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受験の「神頼み」は個人的に嫌いだが、否定はしない。しかし、学校では取り扱いに注意が必要。

今年の大学入学共通テストも終了し、私立大学、その後は国公立大学の入試が始まる時期となりました。

この時期によく話題になるのが「神頼み」に関してです。

「神頼み」とは

「神頼み」とは神社に合格祈願に行ったり、パワースポットなどにエネルギーを浴びに行ったりする行為です。

特にこの時期は、学業成就に縁のある神社に参拝者が増えます。

そうした場所で買ったお守りなどを身に着けている受験生は少なくありません。

九州での「神頼み」事情

私の住む九州では太宰府天満宮が学業成就の神社として有名です。

菅原道真公を祀った神社であり、おそらくは九州外の方にも有名な場所だと思います。

私の周囲でも受験生や家族はここに行き、お守りやご利益のあるものを買って来る人を多く見かけます。

「学校」での「お守り」の扱いの難しさ

多くの日本人にとっては神社でお参りをしたり、お守りやおみくじを買うことは馴染みのある行為です。

おそらくはほとんどの人がその行為を文化的行事として認識し、年中行事の一つとして行っているのではないでしょうか。

しかし、実際にはこれらの神社にまつわる行為は基本的に「宗教的行為」であり、その扱いには注意が必要です。

学校などの教室にお守りを飾っているようなケースは少なくありません。

しかし、そのお守りはあくまでも宗教的な意味のあるアミュレットやチャームであり、誰しもがその意味を享有できるオブジェクトではないのです。 

学校には様々な信仰を持つ家庭の生徒が存在します。公立の学校は言うまでもありませんが、私の務めるような私立学校も公的な要素の強い施設であり、安直にお守りを飾る行為は避けるべきでしょう。

「神頼み」は個人的に嫌いな行為

正直な話、「神頼み」は個人的にとても嫌いなことの一つです。

自宅を新築する際にも地鎮祭はしていませんし、車を購入しても神社に交通安全祈願に行くなんてことは一度もありません。

そもそも、自然科学を学ぶ人間としては、ああした宗教行為を頭から信じたりすることはどうしても肌になじみません。

また、「もしかして」という不安を掻き立てる手法自体が苦手です。

しかし、そうした宗教行為を否定したいわけではありません。他人がそうした行為をすることにコメントをすることはありませんし、信じたいならばそうすればよいと思います。

これは合格祈願も同じで、それによって精神の安定を得ることができるのならばそれは一定の意味があるのだと思います。

ただ、私の個人的な価値観で考えると、お参りにかけるな余剰時間や金銭があるのならば、それを別の部分にかけた方がリターンが大きいのでは、と感じるだけなのです。

どの程度信じているのか

この手の話はデリケートであり、なかなかリアルの知り合いと議論するのは難しいため、周囲の人たちがどの程度の気持ちで参拝をしているのか私は測りかねています。

寺社仏閣だけでなく、名前の画数や願掛け、パワースポットなどオカルト的な要素に対し、世の人々はどの程度の信心や信仰で行っているのか、本気で信じているのか、当たったらいいなぐらいなのか、興味深いところです。

ただ、いずれにしても私は信じませんが、信じている人を否定したり、論証したりすることもありません。

私にとっては信じないことが、信心深い人にとっては信じることが幸福だと思うからです。

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