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【題未定】中古という概念は工業製品に物語性を与える刺激的なスパイスかもしれない【エッセイ】

 物を買うという行為には必要性だけでなく、娯楽性もあるだろう。買いものを楽しむという表現が示すように、購買は貨幣という概念をを手にしたときから人類の楽しみの一つとなった。特に新しいものを買った時の心躍る気持ちは他に形容のしようがない気持ちだろう。きれいに包装された用紙を破く瞬間の高揚感を感じたことのない人は少なくないはずだ。

 しかし、そうして必要なものを買えば不要なものも出てくる。壊れて使えなくなったのならば廃棄するしかないが、現代社会においてはまだ使えるものを新しいものと取り換えるという機会も多いはずだ。それは豊かさの象徴ではあるが罪深い行為でもある。そこで必然、その罪悪感を軽くするために中古品として買い取りをしてもらう人も結構な数存在する。もちろん、買取金額が高い場合は言うまでもないが、ただ同然で引き取ってもらうケースもあるだろう。自分で捨てるぐらいならば、と手放した品が中古店の店先に並ぶことになる。

 私は中古品店を見て回るのが好きで、暇があると古着店や電子機器の中古店へ足を運んでいる。そこには定価では買えないような高価なものが手に取りやすい価格で並んでいたり、新品よりも高値のついたものが並んでいる。また、傷やいたみがあってかなり低い価格で投げ売りされているものもある。多くの中古品店は百貨店のように整然と陳列をされているわけでもなく、一応の分類はされてあれども雑然と商品が置かれている。そこから希望のものを探す行為は、さながらおもちゃ箱をひっくり返してお目当ての玩具を探す幼児のそれだろう。童心に帰ってあさっていると思わぬ掘り出し物と出会うことがある。これがまた楽しいのだ。

 中古品には歴史が存在する。前の持ち主がどんな使い方をしたか、どの程度使用したか、そういった歴史が品物の一つ一つに傷やいたみとして刻まれている。こうした歴史を感じ、その品物が自分の手元に来ることになった経緯を想像することができるのが中古品の面白さだろう。これは新品では味わうことのできないものだ。何よりも新品は一律に製造されたn分の1であるのに対し、中古品は世界でただ一つの1点ものであり、何の変哲もない工業製品に物語性を与えることができるのが中古の魅力かもしれない。その品物新品が買えない貧乏人が中古品を漁るのだ、などと口さがないことを言う人もいるが、中古品にしかない魅力があるのも事実なのだ。

 先日も中古のカメラコーナーに足を運んだところ、おそらく20年以上前に使われていたであろうフィルムカメラが無造作に箱の中に詰め込んであった。そのときは残念ながらお目当てとなるようなものに出会うことは無かったが、見落としが無かった、と気になり始めている自分がいる。私の中で中古という概念はn分の1の工業製品と、退屈な日常に刺激を与えてくれるスパイスなのかもしれない。

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