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天使たちの日記

1.
その年の初夏は僕たちにとって我慢することが多すぎる季節だった。


おはよう。
少しずつ暑くなってきたね。そろそろ半袖で街に出掛けられそう。

おはよう。
暑いよね。この前買ったTシャツそろそろ出そうかな。

え~いいなぁ。
この前のアルバイトの日天気よくて日焼けしちゃったんだよなぁ。

えーそうなんだ。見たいなぁ。写真送ってよ。

うーん。どうしようかな。ちょっと恥ずかしいよ。

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まだ夕方前で急いで帰る理由もないし僕らはコンビニでコーヒーを買って北島さんの車で近くの海に来ていた。
内緒だけど北島さんのぼそぼそと話す癖は本当はどうしても聞いてほしいことを伝えるための作戦だと思う。僕は北島さんの言葉が聞き取れないたびにエッと顔を近づけていた。
波の音にすら気付けないくらい淋しい浜辺の先の方では老人が釣りをしていた。
彼が持ち上げた竿は彼自身と同じくらい痩せていたが、それでも一瞬で竿は糸を海に向けて伸ばし見えない獲物に向けて旅を始めていた。


2.
学校に行く途中にかき氷屋さんがあって今日も友達と寄っちゃった。

へー。楽しそうだね。
そういえばうちの駅の近くにうどん屋さんできたんだよ。

うどんおいしいよね。

オープンの日はけっこう人が並んでね。

うどん食べたいなぁ

今度一緒に行こう。

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北島さんの車の後ろの扉はいつもいやな音をたてて開いていたが、今日もあいかわらず周りの視線が恥ずかしいくらい大きな音を立てていた。
足首のところに何年か前に流行った曲のタイトルが書かれている靴下を脱いで、北島さんはビーサンに履き替えた。
少し汚れたフリスビー。ベージュの短パンに入れたタバコ。


3.
昨日海行ったんだけどまだあんまり人いなかったよ。
でも私たちも少ししかいなかったんだけど。

海行ったんだ。
晴れてたの?

うん。リサたちと。お母さんの車借りて。
もう梅雨も終わりかな。

一緒に海に行きたいね。

そうだね。手紙また書くね。

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高温の巨大な鉄板にはさまれることでやっと重くて白い皿に乗ることを許されたハンバーガーが僕らの席に訪れたころに携帯が揺れた気がした。
今年は腹が割けるまでクラフトビールを飲むと約束した僕らは競って国内産のIPAやらアメリカ産のペールエールを片っ端から情報ごと味わっていた。

4.
私のことを知ってほしかったの。
ごめんなさい。

君が青いペンで書いてくれた手紙ずっと取っておくよ。

写真も手紙も捨てていいから。

そんなことができるか分からないな。

さようなら。

おやすみ。

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急に雨が降ってきたし北島さんは奥さんの誕生日プレゼントに添える花を回収するということで僕は街で別れると言った。結局駅前まで送ってくれたのでそこから馴染みのうどん屋で晩御飯を済ませてコンビニで明日の朝食のパンを買って帰った。
今でも彼女の事を思い出すと言えばそれは小さな嘘になる。でも多かれ少なかれそうやって世界中の元彼女や元彼氏たちは生きているわけだ。


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