旅とストライキ

久しぶりに書きます。昨日ポルトガルから帰国して、早速きょうから授業が始まったものの、旅でインプットした情報の多さで頭がオーバーヒートしている感じがするので、頭を冷やすためにも、気持ちを整理するためにも、文章をつらつらと書いてみようと思った。明日のreadingも済ませたいので、30分と時間を決めてどこまでかけるかやってみることにする。今回は冬休みの旅をメインに綴ろうと思う。

今回の旅は大きく分けると2つ。ひとつめは、南ドイツ、オーストリア、チェコの鉄道旅。2つ目はイベリア半島周遊の旅である。前者の旅を終えて一度ロンドンに戻り、クリスマスは中2日ロンドンで過ごしてで後者の旅を始めたのだが、これらの旅においてロンドンは新しく強烈な印象を自分に埋め込んだ。それは、クリスマス休暇長期にわたる大規模なストライキである。

チェコから一旦帰国した際、一旦寮に変えるのさえ大変だった。空港から出るバスに乗ってgoogle mapの表示する乗換駅で降車したものの、その地下鉄駅が閉鎖されており、実家までの足を失いかけた。なんとか長時間歩いてバスをいつか乗り継ぎしながら家までたどり着いたが、非常にtiringな帰途だった。

ストライキの影響はそれだけにとどまらない。フラットメイトの家族のクリスマスディナーに参加させてもらう予定だったのだが、ストの影響で家までの交通手段がまったくなく、結局キャンセルになってしまったのだ。25日の交通機関が完全に麻痺状態だったので、その日泊まって次の日に帰るのでも良いよと行ってくれたのだが、あいにく翌朝にフライトが予定されていたので、それも叶わかなった。

24,25の交通はほぼ全て機能不全に陥っていた。では、26日はどうか。当然、そう都合よく回復するわけがなかった。26日朝バルセロナ行きのフライトを予定していた自分たちは、なんとかぎりぎりで取れた25日22時空港着のバスに飛び乗り(このバス停にたどり着くにも50分ほど自転車を漕がねばならなかった。しかし中国人の友達とともにクリスマスの夜に必死で夜雨のなか自転車を漕いでテムズ川を渡ったことはまじで唯一無二というかいままでで一番crazyなクリスマスの過ごし方のような気がして割と良い思い出になっている)、そのあと極寒の空港で夜を過ごして無事飛行機に搭乗、というスケジュールを余儀なくされた。

この国に来てから、電車やバスやその他インフラが平常に動くということが、いかに有り難いことかを痛感した。クリスマスイブの夜にも、ほとんどの交通機関が遮断されながらも、少数のスタッフが空港に残って、僕らのバスのチケットを手配してくれた。実はチェコから帰ってきたばかりの自分は、その日がクリスマスイブだということを忘れてしまっていたのだが、必死で交通機関を手配してくれたスタッフの方々にメリークリスマス、と声をかけてくれたときにそれをふと思い出した。彼らは、家族とともにクリスマスを過ごせるのだろうか。日が回ってからの帰宅になることを憂いながらも、こうしてイブの夜にも厭わずに働いてくれている方々がいるおかげで、こんな時期に旅行から帰ってきた自分も、無事に家までたどり着くことができるのか、と思うと、本当に、ありがたい気持ちになった。

海外に行くと、こういった「当たり前」だと思っていたものがしばしばなくなる。それが苦しいと感じることもある。でもそれがきっかけで、いままでは感じられなかったありがたさに気づけたりする。他方で、「当たり前」がなくなって楽になることもある。つまり、なくなって嬉しい「当たり前」もときにある。例えば、東京や地方で感じていた、日本的な社会通念による束縛などから、開放された気持ちになることがあるかもしれない。いずれにせよ、「当たり前」が無い環境に定期的に身を置くことは人生を豊かにする上で、自分の心を豊かにする上で何よりも重要なことのような気がしている。

イギリスはときに日本の当たり前を裏切ってくれる国だ。中国やシンガポール、アメリカ、そしてアイルランドに飛び立ったみんなはどう感じているか、帰国したときにたらふく聞くのが楽しみで仕方がない。


さて、ストライキの話があまりに長くなってしまったが、totalで3週間に渡る旅行のうち、とりわけ印象に残った後半2週間について、つれづれなるままに、そぞろそぞろに書き連ねていこうと思う。次の日記にて。

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