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「小中学校授業を5分短縮」はゆとり云々よりも単純に学習効果の点でも大きな意味がある


小中学校の5分短縮

文科省は次期学習指導要領への反映に向けて、学校の裁量を拡大するために授業時間を5分短くし、短縮分を各校が自由に使えるようにする時間を作るという方針を上げています。

年間で85時間を捻出できる予定となっており、弾力的に時間を使えるという改革です。

正直なところ、この「弾力的」な時間の使い方は教員や生徒の多忙感を増すばかりで、実効性は乏しいでしょう。

この5分、1日あたり30分の時間の正しい使い道は「生徒を早く帰す」の一択です。

小中学校の教員は空き時間が無く、書類業務をする時間を生徒の放課後で賄っているのが現状です。生徒を30分早く帰すことが可能になれば、その時間を勤務時間内に捻出することも可能になるでしょう。

仮にそうした対応をせずに、別の業務を入れ込むのであれば本義的には全く意味のない改革と言ってよいでしょう。

そして時間の使い方を指示せずに各学校に任せた場合、横並びを好む学校文化が業務を増やす以外の選択をするとは思えません。

だが、賛成

では私はこの改革に反対かというとそうではありません。むしろ賛成なのです。

なぜならば生徒の集中力の持続時間を考慮した場合、現行の45分、50分の授業時間は長すぎると感じているからです。

「最近の生徒は集中力がない」とは教員の多くが語る決まり文句の一つです。

おそらく私たちが生徒時分もそうした感想を口にしていた教員は多数存在していたでしょうし、私が教員となってからもそうした反応を示す教員を数多く知っています。

現代の生徒もその例に漏れず、集中力がありません。しかし実際には現代の生徒が、ではなく、過去も現在も、いつの時代の生徒も集中力がある生徒はごく一部で、ほとんどの生徒は集中力などなかったのです。

ただ、教員の権威が保たれていた時代においては、集中力が切れた様子を見せないように上手に振舞っていた(あるいは教員側も分かっていたが集中しているものとして扱っていた)に過ぎないのです。

その結果、現代の生徒は集中力が切れたことを授業中に態度で示すようになり、授業の阻害要因となるようになっています。

理想は30分

正直なところ、現代の風潮や雰囲気を考えると30分が1回の授業の限界ではないか、と私は感じています。

一斉授業の構成で言えば、前時の復習が3分、授業解説が15分、演習10分、本時のまとめが2分、これぐらいの方がテンポよく授業が進む気がしています。

こうした考え方は従来の50分授業前提の老人にはウケが悪いようですが、生徒だけでなく授業者側からしてもテンポよく進めることで、生徒に飽きさせない授業ができてメリットがあるように感じます。

私自身も最近の生徒の雰囲気を見るたびに、50分授業の限界を感じています。彼らの普段の生活を考えると、1時間をスパンにした生活を送っていないということも理由にあるからです。

テレビ時代と動画時代

これは個人的な考えですが、テレビ世代はCMをはさみつつ1時間テレビの前に座るというライフスタイルで生活していたように感じます。

そのため毎日の生活の中で50分程度の時間を1単位として暮らしていました。しかし、そうした時代は終わり主要な娯楽コンテンツがテレビから動画へと移動しました。

現代のYouTubeやショート動画の隆盛からも分かるように、子供たちの視聴習慣や学習習慣が短時間のスパンになっています。また、ネットフリックスなどでも1話30分程度のドラマが増えつつあります。

これらを踏まえると、授業における学習効果を高めるためにはより短時間での授業構成が求められるでしょう。

その意味で5分の短縮は効果的であり、だからこそ今回の文科省の方針は文科省の意図や目的を異にしても賛成の立場なのです。

できることならば5分短縮から一歩進んで、30分授業を前提に単位設定まで踏み込んだ改革が行われることまでを期待したいところです。

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