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文科省のガイドラインを守った環境で育った子供がAI弱者になる可能性は高い

文部科学省は7月4日、「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」を発表しました。

この内容に関して、私自身はこうした利用方法ではAIを活用する力をつけたり、その利便性を実感することはできないと考えており、そのことについては以前記事にまとめました。

ところがどうやら多くの人はAIに対して警戒感を強く抱いているようで、まずは文科省の言うスタートが順当だと感じているように感じます。
(SNSでの反応や当該記事の閲覧数やスキの数からも分かります)

ところがそうした雰囲気に異を唱える人も少しはいるようです。
(教育関係者以外では多いのかもしれませんが)

そして今回の記事の筆者も案の定ではありますが日経パソコンの記者(編集長)である江口悦弘氏のようです。

ガイドライン順守ではAI活用は広がらない

この記事ではそうした文科省ガイドラインを順守してもAIの活用はできないという指摘を行っています。

利用規約の順守などは当然だが、生成物に対しての自己の思考や判断の重視に関わる十分な指導や、引用に関わるものなどは非常に難しいという指摘もなされています。

AIの生成物は本当にAIのものか

AIを使ったことの無い人にはわかりにくい概念ではあるのですが、基本的にAIは自己の思考を代替する装置であり、AIの生成したものを求める十分なクオリティにするためには何度もAIと問答を繰り返す必要があります。

質問の仕方や、議論不足であったり論理の抜けなどの指摘などを繰り返すことで生成物の質は段階的に向上していきます。

そこで問題なのは、果たしてその問答の結果得られた生成物は本当にAIだけの著作物と言えるでしょうか。

少なくとも「私」という対話者なしに出来上がらなかったその生成物は十分に「私」のものでもあるのではないでしょうか。

AIは思考の一部を補完する装置

このように複数回の問答を繰り返して生成物を作り上げていくと感じるのは、AIという存在は人間という不完全な存在の補完装置であるということです。

そこにいるAIは勝手に自分で生成物を作る人工的な人間ではなく、人間の脳の一部を代替する思考器官と言えるかもしれません。

人間は熟考や推敲して物事を深く考えることができます。

しかし、その思考はあくまでも自分の頭の中だけで完結するものです。

ところがAIを利用したそれは自分に無い視点や情報を付加して思考する脳の補助機能の活用であり、脳の機能拡張と言えるのではないでしょうか。

無駄な制限をかけるのではなく、使い倒す

文科省の言う通りに使っていては、おそらくAIを答え合わせに使うのが関の山であり、そうした使い方ではAI弱者を生むだけではないでしょうか。

自分の「オリジナル」を添削させてAIはすごいね、間違いを指摘されたから訂正しよう、自分でしっかり考えて結論を言えたね、下らない評価コメントがノートの欄外に書かれる状況が容易に想像できます。

そうした表面上のAI利用ではなく、大事なのはむしろ脳の機能拡張として使い倒し自分とAIの問答によって生成物の質が段階的に向上していくという成功体験です。

これを繰り返すことで、人間の脳機能の不十分な場所をAIが補完して人間の能力をベースアップできることを実感できるはずです。

AIから適切な回答を引き出すための表現力、問答をするための知識、論理や矛盾点、現実との齟齬の指摘といった批判的思考力を身につけることでAIの利用はさらに効率化します。

そしてそのためにはそうした問答をとにかく繰り返すことが必要だと私は考えます。

ソクラテスや孔子といった哲人たちが弟子と行った問答の再現こそが、AI利用の習熟の最も近道ではないかと思うのです。

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