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会社は信用しない

 心療内科に行き自分の状況を説明すると、「うつ病です。仕事を休めるよう診断書を書きます」と言われました。
『これでやっと救われる……。』
 私は安堵しました。一時的にですが、やっと重荷を降ろせると思ったのです。
 家に帰って、会社に電話をしました。50代の、社長秘書兼総務の女性が出ました。
「うつ病と言われ会社を休むよう言われました。明日からしばらくお休みさせてください。」
 私は最後の力を振り絞って伝えました。相手の対応はこうでした。
「状況が分からないから、仕事はしなくていいから明日会社に来て。説明して。」
 私の身を案ずる一言もなく、女性は淡々とそう言いました。

 私は絶望しました。

 会社へ行くことすら辛くて辛くて仕方がありませんでした。
 ある時は、仕事終わりに薬局で睡眠導入剤を買い集め、海へ行って飲んで、膝まで水に浸かっていました。(パトカーらしきランプが見えて逃げました。)
 ある時は、通勤電車の中で泣きながらスマホに遺書を打ち、駅から会社までの通勤路で車道に飛び込もうかと思い詰めていました。
 そのくらいまで追い詰められていました。今思い返せば明らかに異常です。

 そんな状態で言い放たれた「会社へ来て」の一言は、生きるという本能の糸を容易くプツンと断ち切りました。なんとか自分の中に押し留めていた怒りが一気にごうごうと溢れ出しました。
「……わかりました。」
 怒りを込めた低い声で私は答え、電話を切るやいなやスマホを壁にぶん投げて泣きました。
 それからすぐ買い物に出て、死ぬために必要なものを買い集めました。
 早く死にたかった。死んで後悔させてやりたかった。死にでもしなきゃ、あの冷酷な人間には理解できないんだと思っていたのです。
 私はお風呂場で、ある方法で死のうとしました。私は死ぬんだ。死んであいつに分からせるんだ。あいつに……。

 ……なぜ私があいつなんかのために死ななきゃならないんだ!!!

 私は悔しくて泣きました。わんわん泣きました。泣きながらスマホを手に取りました。
 まず家から一番近い場所に住んでいた父にかけました。仕事中だったためか出ませんでした。次にかけたのは長男だったか、正確に覚えていません。3人目か、4人目かに、次男にかけました。出てくれました。
「どうした?」
 それは今まで聞いたことのないような優しい声色でした。普段兄に電話をすることがなかったため、何かを察してくれたのかもしれません。
 私は泣きながら、声を振り絞りました。
「……たすけて……!」
「辛かったな。今どこにいる?」
「家。」
「わかった。住所、言えるか?」
 兄はすぐ私を迎えに来てくれました。朦朧とした意識の中、私は台所の流しで吐きました。兄が背中をさすってくれました。その手が温かかったのを今でも覚えています。
 部屋の様子やお風呂場を見て状況を察した兄が、小さく「そうか……」と言っていた気がします。
 兄は私を後部座席に横たえ、実家まで連れ帰ってくれました。

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