環境や組織にいる仲間や周りの人と比べてしまって、うまくいっているように見える人と比べてしまって、焦るけれど、焦っても何も変わらないから、自分で決めたことを自分で決めたようにやっていくしかないんだよね、きっと。

さて、本題。
すごく難しいテーマなので、この問いにどう向き合うのかは数日悩んだ。だけど、書き進めていくうちにまとまっていくタイプだから、とにかく手を動かしてみようと決めた。

極論、僕は「自分自身」のために生きている。と思う。
なんだかすごく自己中心的な人に聞こえるかもしれないけど。

しかし、社会人になり、仕事をして生きていく上では、自分自身の選択が全て自分に返ってくる。大事な選択も、日々の小さな選択もすべて自分自身で決めていかなければならない。そう考えると「自分のために生きる」ことは自己中ではなくて、むしろ「覚悟」なのかもしれないと思っている。(言語化が難しい、、、😭)

では、ここでの「自分自身」とはなんなのか。
それは、もちろん自分が好きなことをひとりで自己完結させている自分でもあるし、他者(ここでは関係が近い人も遠い人もあえて”他人”とする)との関わり合いの中に位置する自分でもある。

その上で、もう少し細かく、深く考えていきたい。
僕が”生きよう”と思う原動力は、もちろん周りの人がいるからであって、ある程度周りの人から期待されていたり、必要とされていたりする感覚があるからかもしれない。大学のサークル、研究会、2年間続けてきたTAのグループ、就職先、バイト先、バイト仲間、インターン先・・・。こうして考えると、いろんな組織に属しているからこそ、そのそれぞれから少しづつ生きる原動力をもらっているのだと思う。もちろん、その組織に属しているからこそ”大変だけどやらなきゃいけないこと”も出てくるし、それが時にストレスになることはあるけれど、だけどそれがあるからこそ生きよう、頑張ろうと思えるのかもしれない。(誰にも何も要求されなくなることほど怖いものはない)

こう書いてみると、やはり「自分のことを必要としてくれている誰か」のために生きているのか、と思ってしまうけど、そこは区別しておきたい。そういった環境に身を置き、周りの人との関係性の中で、誰かに必要とされながら生きていく。期待され、その期待以上の成果を出して応えたい、それこそが自分の原動力になっている場合が多いから、”期待に応えている自分”に満足できる、そのためにいま動いているのだと思う。(この感覚も言語化が難しいし、この表現がかならずしも正しいとは思っていないけれど。)

期待されている以上の答えを出したい。
それは僕の日々の行動や選択に表れている。
例えば。後輩や仲間にLINEで何か聞かれたら、「すぐ答える」はある意味モットーだし、「相手が欲しいと思っている答えをできるだけ汲んで、自分が持っている情報は出し惜しみしない」ようにしている。(それゆえ、時に必要以上に長くなってしまうことはあるのだけれど。笑)

ここでちょっと視点を変えてみたい。
就職活動の時、自分のモチベーションは何からくるのか、とか自分は将来、どんな人とどんな人のために働きたいか、とかよく聞かれていた。「社会の課題を解決したい」とか「人と人や組織をつなぎ、そこに自分が介在することでよりよいシナジーを産みだしたい」とか、そんなことを考えて話していたように思う。だけど、現実問題、会社で仕事をしている時、パソコン作業をしている時、どれだけ「自分は今、社会のために一生懸命働いているんだ!!」って思えるのだろうか。上司のため、その部署の仕事のため、仕事先の相手のため、くらいまでは想定できるかもしれないけれど、それも全ては”自分のため”だ。だって、その仕事によって給料がもらえたり、スキルを身につけることができたり、うまくいけば昇進のチャンスが巡ってきたりするのだから。
だけど、ふと自分を見失った時、俯瞰できる人でありたいとは思う。
自分はなにを望み、何を成し遂げたいのか。それを常に考え、その時最善だと思う選択をして、それに見合う努力をすることが、きっとまた自分が生きる意味を取り戻すことになるんだろうと思う。

そして、これだけは忘れないでおきたい。
自分は、周りの人とコミュニケーションを取り、その相手との関係性を深めていく中で、おもしろいコラボレーションを生み出したり、仕事をしたり、時には遊んだりするのが好きであって、あくまでも自分を支えてくれる「周りの人」がいるからこそ、自信を持って「自分のため」に生きることができるのだと思う。
それと、きっと家族というのはまた別の存在で、理由なく自分に居場所と生きる理由を与えてくれる存在なんだと思っている。

自分のために自分が好きなことだけするのも原動力の一つ。
他人のために何かすることで、その人や組織との関係を深めていき、それがまわりまわって自分のためになる、自分の財産になる、それもまた原動力のひとつ。

深夜3時過ぎに書いているから、書いていてなんだかわからなくなってきた。もしかしたら、誰のために生きているのか、という問いを、原動力は何か、という問いに落とし込んで考え始めたほうがよかったかもしれない。
ときにはこうした深いことを考える時間があってもいいなと思って、書き始めてみた。きっかけをあたえてくれたサクラサクさん、ありがとうございました。
こんな議論がnote上でできる方がいる、ってことも改めて考えると素敵だし、恵まれているというか、noteを続けてきてよかったなあ、と。


それでは、また。

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