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ウェルビーイング つながりが幸せの源に

* 2022年2月27日に福井新聞「ふくい日曜エッセー」に寄稿した文章です。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1506320

“ウェルビーイング(Well―being)”という、幸福・健康・福祉などを含み「身体的・精神的・社会的によい状態」を表す概念に、世界中で注目が集まっている。心身の健康の重要性はこれまでもよく言われてきた。それだけでなく、人の幸せには、社会的に良好な状態、すなわち“社会的つながり”が重要であることをメッセージとして持つのが、このウェルビーイングという概念の大きなポイントだ。今回は、このウェルビーイングに纏(まつ)わるコロナ禍での小話をお届けできればと思う。

 つながりが幸せに重要であるとする研究は数多くあるが、私自身がそれを強く認識するようになったのは、3年間滞在し国づくりの協力を行った、ブータンでのことだった。

 ブータンでは、人々のウェルビーイングの調査を大事にしている。若き調査員がブータン全土をかけ回り、対象者に2時間半ほどかけて丁寧に質問をしていく。私も同行したが、スジャと呼ばれるバター茶をどのおうちも出してくれ、歓迎してくれた。その中で、印象に残っているシーンがある。

 南部の県の、44世帯、人口300人ほどの村でのこと。「あなたが病気になった時にとても頼りにできる人は何人いますか?」という質問に対して、成人をむかえたばかりのブータン人男性は「50人ぐらいですね」と回答してくれた。日本人の私の眼からすると過疎の村であるが、彼が軽やかに回答してくれた数の多さにびっくりしてしまった。同時に、自分の場合、何人と回答するだろうと考えさせられた。

 ブータンにも日本同様に課題は当然あるが、ブータンの生活の基層には、この社会的つながりの豊かさがあると実感した一場面だった。

 翻って、コロナ禍が長期化する現在の辛(つら)さの実感というものは、この社会的つながりの喪失によるものと重なるところが多いと日々感じる。仲のよい知人に会ったり、同級生や親戚同士で集まったりと、これまで当然のようにあった交流が途絶えているケースも多い。永平寺町と共同研究にて町民のウェルビーイングを調査したが、自由記述欄に書かれていた「離れて住む孫達に会いたい」という言葉には、集計をしながら思わず頷(うなず)いてしまった。

 人に会うという自由に制限がかかってはじめて気づいたこともある。私たち人は、人と人とが出会い集まるような機会に、何かを一緒に飲むということをすごく大事にしてきた、ということ。「お茶でもどうですか?」「一緒に一杯どう?」この言葉たちが使えなくなったとたん、なんだか急に、会う術(すべ)の大半を失ってしまうような感覚すら覚えた。

 イギリスでは紅茶を。イタリアではエスプレッソで団欒(だんらん)。はたまた、アフリカのエチオピアではコーヒーだけでなく、コーヒーと紅茶を二層にし嗜(たしな)む。日本にはお茶があり、居酒屋でビールを飲む姿も定番だ。片や、南太平洋の島国フィジーでは、カバと呼ばれる木の根を乾燥させ水に混ぜたものを飲む。鎮静効果があるとされる。日本の場合、日常ではあまり感情を表に出さず、飲み会の場ではお酒で気分を盛り上げて仲間との時間をたのしむ。一方、フィジーでは、普段は各々(おのおの)すごく陽気で、カバを飲んで気持ちを落ち着かせることで仲間との時間を過ごす。幸せのカタチが異なるのと同様に、飲み交わしてきた飲み物も世界各国でかくも異なるのだ。

 ただ、コップの中身こそ違えど、それを通じ、大切な人たちと“ともに居る”ということを幸せの源泉にしていることに世界中なんら変わりはない。

 ウェルビーイングの本質ともいえる“ともに居る”という社会的つながりの重要性が、なんとも身に沁(し)みるのがこのコロナ禍であり、世界中が乾杯!と共に杯を交わせる日が恋しいのが、社会的動物である私たちが持つ内なる希望である。

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