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「教育学部」が存在しない県が存在するという事実、その理由や背景と問題点


「教育学部」が存在しない県

昨今、全国的に問題になっている教員不足問題に関わる話題として、鳥取県緒事例が話題になっていました。

鳥取県では国立大学である鳥取大学の中に「教育学部」が存在しません。本記事において、この「教育学部」とは教員免許取得を卒業要件とする大学を指すこととします。

良く知られる話ですが、旧帝国大学に設置されている教育学部は、いわゆる教員養成系学部ではありません。あくまでも教育学研究(人間の発達や能力能向上が教育といかに関係するかを研究する)を目的にした学部です。したがってそれらの大学では教員養成系の学部は存在しません。

しかし旧帝国大学が所在する県の場合、必ず○○教育大学という国立大学が存在し、そちらが教員養成を担っています。

それ以外の県の場合、国立大学の中に教員養成を目的とする「教育学部」が原則は必ず設置されています。

しかし、例外が存在します。それこそがニュースになっている鳥取県です。

全国で同様に教育学部が存在しないのは福島県、山形県のみとなっています。(富山県は2022年に富山大学教育学部が復活しました。ただし金沢大学との共同教員養成課程となっています。)

「教育学部」の歴史

全国に存在する「教育学部」の歴史は戦前、明治期に遡ります。1872年、明治5年、に公布された学制に基づき「師範学校」が設立されました。翌明治6年以降には名古屋・大阪・広島・長崎・新潟・仙台の各都市に師範学校が設置されていきます。

その後、全国各県に尋常師範学校(初等教育教員養成機関)、そして師範学校が設置され、昭和の末期には全国各県に最低一つは師範学校が設置されることになります。

師範学校は教員養成という役割だけでなく、階層格差の是正装置として機能していました。明治期において大学への進学を考えた場合、中学校(現在の高等学校)、高等学校(現在の大学教養課程)を終えて帝国大学へ進学する必要がありました。

当時の一般的な庶民ではこのルートでは学費も下宿費用も負担が大きかったようです。その点において師範学校は全寮制の上、全て官費で真川慣れており、文理科大学まで進学すれば帝国大学と同等の教育を受けることも可能でした。(軍学校、士官学校も同様)

こうして優秀な庶民の層が新たな教員となり人材育成に励んだ結果が日本の発展の原動力となりました。

そして戦後にこの師範学校が医学校や工業、商業専門学校などと合併し、大学として発足したのが現代の大学であり、各県の国立大学「教育学部」なのです。

鳥取大学にはなぜ「教育学部」が存在しないのか

まず鳥取県内に教員養成系の学科が存在しないのか、自県内では教員を育成できていないのか、というとNoです。

鳥取大学の教育学部は1999年に教育地域科学部と改称し、人口減少に備えた地域学部へと改組されました。その後、2004年に隣県の島根大学の教育学部と提携し、教員養成課程を島根大学へ、ゼロ免課程を鳥取大学へ集約することで教員養成課程が鳥取大学から消失しました。

しかしゼロ免課程を含む地域学部においては、人間形成コースの中で初等教員の育成は可能となっています。

この2004年は国立大学が法人化した年であり、経営状況や人口推移をもとにこうした改組が行われたことは想像に難くありません。教育学部の縮小を文科省が大学側に突き付けたのでは、という妄想は決して現実と遠いものではないでしょう。

ちなみに、先に上げた山形大学、福島大学も「教育学部」という名称は外していますが教員養成をするコースは存在します。ただ、これらの大学はあくまでも看板の架け替えに近いのに対し、鳥取大学は原則、養成課程を廃止した、というところが大きな違いです。

「教育学部」の廃止の結果

しかしその結果、深刻な教員不足を招くことになります。子供の数は減少し、教員余りが深刻化するという2000年時点の予想とは大きく異なり、現在各県で教員不足が深刻化しています。

その原因は複数存在しますが、まずは少人数学級の普及です。教育の質の担保から世界的な潮流に合わせて少人数学級化が進んでいます。またコンプライアンスの厳格化も原因の一つです。これまで労基法を無視した教員の半奴隷的労働で支えてきた教育インフラが、労基法という最低限ルールを守ることで崩壊しようとしています。

ちなみにですが、鳥取県の教員採用試験は全国でも有数の高倍率で知られています。

しかしその実は、試験日が他県よりも早いために「お試し受験」として受験生の草刈り場になっているのです。事実、4.6倍という高倍率で、合格者を200名以上出しているにもかかわらず、採用者は100名強、予定していた150名に届いていないのです。

教育、工、医学部の設置は地域の生命線

私個人の意見としては、20年前の鳥取大学の教育学部廃止は大きな失敗、間違いだったと言わざるを得ないと考えています。

日本の場合、国土が広く多くの人が様々な地域に住んでいます。そして国土保全の観点からも容易に人間の居住地を都市へと集約することが難しい国でもあります。

もちろん人口減少期におけるコンパクトシティ化は必要ではあるでしょう。しかし誰しもが3大都市圏に住むというわけにはいきませんし、国土の面積の大半を占める山地をどう管理していくかは今後の国家戦略に関わる重要なテーマです。山地を中心にインバウンドなどの観光産業として活用することも考えなければならないでしょう。

その点においても、各県における教育、工、医学部の三学部の設置に関してはコストだけでは測れない重要な問題だと考えます。人材育成、産業基盤、医療福祉に関して手薄になれば地域社会の崩壊までさほど時間はかからないでしょう。

現在、文科省が進める1法人複数大学制度、国立大学機構制度への危惧はそこにあります。もちろん、学問領域がニッチであったり、養成が特殊であるような課程に関しては統合すべきでしょう。しかし仮に複数かぶっていたとしても、地域の存続を考慮すれば教育、工、医の三学部だけは各県に一つ、残すべきではないかと思うのです。

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