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そろそろ高校生の文理選択をさせるのを止めよう、という考え

高校のときに文系、理系のどちらに進むかを悩んだ人は少なくないでしょう。

私の勤務校では高校2年生から文系、理系に分かれて授業が行われるため、1年生の間に文理の選択を行うことになります。

現在1年生の担任をしている私は、まさに生徒に文理の選択を迫る側にいるということになります。

消極的な選択が多い

この文理選択に関しては特定の学問分野が得意というよりも、むしろ苦手から逃げるための制度として機能しているのかもしれません。

リンク先の記事によれば、文系選択理由の半数が「理系科目が苦手」という消極的なものになっています。

本来、高等学校のカリキュラムは広く浅く教養を高めることが目標なのであり、特定の科目から逃げることは学業を修めるという基本理念からは外れた行為です。

にもかかわらず、日本中の高校では文理選択が必然となっており、その結果学ぶ内容に大きく偏りが出る生徒を生み出し続けています。

どうしてこんなことになっているのでしょうか。


大学入試の制度的問題

大きな理由の一つは間違いなく大学受験の制度の問題です。

大学入試において学部間で最も大きく異なるのは、受験教科です。

理系の場合は理科・数学を中心に、文系の場合は英語・国語を中心に出題されます。

そしてそれを学ぶためのカリキュラムが分かれるため、より正確に言えば数学Ⅲや発展理科などの科目の負担が高校3年間では大きいために文理を選択せざるをえない、ということになります。

一方で共通テストは、基本的には文系、理系を問わずに受験が可能です。
(数学Ⅲ範囲外、発展理科も理科基礎との選択が可能)

個人的には高校時代に文系、理系という括りで学びを制限するのではなく、幅広く学び、それをもとにして大学を選ぶことが良いのではないか、という意見もあながち間違いではないように感じます。

国際的には高校生は文系、理系を選択するか

アメリカでは基本的に高校生の文理選択は存在しないようです。

クラスや進学先での区別を文理で分ける仕組みにはなっていません。

またヨーロッパなどでも人文社会系や自然科学系という括りでの分類自体は存在しているそうです。

ただ、海外では、日本のように断絶が深くありません。日本では大学入試の時に文系、理系に分かれたままですが、海外では分かれていても越境する仕組みがあります。海外では文系、理系という区別がないように見えるのです。

しかし、多くの場合は文系と理系の間に日本のような断絶は存在せず、その行き来も比較的フレキシブルな状況のようです。

一方で日本の場合、入試科目が分かれているせいもあり文系進学者は理系教科に対し、理系進学者は文系教科に対し拒絶感を抱いているケースが少なくなく、さらにそれが自身のアイデンティティとして自身の思考を縛る原因にさえなっています。

文理融合の学部をつくった教授が言っていましたが、日本では大学受験の段階で「自分は文系なので」「理系なので」というアイデンティティーを持ってしまうようです。大学入試が自己イメージを縛ってしまうのです。外国人留学生だと、そういうことはあまりありません。

文系、理系を選択させる不毛さ

個人的には文理選択ほど不毛なものはない、と考えています。

なぜならば、高校で学ぶものの大半は教養として重要であり、人文系を専攻するから数学、理科を知らなくてよいということはなく、同様に自然科学専攻でも、国語や社会の知識は最低限必要だからです。

また現代社会が抱える問題は複合的で、その意味でも広範な知識やその前提となる基礎を築くことは極めて重要であり、高校生の段階で分野を狭めてしまうことにデメリットを強く感じます。

さらに世の中の似非科学や詐欺の勧誘の多くは、高校レベルに知識があればその真偽の判定は可能であり、そうした点においても実益が大きいのではないでしょうか。

とはいえ、そうした方向に進むには各大学の個別試験や共通テストに至る入試改革が必要であり、長い道のりのようです。

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